RUNNING BEAR Ⅱ

くまこの日記です。コメントは承認制とさせていただきます。

読売新聞。

2020-01-14 21:46:40 | 新聞記事
1月4日は、読売新聞ヽ(^。^)ノ。



小林コーチという方がお亡くなりになられたのは、記事になっていたので知りましたが、その時初めて航平君の先生だったということを知りました。
この小林先生とのエピソードは、簡単な言葉ではとても表現できないです。
切ないし、胸を打ちます。
厳しかった先生の教えをふてくされて心から受け入れることが出来なかった航平君とひろコーチ。
そんな二人が、今、この苦しい状況で、先生の教えを胸に乗り越えようとしている。
先生はきっと、空から見守ってくれていますね。

ピラミッドの一番土台にあるのは「人間性」。
私は、このメモを、ロンドンの後に読み返したのかな、と最初思いました。
リオの後なんですね。
でも、ポーチに何気なく入れた瞬間に、航平君の心に無意識のうちに何かが植えつけられたのかもしれないですね。
だから、ずっとポーチに入れたままだった。

世界から「キング」と呼ばれる男だけど、先生からしたら可愛い教え子の一人。
「航平を甘やかさないでほしい」
こういうことを言ってくれる人がいるというのは、本当に幸せなことですね。
そして、ひろコーチはしっかりそれを守っています。

この記事の中で、小林先生とのエピソードとは別に私の心に刺さったのは、
「いつもは他人に触らせないリオ五輪個人総合の金メダルも首にかけてもらった」
という一文。
リオの金メダル、テレビに出たりしたときに披露していたような気がするけど、いつもそれは団体の金メダルだったのかな。
個人総合の金メダルを、宝物のように大事にしている航平君に、すっごい胸キュンでした。
いつも、「個人のことは二の次。目指すのは団体金メダル」と言い続けた航平君。
団体の金メダルはみんなのもので、個人総合の金メダルは、体操小僧の夢がいっぱい詰まった、子供が宝物をすごく大事にするような、そんな感覚のメダルなのかなと、ふと思いました。
やっぱり個人総合は、航平君のこだわりであり、体操選手としてのプライドというか、そこは絶対に譲れないところなんだろうな~。




テレビ放送予定。

2020-01-14 21:40:57 | メディア情報など


あさチャン!ですヽ(^。^)ノ。

楽しみヽ(^。^)ノ。



元旦記事。

2020-01-13 21:15:37 | 新聞記事
元旦から航平君の新聞記事ヽ(^。^)ノ。

朝日新聞です



2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオ。
4年ごとの進化がすごいですね。同じ人とは思えない。

航平君が自分のいない世界選手権をテレビで見て感じたことが書いてあります。
点数とか、具体的な技とか、そういうものを超えたものですね。「存在感」。

リオの前のグラスゴーの世界選手権で、団体金メダルを絶対に獲っておかないといけないと航平君は言っていました。
日本は強いんだと、そういう印象を審判に植え付ける必要があると。
採点競技なので、ルールを超えたところにある「何か」が、必要になることがありますね。

肩の痛みは、快方に向かってはまたぶり返し・・・っていう感じなのでしょうか。試合が始まると、追い込んでいかないといけないので、今はそれまでに少しでも良い状態で臨めるよう、慎重に進めている感じですね。

完全に良くなることは難しいと思うけれど、どうかこれ以上痛いところが増えたりしませんように。
祈るところは、その1点のみです

そして、産経新聞も



「リオが終わってから、想像を絶するくらい苦しい戦いになるだろうとは読んでいたけど、それをはるかに超える大きな壁をもらった。」

苦しい苦しい乗り越えなければならない大きな壁も、「もらった」と言い切れる航平君の強さ、前向きさ。
本当に、こういう姿勢にいつでも勇気をもらえます。



NHKWEB記事。

2020-01-12 20:51:20 | 航平君記事

“自分が納得するところまで”体操 内村航平のプライド


「どういう感情で見ればいいのか」



「どういう感情で世界選手権を見ればいいのか、わからなかった。
今までは、試合で結果を残して、自分の“居場所”は、ここなんだというのがあった。
それがない。まさか現役をやっている間に、試合に出られないとは思わなかった。
なんで肩の痛み程度に勝てないのだろう」


「逆境は嫌いじゃない」



「こういう経験が、たぶん生きてくるんだろうな、人生においても。
しんどい時、つらい時にどうやって乗り越えたらいいですか、みたいなことをリオデジャネイロの前や後に聞かれても、何と答えればいいか分からなかった。
気持ちでしょ、というようなことしか言えなかった。
たぶん今は、落ちるところまで落ちればいいんだよ、みたいなことを言えるかもしれない。
逆境は嫌いじゃない。最後に“ぎゃふん”と言わせることができればいいかなと。今はたぶん、そのための準備をしているので。すべてを糧にしている感じ。
代表に入れなかったことも、肩が痛くなったことも自分の人生。
体操を続ける上でも、経験しなくてはいけないことだったのかもしれない」


「山頂に立つために掘り下げる」



「僕の場合は、掘り下げすぎるくらい掘り下げていく。
普通の人が考えている10倍以上掘り下げていく。
それ意味ないでしょ?って思われることもあると思う。
だけど、それが意味あると言いたいし、実際に意味があるんだよっていうのを若手に気付かせたいというのもある」




「山頂は見えない、本当に。かなり見上げちゃっている。
だけど、今だけかなとも思う。すごく掘り下げるので、山頂は見えない。
そこから段階を追って、こうやればこうなる、こうやればこうなるというのを1つずつクリアしていって、春までに半分登っていればいいんじゃないかな」


