新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月29日 その2 トランプ政権下のアメリカを考えると

2017-01-29 11:25:18 | コラム
トランプ大統領の下にあるアメリカに何を期待するのか:

私は22年半もの間、アメリカの会社で(とは言ったが「外資系」とは違うと確信している)思想も信条からも彼らアメリカ人に可能な限り同化しようと努力して彼らの一員として働いてきた。その点では長期の安定雇用を与えられて、非常に感謝している。結果として彼らの国情に直に接し、彼らの文化を何とか知り得て痛感したことがあった。それは先ず、アメリカは懐が深く世界の多くの国からおおらかに移民を受け入れて、それを国力の強化にも活用したかと思えば、苦しんできた人たちを救済した立派な国柄だと感心したこと。そこには「性悪説」が基調をなす国柄でありながら、宗教上からなのだろうか彼ら移民の救済に出ていった偉さがあったと見た。

ところが世界にはそのアメリカの「人の良さ」に付け込んだ不逞の輩も増えて、アメリカは気の毒だなとも感じていた。世界のリーダーとして、または世界の警察官として良いことをして苦しんでいた人を救い、世界経済の大きな力として貢献し、全世界に多くの面で貢献していたにも拘わらず、そこを見ずして人種差別をするの、格差を拡大させているなどと言うやっかみに近いような批判を浴びても厭わずに、少なくともオバマ政権以前までは努力を続けていたと思っている。だが、意外なほど他国やその国民からは感謝されていなかったのは、本当に報われなかったと同情もしている。

次いでみたことは、美しく広い国土に綺麗な都市を増やし、誰もが生活しやすい環境を作りあげたのだが、後から入ってきた者たち容易に良い職を得られずに低層をなしただけに止まらずその種の多くの層を形成し、少数民族間の職の奪い合いまで生じる結果すら招いてのは残念であり、悲しいことでもあった。それを外から見て歴史と実態を知らぬ者たちが批判したのは不当だろうと言いたい。私は「可哀想だ」とも「本当にお気の毒だ」とも感じていた。

しかし、最早そのような美しかったアメリカが過去のことの事のようになって消えかかっている。トランプ大統領が取り戻そうとされている「偉大なアメリカ」とはそういう懐が深く広かった美しいアメリカなのか、経済でも軍事でも外交でも世界を指導する強力な存在となって中国を牽制し、ロシアとの関係を如何に巧みに裁くのは就任1週間の時点では不明だし、再三使ってきた言葉で“unpredictable”だろうとしか言えない。ではあっても、トランプ大統領が標榜する「再び偉大になる」ことの実態が何であるかを早く知りたいものだと思っているし、正直なところ、少しだけ無形な期待すら抱いている。

メキシコには矢張り折れて出る選択肢しか残っていなかったのか

2017-01-29 07:42:57 | コラム
トランプ外交が本格的に動き出した:

私はトランプ氏が選挙キャンペーン中からメキシコを非難し移民の流入防止の為に国境の長さと同じ壁を建設し、費用をメキシコの負担とすると強調してきたことを、半ば以上本気であろうと疑う気でいた。それは、メキシコを主力に中南米からの合法・非合法と問わず流入してくる大規模な人数が必ずしもアメリカの国益に結びついていないのは歴とした事実である以上、何らかの対策が必要になる時期が来ると、アメリカに出張する度に痛感していた。だが、トランプ方式を考え出した新機軸には「強硬すぎるとも感じるがどうなるだろうか」と危惧は感じていた。

メキシコは(Wikipediaによるやや古い記録では、そのGDPが2兆2,609億ドルで、同年のアメリカの15億3,480億ドルと対比すれば約7分の1強であり、如何にNAFTAがあると言っても、輸出入での対米依存度は高いのだ。それはそうとしても、唯々諾々と建設費用の負担を受け入れると直ちに表明する訳は無いと踏んでいた。果たせるかなペニヤニエト大統領は31日のトランプ大統領との会談はキャンセルしたが、27日には電話会談で共同声明を発表し「支払いについては極めて明確な異なる公の立場がある事を認識している」とした上で、「包括的な協議の一部として解決を図る事で合意した」と述べられていた。読売は28日の夕刊で「両首脳は関係修復に乗り出した」と報じていた。

私はペニヤニエト大統領が当初は強硬な姿勢を見せたが、両国間の経済的な結びつきを考えた場合に、何処かで落としどころを模索していたのではないだろうかとすら考えていた。と言うよりも、何処かで無難な決着を図らざるを得ない立場にあるのがメキシコで、トランプ大統領は始めからそこを目指していたのではないかとも見なしていた。その前提で大統領令にも署名して見せたのは、当然過ぎるほど当たり前の手法だが、そのやり方には端倪すべからざるものがあると覚悟して、安倍総理も来月10日に設定された会談に臨まれて欲しいと願う次第だ。

私は常に指摘してきたことだが、欧米人、就中アメリカ人で一定上の地位にあるエリートたちの社交辞令の巧みさは、我が国の方は一度や二度出会ったくらいでは見抜けないほど見事なものがあると認識している。その巧みな言葉で先ず褒める、賞賛する、敬意を惜しみなく払う語彙の豊富さにはついつい「俺も満更ではないのかも知れない。この地位と身分の方ここまで言われるのだから」と思い込まされる危険性が高い。実は、そういう設定をしておいてから本格的な交渉事に入っていくのが彼らの儀礼であり作戦でもある。

ペニヤニエト大統領もその辺りは熟知していながら、トランプ大統領との電話会談を実行し、解決に向かって一歩歩み出したのかと推察している。さて、安倍総理は如何なる作戦で、何処までの“contingency plan”を準備して会談に臨まれるのだろうか。