Leikon's Photo Diary

写真とカメラなどに係わる独り言

格差世襲について

2008年09月01日 23時57分32秒 | 日記など

先週の『週刊ダイヤモンド』のテーマは「格差世襲」。私は一部の古典芸能(歌舞伎、能等)を除くと、世襲には基本的に反対の立場です。殊に国会議員の世襲には反対。
さて、記事を乱暴に纏めると、親の財力と子供の年収の相関、親の学歴と子供の学歴の相関は高く、下流の子は下流でしか成り得ず、挑戦する権利すらない状況にある、と。まあ、私が就職したての頃に売れた本で『金魂巻』というのがあって、そのキャッチが「マル金(○の中に金が入った文字。金持ちの意)はますますマル金に、マルビ(同様)はますますマルビに」。一方で、(本が出た頃になりますが)30年ほど前までは、要すれば「家貧しくて孝子出ず」となる環境があった。例えば、私大に比べて国立大の学費が格段に安く抑えられていたことや高校までの公教育がそれなりに機能していたとの、識者コメントもありました。正にそう思います。
で、行き着く結論が、格差が固定化される世の中にした元凶は、公教育の荒廃を見過ごし、国立大学の学費を私学並みに引き上げた三等官庁
我が家の例でも、愚息が中3になった2002年4月から学習指導要領が変更され、相対評価から絶対評価に変わりました。で、愚息の時は導入初年度でしたから、一学期が終わったら、愚息の中学では早速に問題が噴出。社会で中間、期末のテストで二回とも単独最高点でも5が付かない生徒の父兄から話を聞きました。5(5段階、以下同じ)を付けなかった理由は、その教師に拠ると「リポートで1%書き込みが足りない」ことだとか(更に、1%不足の意味を具体的に訊いても、1%足りないと鸚鵡返しにするだけだったとか)。また、この中学の音楽の先生は半数程度に2を付けました。また、数学では5が5%もいなかったのに、隣の中学では1/3が5だったとかで、大騒動になりました。神奈川県では県立高校への入試において内申点の比重が高く、通知表の数字の持つ意味は極めて大きいことが背景にあります。こうしたことを承けて(当然に)父兄会が開かれましたましたが、その年に赴任した校長は出席しませんでした。余りの紛糾に教頭の要請でやっと出てきたという危機管理能力の無さ(異動が決まったときから、事情通の父兄の間では、前任の校長に比べて力量不足が懸念されていたとか)。校長・教頭とも、通知表についてはある程度の指導はするが、基本は各教科の担当に任せるというのが回答でした。親の財産権への侵害にもなるんじゃないのかとチョット刺激的な言葉を遣おうかと思っていましたが、社会科の教師でも何のことか解らないから反感買うだけ、と某私立高校の先生に言われたので止めました。結局、内申書に反映される二学期も全く変化なく、厳しい方に不公平な点数のままでした。自分たちのしていることがどういう影響を与えるのか、が全く解っていません。これで、大きく合否が左右されますから、県立に行けた筈の生徒が私立等に行かざるを得なくなったりしました
本当に幸いなことに、愚息は内申点の全く関係無い、また学費の比較的廉い官立高校に進学できましたし、初年度だけの混乱と思っていました。が、これまた『週刊ダイヤモンド(今年の4月5日号)』の42ページに拠ると、横浜市W中学は36%の生徒に5が付くが、真鶴町M中学では1.4%(14%じゃないですよ)とか、1と2を全く付けない横浜市W中学とかの実例が出ていました。5年経っても、このザマですかね。と思っていたら、何時の間にか報道も小さくなりましたが、大分県教育委員会と教師連のテイタラクを見ると、この国の公立教育界は腐りきっているのでしょうね。自分の家族が合格することで、本来合格しているのに不合格にされ、挫折を味わう人がいることに全く想像が及ばない教育関係者。こうした人の心の痛みが解らない人間が、校長や教頭や、それらに人事権を行使できる高位になっているのですから、イジメがなくなる筈もない
で、その根源は、官僚にでもなるか官僚にしかなれない「デモシカ」国家公務員の集まりである三等官庁でしょう。ゆとりと言ってみたり、学力低下に慌ててみたり、プリンシパルの全くない官庁。私の学生の頃、公務員を目指す友人で、最初からこの官庁を第一志望にしていたのは1人しか知りません(科学技術庁と合併前の話です)。また、愚息の小・中学でも普通に合理的な教諭もほんの少数はいましたし、本当に立派な方も1人、2人は知っています。ですが、まぁ、官立(除く国立)の教師の大半は「(地)頭の悪い」者ばかり。
結論:バカ(な文部官僚と教諭)は死んでも治らず、しかも再生産される。


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