「強いと思われないと納得できない」



「やっぱり“リー・シャオペン”をやりたい。
これだけは、どうしても諦められない。
ケガのリスクはかなりあるけど、諦めきれないということは、やらなくてはいけないのかという直感。
年数をかけて覚えてリオデジャネイロでは武器として跳んだ。
けがで一生やらないのはもったいない」




「結局けがしても、何しても、体操を戻せるんだなというところが、やはり強さにつながってくる。やっぱ強いなっていう風に、そう思われないと、自分として納得できない」

東京オリンピック その先へ



「東京オリンピックは、本当に人生でも最大の目標。
もちろん、出場して金メダルを取りたいというのはあるけれど、純粋に出たい。
出ればすべてが変わる気がする。
今までのオリンピックというもの、自分が経験してきたものの概念も超えていくだろうし、人生最高の瞬間を迎えるだろう」




「どっちでもない…どっちでもないですね、本当に。
東京オリンピックは、本当に人生でも最大の目標だと思うので、それを達成できればもう終わっていいかなと思うだろうし、達成するために、たぶん生まれてきたと言っても過言ではないと思う。
勝てなければ辞めるという考えも、ボロボロになるまでやりたいという気持ちもわかる。
でも結局は両方とも、自分が納得するまでっていうところだと思う。
一つは2位になる自分が嫌だ、勝ち続けるところで納得して終わりたい、そういう納得の仕方。もう一方は、ボロボロになり続けることで、自分は納得できる、という納得の仕方。
競技は結局、自己満足の世界だし、最終的に行き着くところはそこだと思う。
前は、みじめな姿を見せるんだったらやりたくないと思っていたが、実際にいま自分が、そうではない。
でも、そこにも味が出るんじゃないかな。今まで強かった人でもこうなるんだよ、と。
そこからはい上がったら、もっと今まで残してきたもの以上のものが見せられるのではないだろうか。だからたぶん、どっちでもないんだと思う」



いよいよ、2020年がやってきました。
オリンピックイヤーの幕開けは、新聞記事も特集が組まれますが、やっぱりどのメディアも航平君をまず第一に取り上げます。
ロンドンの時も、リオの時もそうでした。今回は、メディア的には「金メダル候補」という立ち位置ではないかもしれないけれど、やっぱりオリンピックには航平君がいないと始まらない。
そして、1月7日にアップされた、このNHKさんの記事こちら

航平君の語った言葉一語一語が、すべてが航平語録
すべての言葉に意味があり、一語たりとも見逃すことが出来ません。

航平君の出なかった世界選手権。私は、航平君は何となく試合をテレビで見ていたような、そんな気がしていました。
航平君は、根っからの体操小僧。今、世界ではどういう体操が繰り広げられていて、そして、採点傾向はどういう風なのか。それをリアルで見られる世界選手権を、航平君が見ないでいられるわけがないんじゃないかってね。
もちろん、色々複雑な感情があったことは、間違いないと思います。
なぜ、その場に自分がいないのか。その時の航平君の気持ちは、私ごときでは想像もつきません。

そして、
「なぜ肩の痛み程度に勝てないのだろう」

・・・この言葉、もう、ハート粉々になりました
本当に痛くて痛くて仕方なかったはず。それなのに、「肩の痛み程度」って・・・
痛いところがなければ、どんなにつらい練習でも決して弱音を吐くことなくやり遂げる航平君。
練習を積むことが、航平君の強さの土台なのに、その練習を積むことが出来ない苛立ち。
努力だけでは打ち勝つことが出来ない、「痛み」という最大の敵。

「逆境は嫌いじゃない」
そんな辛い状況も、すべて受け入れる航平君。すべて自分の糧になる。
東京五輪が終わった時、今よりももっと、人々にいろいろと語れる航平君になっているね。きっと。
勝ち続けることの辛さ。そして、這い上がることの辛さ。両方経験する人は、世の中そんなにいないと思う。

「やっぱり“リー・シャオペン”をやりたい。これだけは、どうしても諦められない。」
この一文に、私の心はざわつきました。
リー・シャオペン!リー・シャオペン!!リー・シャオペン!!!
もう航平君はリー・シャオペンは跳ばないかもしれない。勝手にそんなことを思っていた自分は、本当に馬鹿だと、そう思いました。
航平君にはあんなに美しく跳べる、世界一のシューフェルトがあるじゃない。Eがすごく出るから、それでも十分に戦えるもん。
そんなことを思っていた私は本当にバカ者です。
航平君の跳馬の終点は、リー・シャオペン。8年かけて習得した、航平君の想いがいっぱい詰まった技。
しかも、この技は、航平君の強さの象徴なのです。
ただ、代表に入って、4人の一員として団体金メダルを狙う。それだけではだめなのです。
怪我が治ったら、やっぱり圧倒的じゃないか。何一つ衰えていないじゃないか。
日本は怖いぞ。だって、日本には「キング・コーヘイ」がいる。
そう思われなければ納得できない。そのためには、リー・シャオペン!
きっと、航平君はこの言葉をものすごくテンション低く語っているはず。想像できます。
なんてカッコいいんでしょう

勝ち続けて終わるか、それともボロボロになるまでやって終わるか。
航平君が言うように、どこで納得できるか、ということですよね。
航平君が納得できるところまでやって欲しいな、と思います。どこまでも、とことん応援しますヽ(^。^)ノ。
結果が出ずにもがく航平君を見るのは、ハートが痛いけど、それでも前を向く航平君にはいつも勇気をもらっています。
そして、ボロボロな航平君は、違う意味でとてつもなくカッコいいんだなあ~(こら)