石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

アザデガン油田開発で試される日本の資源外交(全4回・第2回)

2006-09-15 | OPECの動向

(注)HP「中東と石油」で全文をご覧いただけます。

(これまでの内容)

第1回:アザデガン油田開発の実行を迫られるJAPEX

 

第2回 アラビア石油に代わる中東石油開発のビッグ商談 

 イラン・アザデガン油田の開発は、2000年11月のハタミ大統領来日時に、日本が優先交渉権を獲得するという形で始まった。1997年に大統領となったハタミは国内改革に取り組むと共に、EUとの関係改善に積極的に取り組んだ。米国との関係は相変わらずギクシャクしたものであったが、同年、仏の国策エネルギー会社Total社がペルシャ(アラビア)湾沖合いの南パルス・ガス田をロシア及びマレーシアの企業と開発に乗り出す計画を打ち出したとき、米国は「イラン・リビア制裁(IRSA)法」の発動を見合わせた。因みに仏はイラクのフセイン政権からイラク国内の数ヶ所の油田開発の利権を取得済みであったが、1991年の湾岸戦争により開発着手をあきらめ、中東でのエネルギー開発の足がかりを失っていた。米国に対する対抗意識が強い仏は、米国がヨーロッパの大国である自国に対してはIRSA法を発動しないことを見越してイランにアプローチしたのであろう。  

 これを見て日本政府もイランにおける油田開発の可能性を感じ取り、イラン政府と水面下の交渉をすすめた結果、アザデガン油田開発の優先交渉権を獲得したのである。見返りとして日本側が30億ドルの原油購入の前払い金を支払うことも同時に合意された。後者については直ちに支払窓口として新会社「シルクロード石油輸入会社」が設立され、前払いは粛々と実行されたが、それに反してアザデガン油田の開発交渉は難航を極めた。イラクとの国境地帯にある同油田には1980年代のイラン・イラク戦争当時に多数の地雷が埋設されており、地雷除去と言う技術的な問題があったが、交渉が難航した最大の理由は、米国とイランをめぐる国際情勢であり、また油田開発に対して米国政府が日本政府をことある毎に牽制したためである。日本政府としては、米国の意向には十分すぎるほどの配慮が必要であった。そこには安保理常任理事国でありヨーロッパの大国である仏は米国の足元を見透かして独自の行動がとれるのに対し、日本は極東の安全保障のために対米協調路線を踏み外すわけには行かなかったという背景がある。  

 油田開発交渉の実際の当事者は、日本側が国際石油開発(INPEX)、イラン側が国営石油会社NIOC(厳密には子会社のNICO)であった。INPEXは旧名を「インドネシア石油」と言い、その名のとおり長年インドネシアの石油開発事業に携わっていた。同社は政府が全株式を有する国策会社であり、経済産業省の指揮下にあった(現在は帝国石油と事業統合し、ホールディング会社が東証一部上場)。そのためトップは代々天下りであり、現在の会長、社長も共に経産省OBである。INPEXは出資に比例した原油を日本に輸入したが、原油の性状が日本の市場に合っていたこともあり、INPEXは高収益を誇り、日本の石油開発企業の優等生といわれるようになっていた。  

 しかしインドネシアの石油資源が枯渇し始めたため、INPEXはそれまでに蓄積した膨大な社内留保を元手に、インドネシア以外での石油開発を目指した。余談ではあるが「インドネシア石油」の英文名Indonesia Petroleum Exploration Co.の略称はINPEXであり、邦文会社名を「国際石油開発」と変更した際、「国際」の英語名が偶々Internationalであるため、同社は従来の略称INPEXをそのまま英文会社名とすることとし、海外での認知度を据え置くことができたのである。ともあれINPEXはその後インドネシアの隣国オーストラリアを手始めに、中央アジアでの鉱区獲得にも乗り出した。  

