そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます

支配権 2

2016-06-29 07:41:26 | 癒し
先日お会いした方もやはり憑依がありました。
それはまず
『憑いているものをとってあげる』
という言葉が聞こえてきたからわかったことでした。
ご本人は見えない世界にそれほどご縁づけられてきたわけではありませんでしたが、身の回りに様々なことが起き始めた時期は、降りてくる言葉が指摘した通りでした。
人生設計の中でそのように選んできたものなのでしょう。

痛みが抜けるとまた、新たな痛みが中から出てきます。
指定してきた場所があり、そこを訪れることで新たな一歩が始まるようですが、いつもながら不思議なのはその場所のことをお伝えするとその場ですっと身体の状態が変わっていくことです。

『表層のものは取れた』
という言葉に安心する一方で、これから先は芯の部分と対峙し、解放していく段階に入ることがうかがえます。
それは先にお伝えした場所を訪れた後に起きてくることです。
今後の人生では何をしていくのかという質問があったのですが、それへの答えはこれまでの人生で着け続けた重りを外し、本来の楽な自分に気づいてからやってくるようです。

表層の余分なものが取れるだけでも顔色はぐっとよくなり、身のこなしにも軽いものがみてとれます。
これも自分の身体へのコントロールが効くようになったからこそです。
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支配権

2016-06-27 08:04:54 | 癒し

ここ一年ほど霊障らしき現象に悩まされた女性です。

寝ている時に何かに乗り移られたように叫び、ベッドの上でバタバタと跳ねるように暴れるので、怪我をすることもあります。

本人の意識はおぼろげにあるのですが、自分では事態をコントロールできません。

どのように対処するのか聞くと、なんとかお経などを読んだりすることで治まってくるそうです。

 

つてをたどって遠隔のヒーリングなどをしてもらうとその時は楽になるので、霊的なものが関係しているのではないか、とわたしのところに来てくださいました。

 

とにかく身体がカチカチです。

両足とも、膝から下に強い痛みがあります。

また、胸にも幾つかのポイントで痛みがあります。

胸が詰まっているせいで両腕にも影響がいき、ひじ上付近にも強い痛みがあるのですが、これは本人は自覚していません。

 

左足に意識を合わせているときにタヌキが入っていることがわかり伝えました。

山に近い場所にお住まいなのでタヌキがよく近くの道路に轢かれて死んでいることがあり、ご両親はよくそれを運んで裏に埋めてあげたりしているそうです。

タヌキとしては恩義を感じてもいいはずですが、何かしら念が入ってしまったのかもしれません。

また、人からの影響も胸のあたりに感じました。

 

正体が分かってしまうと出て行ってもらうのはさほど難しいことではありません。

正体が分かった瞬間には抜けてしまうことが多いとも言えます。

 

何かに憑かれていることはそれほど珍しいことではありませんが、ここまでとなると日常生活に問題が出ます。

こういった際、神経を支配されているのではないかと感じます。

経絡をうまく刺激していくとその支配を本人が取り戻すようになる場合があります。

 

セッションの途中からお腹がぐるぐる音を立てて動き始めたので、もう大丈夫と感じました。

このようなことで悩む方は多くの場合、お腹がカチカチに固くなってきて、鳴ったりすることなどがなくなります。

お腹が柔らかくなり活発に活動するようになると、本人のもとに支配権が戻ってくるように思えます。

人間の体は、口から始まり肛門に至るまでの一本の管が正常に働いていることが健康への条件です。

胃腸を整えることは必須です。

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「仮想」 3

2016-06-11 04:48:50 | 癒し

Aさんのセッションの続きです。

『メタの部分に入る。』

と伝えてきます。

「メタ」の意味を調べると、

<他の語の上に付いて、「間に」「超えて」「高次の」などの意を表す(大辞林)>

とあります。

 

同じ次元でコミュニケーションをとるのではなく、高い次元のものを通じてやり取りをすることを提案してきているわけです。

また、Aさんにそれが可能だということでもあります。

 

『これから先は、人間はメタを意識しないとやっていかれなくなる。

それがだんだん当たり前になってくる。

もともとやっていたもの。

思いの部分とか。

それがよりはっきりしてくる。』

 

意識が低いと何も動かせません。

どうしたらそこにもっていけるか。

それには

『自分のレベルで審判しない。

裁かない。』

という答えです。

 

