埼玉県羽生市内に城の遺構(堀や土塁など)はないが、
「城」の字がいくつか散見される。
例えば、「城沼公園」。
羽生市東7-8に位置する公園で、
羽生警察署や羽生市役所が近い。
羽生城は平地に築かれた平城で、
絵図から推察されるに、沼を天然の堀としていた。
沼に突き出るようにあった台地を利用し、
そこに本丸や二の丸といった郭を配置したのだろう。
したがって、羽生城は沼や湿地帯で防御を固めた城だったことが考えられる。
このことは、近隣の忍城や騎西城、館林城や深谷城などからも類推される。
羽生城が廃城となったのは慶長19年(1614)で、
城跡は代官所として使用されても、軍事的要素は薄くなっていったのだろう。
時代とともに沼は埋め立てられ、新田として開発された。
沼の全てが一気に消えたわけではなく、
昭和49年の羽生市役所庁舎完成以前に残っていた沼や湿地帯を実際に目にした人は多い。
現在はアスファルトに覆われ、沼を想像するのも難しい。
ただ、ゲリラ豪雨後に市役所付近に水が溜まるのは往時の名残と言ってよい。
その名残を示すかのように、「城沼」の言葉が使用されている。
城沼公園は個人的に好きな公園の1つだ。
南には中川、少し西へ行けば葛西用水路が流れている。
かつては伊奈忠次の銅像が近くに建ち、中川沿いには桜並木があったが、
中川改修工事によっていずれも姿を消した(銅像は移転された)。
かつて公園内にあったターザンロープもない。
ただ、キンカ堂の古書市の帰りに『田舎教師』を拾い読みしたベンチはいまも残っている。
三角屋根の四阿も現存し、園内のケヤキも変わらず立っている。
景色が変われば、むろん人も不変ではない。
あの頃かかりつけの医師はなかったのに、
気が付けば城沼公園から2軒横の平野クリニックの常連になっている。
城沼公園(埼玉県羽生市)
「城」の字がいくつか散見される。
例えば、「城沼公園」。
羽生市東7-8に位置する公園で、
羽生警察署や羽生市役所が近い。
羽生城は平地に築かれた平城で、
絵図から推察されるに、沼を天然の堀としていた。
沼に突き出るようにあった台地を利用し、
そこに本丸や二の丸といった郭を配置したのだろう。
したがって、羽生城は沼や湿地帯で防御を固めた城だったことが考えられる。
このことは、近隣の忍城や騎西城、館林城や深谷城などからも類推される。
羽生城が廃城となったのは慶長19年(1614)で、
城跡は代官所として使用されても、軍事的要素は薄くなっていったのだろう。
時代とともに沼は埋め立てられ、新田として開発された。
沼の全てが一気に消えたわけではなく、
昭和49年の羽生市役所庁舎完成以前に残っていた沼や湿地帯を実際に目にした人は多い。
現在はアスファルトに覆われ、沼を想像するのも難しい。
ただ、ゲリラ豪雨後に市役所付近に水が溜まるのは往時の名残と言ってよい。
その名残を示すかのように、「城沼」の言葉が使用されている。
城沼公園は個人的に好きな公園の1つだ。
南には中川、少し西へ行けば葛西用水路が流れている。
かつては伊奈忠次の銅像が近くに建ち、中川沿いには桜並木があったが、
中川改修工事によっていずれも姿を消した(銅像は移転された)。
かつて公園内にあったターザンロープもない。
ただ、キンカ堂の古書市の帰りに『田舎教師』を拾い読みしたベンチはいまも残っている。
三角屋根の四阿も現存し、園内のケヤキも変わらず立っている。
景色が変われば、むろん人も不変ではない。
あの頃かかりつけの医師はなかったのに、
気が付けば城沼公園から2軒横の平野クリニックの常連になっている。
城沼公園(埼玉県羽生市)