映画「人間失格」のポスターは太宰治役である小栗旬が大きく写っていますが、
実のところ、主役は太宰をとりまく3人の女性たちです。
妻の美知子、
伊豆の太田静子、
太宰と共に入水する山崎富栄。
実際、この映画の副題は「太宰治と3人の女たち」。
田部シメ子(田辺あつみ)は一瞬登場しますが、
さすがに太宰の晩年を描いているので小山初代は出てきません。
大人になると太宰の印象は変わってきます。
10代に親しんだ作家が、そのままの像でいることは稀かもしれません。
太宰治は好きな作家の1人であることは変わりませんが、
「人」としての評価は十代の頃とだいぶ違います。
映画の中では、太宰は流行作家として描かれています。
さも自立しているような印象ですが、
彼が大地主の息子であることを忘れてはならないでしょう。
太宰が小説を書き続けられたのも実家かから仕送りがあったからです。
それは所帯を持ってからも続いていました。
その経済的援助がなければ「作家太宰治」が現在の評価を得ていたかは疑問です。
非合法運動、卒業しようとしない大学、鎌倉での心中事件、
小山初代の過ち、水上での自殺未遂とハチャメチャな青春時代を送っています。
だからなのか、十代の頃は太宰が言う「苦悩」の言葉は違和感を覚えませんでした。
映画でも太宰が「苦悩」の言葉を口にするシーンがありますが、
大人になるとパロディとして感じてしまうのは寂しいことかもしれません。
ところで、映画「人間失格」で最も目に留まったのは子どもです。
太宰治の子どもたちが登場します。
妻との間にできた3人の子、
また太田静子の間にできた赤ちゃんですが、
父太宰治はどのように見えていたのでしょうか。
(内2人は作家になったことは周知のとおりですが)
大人になると、山崎富栄が太田静子の元へ行かせようとしなかったことに、
やるせない気持ちになります。
つまり、太田静子が産んだ子ども(のちの太田治子氏)は、
一度も父親に会えなかったわけです。
それを不憫に思ってしまうのは、十代のときにはなかった感情です。
太宰を「男」でなく「父」として見ているからなのでしょう。
太宰が入水したとき、遺書のほかに玩具が3つ置かれていたということです。
自分の子どもに宛てた玩具だったようですが、やはりやるせない感情を覚えます。
太宰が死の間際に子どもを想う気持ちがあったということが、
かえって切ないのです。
映画「人間失格」は女性目線で描かれています。
観客も女性が多かったように思います。
それにしても、作家が映画の主人公になってしまうのは太宰治ならではでしょう。
桂英澄は、太宰のことを「懐かしい人」と言っています。
一度も会ったことがなくても、いまでも多くの人に読まれているのは、
太宰が「懐かしい人」として私たちの心の琴線に触れるからなのかもしれません。
実のところ、主役は太宰をとりまく3人の女性たちです。
妻の美知子、
伊豆の太田静子、
太宰と共に入水する山崎富栄。
実際、この映画の副題は「太宰治と3人の女たち」。
田部シメ子(田辺あつみ)は一瞬登場しますが、
さすがに太宰の晩年を描いているので小山初代は出てきません。
大人になると太宰の印象は変わってきます。
10代に親しんだ作家が、そのままの像でいることは稀かもしれません。
太宰治は好きな作家の1人であることは変わりませんが、
「人」としての評価は十代の頃とだいぶ違います。
映画の中では、太宰は流行作家として描かれています。
さも自立しているような印象ですが、
彼が大地主の息子であることを忘れてはならないでしょう。
太宰が小説を書き続けられたのも実家かから仕送りがあったからです。
それは所帯を持ってからも続いていました。
その経済的援助がなければ「作家太宰治」が現在の評価を得ていたかは疑問です。
非合法運動、卒業しようとしない大学、鎌倉での心中事件、
小山初代の過ち、水上での自殺未遂とハチャメチャな青春時代を送っています。
だからなのか、十代の頃は太宰が言う「苦悩」の言葉は違和感を覚えませんでした。
映画でも太宰が「苦悩」の言葉を口にするシーンがありますが、
大人になるとパロディとして感じてしまうのは寂しいことかもしれません。
ところで、映画「人間失格」で最も目に留まったのは子どもです。
太宰治の子どもたちが登場します。
妻との間にできた3人の子、
また太田静子の間にできた赤ちゃんですが、
父太宰治はどのように見えていたのでしょうか。
(内2人は作家になったことは周知のとおりですが)
大人になると、山崎富栄が太田静子の元へ行かせようとしなかったことに、
やるせない気持ちになります。
つまり、太田静子が産んだ子ども(のちの太田治子氏)は、
一度も父親に会えなかったわけです。
それを不憫に思ってしまうのは、十代のときにはなかった感情です。
太宰を「男」でなく「父」として見ているからなのでしょう。
太宰が入水したとき、遺書のほかに玩具が3つ置かれていたということです。
自分の子どもに宛てた玩具だったようですが、やはりやるせない感情を覚えます。
太宰が死の間際に子どもを想う気持ちがあったということが、
かえって切ないのです。
映画「人間失格」は女性目線で描かれています。
観客も女性が多かったように思います。
それにしても、作家が映画の主人公になってしまうのは太宰治ならではでしょう。
桂英澄は、太宰のことを「懐かしい人」と言っています。
一度も会ったことがなくても、いまでも多くの人に読まれているのは、
太宰が「懐かしい人」として私たちの心の琴線に触れるからなのかもしれません。