Aさんは、

「難しいー。」

と声をあげましたが、そうでしょうか。

ひらめきの部分に任せ、力を抜くことが要求されているだけだと思います。

自分で答えを出そうという意思を介在させなければいいのですから。

 

そしてこれは、

『Aさんの抱えている問題を紐解くことにもなる。

発想の転換。

プライドを捨てよ。

パズルは解ける。』

ということになるそうです。

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「仮想」 2

2016-06-09 19:17:50 | 癒し

なぜ言葉では伝わらないのか。 

それは、Aさんが使う言葉とその人が使う言葉の中身が違ってしまっているからです。 

生きてきた背景が、その人の言葉の定義を作ります。 

また、普段言葉を何気なく無造作に使う中で、言葉の定義を失わせたまま進んでしまうことは珍しくありません。 

ここまで話すとAさんは深く納得しました。 

言葉の意味を取り違えられるのが日常茶飯であることが身にしみているからです。 

 

言葉の本来の定義を正確に捉えていくことが望ましいのですが、今は他人にそれを説得している場合ではありません。 

それに対し、「仮想」の中で伝えられてきたイメージがわたしにはよく理解できたのでした。 

より具体的に、映像的に、動画的に、意味を失わせないままにそれを相手に転送するのです。 

情報量がより多く伝わることになります。 

 

この転送を万事において行えるように訓練するのは、Aさんにとって非常にいい訓練になります。 

『Aさんの世界をこれから作れる。 

これから先がAさんにとっての、見えない世界、精神面での探検になる。 

過去のやり方をある意味忘れ、新しい方向に入っていかないと。』 

『主観的でなく、自分を置き去りにして見る見方ができるようになる。 

自分じゃないものの見方。』 

違う視点が自分に入ってきます。 

高次元からのメッセージと言ってもいいかもしれません。 

 

Aさんは、 

「今の自分の器の中では限界と思う。 

いっぱいいっぱいです。 

次に進まないと、という気はしています。」 

と語りました。 

わたしも自分の体験を話します。 

「一人の人間が一人の病気の人間に対し、できることは限られています。 

わたしの力で人の病気や精神的なものを治してあげるなんてことは無理。 

自分でないものに委ねないと。」 

話しながら自分でも整理がつきました。 

それが、 

『自分を置き去りにして、自分ではないものの見方をする』 

という意味なのです。 

それをAさんは持ちえます。 

やはりわたしがしていることに近くなりそうです。 

 

一言付け加えておくと、これは「自分のものではないものの見方」を転送するからこそ有効なのです。 

自らの一方的な価値観を見えない世界を通じて離れた相手に植え付けようとすることは、その人自身も影響を受け、危険なことになります。 

自分の「限定された力」を使って相手を癒そうとするのが危険なのと同じことです。 


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「仮想」 1

2016-06-08 07:40:08 | 癒し

社会福祉の分野で働いている女性、Aさんです。 

精神保健福祉士の資格を取る方向で進んでいます。 

そもそもはそれが目的ではなく、いずれは見えない世界を背景にはたらきを出していくことになりそうな方なのですが、現在は今まで学んできた規定のコースからその道に進みました。 

 

Aさんはもともと人生経験豊富で人を見る目がある方です。 

精神障害者に対する援助の仕事をしていながら、接する方々のどこに問題があるかを即座に見抜きます。 

「どうして自己中心的に考えるのか」 

「なぜ人のせいにばかりするのか」 

という思いがめぐるのです。 

このストレスはわたしにもよく理解できました。 

「他人が幸せになるように考える」 

「他人への思いやりを持つ」 

ことが、その状態から抜け出すには早いのですが、それは口ではなかなか伝わらないのです。 

「どうしてもその状態から抜け出したい」 

と日夜方向を模索している人には可能性があります。 

しかし、毎日をこれまで通りに過ごしているばかりで手一杯だと、その場での自分の不遇をかこち不満だらけ、人のせいにしてばかりで悪循環から抜け出せません。 

逆に言えば、 

「自分に原因があったのだ!」 

という気づきさえあれば、もう好転への第一歩を踏み出しているのです。 

 

なんとかしてあげたいという気持ちから熱くなり、Aさんは彼らにアドバイスをするのですが、自らの根本的な問題に目を向けようとしない人からは逆に疎まれてしまいます。 

「Aさんに強く言われた。」 

という苦情が上司に行き、余分にストレスを抱えることになりました。 


『仮想をしなさい』 

という言葉が降りました。 

読み方は「かそう」ではなく「けそう」です。 

辞書で調べるとその言葉はないのですが、伝えながらそのイメージは浮かび上がってきました。 

 

