弟夫婦に対して建物明渡請求訴訟を提起している。
去年の9月に訴状を提出した。本人訴訟という方法をとった経緯など詳しいことはいつの日か裁判に関すること全部(準備書面等)公開するつもりでいる。
一昨日(平成31年3月15日)は期日4回目で進行協議期日だった。
前回の期日に被告(弟夫婦)側から和解の上申書が出されていたためである。
裁判は弁論準備手続をとっており非公開で行われる。これが裁判の主流であるようだ。
被告である弟の行動に恐怖を感じることがあるので入退廷の時に少し時間差を持ちたいと
私は裁判所側に申し出た。
そして、相手方弁護士と私(代理人弁護士がいないので)、裁判官の三者で手続きが進められていた。
しかし、当日は被告の一人弟と訴外者である姉が弁護士と共にラウンド法廷の前の廊下のソファーに座っていた。
もちろん、被告弟は当事者であるから参加できる。
被告本人が参加する場合には知らせてもらえるものと思っていた私は、驚いたがさりげなく、あら、と声をかけた。
あら、という言葉に弟は何があらだと、反応して、その後に宮古島の方言で「ンゾウナムヌヤー」と聞こえるように言った。
その言葉の意味は一言では言い表せないが、哀れ、可哀想な、残念な人生を送っている等侮辱的な蔑みの言葉であリ、人を行動ではなく人としての価値を評価するときに使う言葉で非常に不快な言葉である。
直ぐに私は担当書記官に被告の参加をなぜ知らせてくれなかったのか。
もうすでに侮辱的な言葉をかけられたと、抗議した。
すると、書記官は誰がきているんですか、と知らない様子だった。
ここにきて被告人弁護士は書記官のところに来て原告と姉が来ていることを告げた。
弁護士はアンフェアーであると思う。
参加することを知らせる機会は何度もあったはずである。裁判所に電話一本すれば済むことである。
当日でも、地方裁判所の入り口でちょっと距離はあったがこんにちはと笑顔で先ににこやかに声をかけてきた。
もちろん、私は満面のとはいえないまでも笑顔で、ちょっと驚きながら挨拶を返した。
開始時間の15分前である。この時多分、弟と姉も近くにいたと思う。
弁護士が大柄な人なのでその人だけを個別的に認識して、その他は今日は人が多いなという感じだった。
不思議だったのは弁護士がいつも時刻ギリギリに来るのに今日は早くに来て距離があるにもかかわらず声をかけてきたことだった。
この状況で、この時二人が来ていることを私に伝える時間はあったはずである。
そして、私は一般待機室で10分ほど過ごして5分前に書記官室の前に着いた。
この時、先に来ていた弁護士は被告と姉が参加することを書記官に伝えて、
裁判官の許可を得ることも可能であったはずである。
私が抗議するまで知らんふりをしていたのは誠実さに欠けると思う。
私は被告弟の参加を拒否したので以後この日は顔を合わせることは無かった。
16時;原告が206号法廷入室
16時10分;書記官が別室で裁判官と被告代理人弁護士が協議中と説明。姉と弟も参加しているか聞くと否定した。
16時15分;裁判所側の司法修習生が入室。
16時20分;裁判官と被告代理人弁護士のみで話し合い。原告は別室(437号室)で待機。
16時35分;裁判官に呼ばれ、206号室に戻る。このまま母のことを無かったことにして和解はできない。と明確に伝える。
16時45分ごろ退室。
その日は被告準備書面2(3月8日提出期限、3月12日提出)も上程された。
次回の期日を決め終わるまでに約1時間かかった。
帰りは二人と顔を合わせないように、私が先に帰るように裁判官が配慮してくれた。
後になって深い悲しみが湧いてきた。
母が亡くなって始めて顔合わせるのにまともな会話すらできない人間という生き物はなんて無慈悲な存在なんだろう。
私たちは何故、兄弟として生まれ生きてきたのだろうか。
何故、弟は母の具合が悪いことや逝ってしまったことを知らせないで平気でいられるのだろうか。
疑問は湧くばかりである
追;姉が裁判所に来た理由が後で聞くと和解に際して、原告に返して欲しいお金があるので、それと被告の賃料を相殺するためらしい。
しかし、私は姉に返さなければならないお金は無い。姉に請求されたこともない。
弁護士さんは何を考えて、悪知恵を吹き込んでいるのでしょうか。