クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

「風林火山」。上杉政虎から離反した“成田長泰”がとった行動は?

2007年11月22日 | 戦国時代の部屋
――上杉政虎への禍根。
鶴岡八幡宮にて馬から下りなかったために、
忍城主(埼玉県行田)“成田長泰”は上杉政虎から打擲されました。
「これが小田原に真っ先に駆けつけた者への仕打ちであろうか」
と、長泰は政虎からの離反を決意したと言われます。

しかし、このとき長泰には気がかりなことがありました。
それは政虎に預けた人質のことです。
大河ドラマ「風林火山」では人質は長泰の奥方という設定でしたが、
成田氏の興亡史『成田記』には子の“若枝丸”となっています。

通説では、政虎から打擲を受けた長泰は“すぐに”離反したため、
厩橋城(群馬県前橋)に預けられてた若枝丸を救い出すというシナリオです。
以下は『成田記』に拠るものです。

長泰の離反が知られれば、若枝丸の命はありません。
そこで家臣たちは城から救出する作戦に乗り出します。
“松岡四郎左衛門”と“島田右近”は、厩橋城に入城。
そして老臣“手島美作守”に、若枝丸を連れて即刻脱出するよう伝えました。

その日の晩、彼らはこっそり城を抜け出すと、
雨が激しく降り注ぐ中、漆黒の闇の中を駆けます。
剛力の島田氏は若枝丸を軽々と背負い、疾風の如く走りました。
そのあとをほかの家臣たちが追いかけましたが、
目立つのを恐れてやがて散り散りになります。

それからどのくらい駆けたのでしょう。
新田郡世良田まで辿り着いたとき、
彼らの耳に聞こえてきたのは朝を告げる鶏の声でした。
――夜が開けるまで安全な場所まで……。
しかし、利根川に差し掛かると、
おりからの風雨と雪解け水で川は増水し、
とても容易に渡れそうもありません。
彼らは舟頭に金銭を握らせ、
どうにか舟を出してくれるよう必死に頼みました。

これを引き受けたのは2人の若者です。
彼らは舟に乗り込み、岸を離れました。
しかし、板東太郎の異名を持つ利根川はたちまち牙を剥くのです。
濁流に呑み込まれ、梶がきかなくなります。
流れに揉まれる葉のごとく、
彼の乗った舟はどんどん流されていくのでした。

「もはやこれまでか」と、誰もが覚悟を決めます。
しかし天の助けか、川の流れは次第に穏やかになり、
なんとか岸に漂着しました。
若枝丸と家臣たちは舟を下り、無事に忍城へ入城したのです。
かくして、若枝丸と対面した父長泰は
涙を流してその無事を喜んだと『成田記』に記されています。

※永禄4年6月10日付の上杉政虎に宛てた近衛前嗣の書状によると、
 「人しちなり田・ミのわなとにも、ミしやうへまいり」とあります。
 政虎が厩橋城へ帰陣し越後へ帰国したのは同年6月下旬。
 長泰の離反は打擲のすぐあとではなかったものと思われます。
 ゆえにこの人質救出は創作か、通説よりあとの出来事かもしれません。
 あるいは、成田長泰の打擲事件そのものが創作の可能性があります。

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