2019年8月27日に降りてきたメッセージ。
広島県福山市にて、ある女性のセッションでのものだ。
先日降りてきていた言葉をさらに進めた様子だ。
『神を恒久に変化させる。
神のフリの変化。』
『神の世界を終わらせる。
次に来るのはサイエンスと理屈に基づいた世界。』
聞いていた女性は呆気に取られたが、僕にとっては
「こう来たか!」
という感動を喚起させるものだった。
これは僕の思ってることと全く矛盾しない。
全てのことは理屈で説明できる。
サイエンスもそこまで追いついていくのだ。
我々が神だと思っていたものが実は支配者/統治者であって、我々は奴隷であったということを2年ほど前から書いていた。
その「神」の世界が終わる。
神の「フリ」をしているものが終わる。
見えない世界は存在する。
神社の神などは、見えない存在としてそこにいるスピリットである。
それら祖霊に対して敬意を持って対峙するのは当たり前のことだ。
『シナジーはある。
多くのところに。』
これは当然だろう。
世の中は大きく変わるはずだ。
「これはいつの時代のことを伝えているのか?」
という質問を受けると、
『2010年代から。
こき使われた時代はもう終わる。
切り替わりがある。
開く今年はその最初の年。
元年』
『急増する。
大いなる判断。
余計な迷いの払拭。』
「支配する神」は、僕らを作ってくれたもので、親のようなものである。
我々は子供としての立場や視点を変化させるということなのだ。
そして、
『それだけで充分。』
だと。
サイエンスと理屈について捕捉しておく。
全てはサイエンスと理屈で説明できるものなのだ、と僕は深く納得する。
なぜ
「@に行くと人生の流れが良くなる」
ということが起きるのかも全て説明可能なのだ。
「@に行く」と「流れが良くなる」の間に存在するブラックボックスの中身が読み取りきれないだけであって、そこには美しい秩序が存在するのだ。
いわゆる「縁起」とか「カルマ」というものなのだろう。
何もかもに理があり、それは宇宙の法則に統括されている。
サイエンスは見えない世界をも包括しうることに、いずれなる。
我々が信奉してきた神もその宇宙の中の一つのものである。
要するに、僕たちにはその神を内包する宇宙、より広い世界を認識すべき時期が来ているとも言える。
『21世紀は人類が解放される時』
だと、今年に入って伝えられてきた。
新たな歴史に向けて、一枚ずつページはめくられていく。
神社やお寺、仏教、宗教にこそニセ神がいますよ。(*_*)