 ハタミ大統領が来日する直前の2000年初めに、当時わが国最大の石油開発企業であったアラビア石油がサウジアラビア・カフジ油田の利権を失った。エネルギーの安定確保が悲願である日本政府は、それまでアラビア石油の利権延長交渉を陰に陽に支援してきたが、サウジアラビア政府の見返り要求が過大すぎて交渉は決裂、結局カフジ油田の利権は消滅したのである。このため経済産業省はアラビア石油にかわる大型油田を求めていたが、そこに現れたのがイランのアザデガン油田開発であった。  

 政府はアザデガン油田の開発をINPEXに担当させることとし、イランとの交渉に当らせた。噂によればINPEXの社内関係者はアザデガン油田には手を付けたくなかった、と言われている。政治的な背景を考えれば、イランとの交渉が如何に困難なものであるか容易に想像できたからであろう。しかし可採埋蔵量260億バレルと言われるアザデガン油田ほどの巨大油田の開発案件は世界に例がなく、政府としてはカフジ油田にかわる中東の新たな石油開発プロジェクトとして何としても日本のものにしたかったのである。  

 3年半に及ぶINPEXとNCIOの交渉の結果、2004年2月に両者は漸く開発契約に調印した。調印時の日本とイランの共同声明によれば、INPEXとNICOがそれぞれ75%と25%の参加権益を持ち、NIOC(イラン国営石油会社)のコントラクターとして、アザデガン油田の評価・開発作業を推進することが合意された。開発は二段階に分かれ、第一段階は契約調印後3年4ヶ月で日量5万バレルの生産を開始、その1年後には同15万バレルに拡大する予定で、第二段階は調印8年後から日量26万バレルの生産が計画されている。日量26万バレルと言えば2005年の日本の消費量の約5%に相当し、もし計画通り実現すれば石油確保に頭を悩ます日本にとって大きな朗報である。契約プロジェクトの投資額は20億ドルと見込まれ、投資額の回収期間は第一段階で6年半、第二段階で6年とされている。  

 日本は原油輸入量の15%程度をイランに依存しており、アザデガン油田開発と言う経済協力によってイランとの絆を強め、同時に26万バレルの石油を確保できることは、日本にとってまさに一石二鳥である。日本政府(経済産業省)は契約の調印に大いに勇気付けられ、一日も早い生産開始を目指してINPEXを督励したいところである。  

 しかし2000年のハタミ大統領訪日時の基本合意と、その後の2004年の開発契約調印後、現在に至るまで客観情勢はむしろ悪化の一途をたどっている。ハタミ政権発足当初に期待されたイランと米国の関係は改善するどころか、2001年に米議会はIRSA法案を5年間延長し、2003年イラク戦争でフセイン政権が崩壊した後、米国はイランをテロ支援の「ならず者国家」と名指しで非難、さらに最近では核開発疑惑問題を取り上げ、イランに国連制裁を課そうと躍起になっている。  

 小泉政権は米国との協調を最大の外交方針としている。アザデガン問題について米国は日本とイランの契約交渉の過程で常に強く牽制しており、日本側は米国の意向を無視することができない。2004年の調印後既に2年が経過したにもかかわらず日本は未だに契約履行の具体的な行動をとることができないままである。痺れを切らしたイランは期限を指定して日本側に契約の履行を迫っている。  

 国連制裁問題では、仏などEU諸国はイランに対して米国とは異なる対応策を模索している。そして日本以上にエネルギー確保が緊急の課題である中国は、イランの立場を擁護するかのごとき姿勢を示している。中国は安保理常任理事国としての地位を利用して、国益のためにイランにおもねる作戦のようである。このままでは、アザデガン油田の開発は仏や中国などの外国企業に横取りされかねない状況である。  

 次回はイランの石油と天然ガスに触手をのばす外国の動きを探る。

(次回以降の予定)

3.イランの石油と天然ガスに触手をのばす中国、インドなど

4.対米追随では全てを失う日本、小泉後の中東資源外交に明確な姿勢を

***** 最新の業界ニュース(プレスリリース)を見る。 → 「石油文化」ホームページ *****

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« OPEC、現行生産枠を維持 | トップ | アザデガン油田開発で試され... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

OPECの動向」カテゴリの最新記事