その人が思いやりをもって行動する姿を思い浮かべて、その人の頭の中に投影させる、という場面が見えたものでした。 

「こうしてみて」 

と言葉で言ってもきつくなりますが、うまくいっている姿をその人にインプットすることからはコミュニケーションの軋轢は生まれません。 

「その人が思っている幸せ(他人が自分の思うように行動する)」ではなくて、 

「こういう生き方が調和的で幸せなのでは?」 

と想像する姿を送ってあげるのです。 

 

ちなみに「けそう」と読む言葉には「懸想」というものがあります。 

「異性に思いをかけること」 

という意味で、本来存在する言葉「仮想」と「懸想」の一部同士を組み合わせれば、今回の「仮想」に近いように思えます。 

 

エネルギーは言葉以外でも伝わります。 

言葉で通じることもありますが、伝染させている思いもあるのです。 

ある人に触れるとパッと気づくことがあるのも事実です。 

それは見えないかたちで流れ伝わっているものがあるからです。 


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熊本の「鍵」 2

2016-06-02 12:18:27 | 旅の記録

この場所が

『聖所』

という言葉から始まりました。

 

『神の意志が近い。

大きな発表がある。

火の神が出る。

752』

 

熊本という地がどういう状態にあるかが気になっていたので聞くと

『土壌はキッとしている。』

キリッと、というイメージです。


さらに祈っていると、これから先へ

『促す力』

を感じます。

そして、

『人は皆平等を感じ始める。

順番にやる。』

で締めくくられました。

 

祈っている間は軒下にいるので雨の音が強くなっているのがわかるだけでしたが、振り向いてみると雨は川になって階段を拝殿に向けて流れてきているのでした。

 

拝殿脇からさらに下に階段を降りると御塩井という湧き水の出る場がありましたが、小道が完全に水没しており、行くのを諦めました。

 

 

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熊本の「鍵」 1

2016-06-01 14:17:28 | 旅の記録

地震後の熊本で「鍵」になる場所が

『草部吉見神社』

だと伝えられ、タイミングを見つけて回ろうと考えていました。

高森町にある、阿蘇外輪山の東南に位置する神社です。

ここ20年でパワースポットとして非常に有名になった幣立神宮からそう離れた場所ではありません。

<草部吉見神社の地図>

興味がある方は中央構造線の地図を拡大して見比べてみてください。

重なっていることが顕著にわかります。

<中央構造線の地図>

 

5月29日(日)は元々福岡でセッションに充てるつもりでいたのですが、どういうわけか今回はなかなかご希望の方が出てきません。

ならばとその日に熊本行きの予定を組むことにしました。

するとパタパタと進み始め、熊本にお住いの方に現地でお会いすることになったり、万事が仕組まれていたかのようにスムーズに運びました。

 

朝8時半に博多から熊本駅に到着。

手配しておいたレンタカーに乗ります。

事前に調べて多少の遠回りがあることはわかっています。

 

レンタカーのナビが示した道は、御船町、甲佐町、山都町を通って草部吉見神社のある高森町に至る、南側にぐるりと迂回するものでした。

この通りに一部並行して走る川を渡る橋には、地震により破損があったのか工事中で通行できないものがありましたが、ルート上には通行止めの箇所はありません。

 

甲佐町に入ると、屋根の瓦が一部飛んだのでしょう、青いビニールシートに重しを乗せてある家が半数以上ある地区もありました。

東日本大震災の2ヶ月後に走った千葉県内の東部の様子と似ています。

 

2時間程度で草部吉見神社に到着です。

雨が強く降っていました。

今外に出てもびしょ濡れになるばかりと、しばらく車内でその後のルートをどのようにとるか地図を眺めているうちに、雨は静かになってきました。

 

宮崎の鵜戸神宮、群馬の貫前神社とともに「日本三大下り宮」とされているそうです。

鳥居をくぐって拝殿に向かう様子は写真の通り、階段を下っていくものです。

 

鳥居をくぐってすぐに雨が強くなりました。

折り畳み傘はカメラと鞄を守るために前目にさしているので無防備な背中側は強い雨に容赦なくさらされ、メッシュのスニーカーの中は雨が浸水していくばかり。

これはもう、こういう日に呼ばれたのだと覚悟するしかありません。

 

 

