元気そうといわれる。いつから元気になっただろうか、と考えてみた。
子供の頃、家族中で最も身体的なトラブルを抱えていた。
ある日父に尋ねた。「父ちゃん!こんなにあちこち痛くて生きていけるかね」と。
父の答えは「大丈夫、自動車だってあちこち調子が悪くても、ちゃんと動くから」というものだった。
父が仕事で車を運転していた頃、よく車が故障していた記憶があり、その答えに妙に納得したのを今でも鮮やかに覚えている。
結婚して、娘が生まれてからも両手が荒れて、手袋を離せなかった。
年の暮れには必ずといっていいほど風邪をひいていた。
ここまでの私は、いつも誰かに甘えていたか、誰かを頼りにしていたか、頼りにしたかったのだと思う。心の奥底で。
病気(医者の診断は慢性関節リウマチ)になった時、病気を治したい一心で考えたことは、今の病気の状態も自分の責任で、日々の選択の結果であり、これからの人生もすべての責任は自分にあるというものだった。
自分の人生を、自分で引き受けたとき、つまり難しい病気になった時から、元気になったのだと思う。パラドックスのようだが。
自分の人生を自分の責任で生きていくという当たり前のことを、意識することで体の免疫機能が強化されたのではないかと、今思う。
自力で、元気でいることを常に考えていると、元気が目標になって、何のために生きているのかわからなくなることがある。
が、今の元気を楽しみたいと思う
子供の頃、家族中で最も身体的なトラブルを抱えていた。
ある日父に尋ねた。「父ちゃん!こんなにあちこち痛くて生きていけるかね」と。
父の答えは「大丈夫、自動車だってあちこち調子が悪くても、ちゃんと動くから」というものだった。
父が仕事で車を運転していた頃、よく車が故障していた記憶があり、その答えに妙に納得したのを今でも鮮やかに覚えている。
結婚して、娘が生まれてからも両手が荒れて、手袋を離せなかった。
年の暮れには必ずといっていいほど風邪をひいていた。
ここまでの私は、いつも誰かに甘えていたか、誰かを頼りにしていたか、頼りにしたかったのだと思う。心の奥底で。
病気(医者の診断は慢性関節リウマチ)になった時、病気を治したい一心で考えたことは、今の病気の状態も自分の責任で、日々の選択の結果であり、これからの人生もすべての責任は自分にあるというものだった。
自分の人生を、自分で引き受けたとき、つまり難しい病気になった時から、元気になったのだと思う。パラドックスのようだが。
自分の人生を自分の責任で生きていくという当たり前のことを、意識することで体の免疫機能が強化されたのではないかと、今思う。
自力で、元気でいることを常に考えていると、元気が目標になって、何のために生きているのかわからなくなることがある。
が、今の元気を楽しみたいと思う