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磐座をめぐる一日 3

2016-05-19 10:10:51 | 旅の記録

松尾大社と出雲大神宮は、京都市を西側で区切る山の連なりの東端と西端に位置します。

そして出雲大神宮は松尾大社のちょうど北西にあたります。

 

出雲大神宮に近づくにつれ、いろいろなエネルギーがかなり忙しく動いているのが感じられました。

その日だけの現象かもしれません。

 

拝殿付近には、風雲急を告げる状況に慌てているエネルギーも感じられました。

 

拝殿向かって右側から上がっていくと磐座の方面です。

その途中の上の社。

素戔嗚尊が御祭神です。

この付近も忙しく、上っていくエネルギーも感じられます。

 

いよいよ磐座への入り口です。

この御神体山は「御影山」というそうです。

この辺りに来ると非常に落ち着きが感じられてきました。

 

 

曇天をバックにした新緑も美しい。

 

磐座です。

国常立尊が鎮座されているということです。

 

 

『長らくお待たせしました。

答えを明かして。

神の波及効果。』

 

『7の位置にくる。

遺伝子の?(スイッチが)オンになる。

天皇制がここまでくるとバンザイだ。』

 

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磐座をめぐる一日 2

2016-05-18 08:29:27 | 旅の記録

当日の明け方は姫路のホテルの窓を激しく打ち付ける雨の音で目が覚めました。

大気の不安定な状態の日で、予報でも昼前まで雨とされていました。

松尾大社に到着した時は生ぬるい風が吹いていましたが、雨は止んだ状態でした。


磐座には神社からのみ入山できるようになっており、天候によっては入山が制限されるとのことでしたから、神社の方に聞き

「大丈夫ですよ。」

と言われ安心したのでした。

 

まず拝殿に挨拶します。


やはり富士山から、またここからどこかへの「つながり」を感じます。

訳のわからなかったビジョンは、横から見た五段の階段に、力士のような大きな人が一段に一人ずついるものでした。

 

入山受付では全員の名前を記入し、白いたすきをもらい、首からかけます。

また、竹でできた杖を渡されました。

登り始めてすぐの階段に、先ほどまで荒天だったせいで、7、8メートルほどの高さの木が倒れ、道をふさいでいました。

時間も早かったせいでしょうか、様々な条件が人払のように遮っていたのかもしれません。

 

30分足らずで磐座に到着。

神威が漂います。

計り知れない力を感じます。

 

意外な言葉がありました。

海外のある聖地が閉じ始めるというものです。

富士山とつながっているという人も多い場所なのですが、もしかしたら富士山のエネルギーの変化と関係があるのかもしれません。

また、その日の全ての神事が終わってからですが、そのことにより

『グランドデザインが出来上がる。』

と伝えてきました。

 

ご神域では一切写真撮影が禁じられていました。

神社のウェブサイトに美しい磐座の写真が載っています。

<松尾大社のウェブサイト>

 

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磐座をめぐる一日 1

2016-05-17 08:16:18 | 旅の記録

5月11日に、亀岡にある出雲大神宮と、西宮にある越木岩神社を回ることにしていました。

きっかけは京都のSさんでした。

Sさんは70歳代の女性で、ポーセリンアートの講師のかたわら、エネルギーを注入した塩や水を作り、縁ある方々に分けて差し上げています。

その水を作るために使用しているのが、出雲大神宮のご神水なのです。

Sさんに

「出雲大神宮の崇神天皇の社が気になるのですがどう思われますか?」

と尋ねられ、一度行ってみるのが良いように思ったのでした。

 

また、ある方に越木岩神社に行くようにお勧めし、後でその神社のウェブサイトを開いた瞬間頭がグラグラしてしまったのが、越木岩神社を道程に加えた理由です。

 

もともとその二社を中心にゆっくり回ろうと計画していたのですが、5月2日の富士山五合目で

『松尾山に来い』

と伝えられたことから、まず松尾大社から参拝することにしました。

松尾大社は大宝元年(西暦701年)に社殿が創建された京都で最古の神社の一つです。

祭神は大山咋神。

神社の人から聞いた話では、同じ神を祀る、比叡山の麓の日吉大社が京都の表鬼門、松尾大社が裏鬼門の守りとなっているそうです。

社殿の背後にある松尾山の頂上付近の斜面にある巨大な岩石が古代の磐座で、社殿ができる前はここが祭祀の場所でした。

 

『松尾山に来い』

ですから、山に登り磐座に参拝することになります。

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