天皇の退位に伴って、いやおうなしに元号のことが話題となる。
「明治⇒大正⇒昭和⇒平成」の変遷を見ると、新聞社のスクープ合戦が激しかった。
□
「明治」から「大正」になったとき、元号の特ダネを取ったのは、
大阪朝日の入社1年に満たない新人の緒方竹虎だった。
学生時代に可愛がってもらった枢密院顧問官の三浦梧楼から、
「大正に決まった」と、こっそり教えてもらった話は、特に有名とか。
このときは、朝日の勝ちとなった。
□
「大正」から「昭和」に変わったときも、激しい報道合戦があった。
最初に東京日日が「光文」という号外を出した。
報知などもこれに続いた。
実際には「昭和」と決まったが、もともと「光文」になるところ、
東日の号外で変わったというのが真相らしい。
□
「昭和」から「平成」のときは、天皇崩御に伴う事前の複数元号案が用意され、
閣議決定を経て、小渕官房長官からテレビで放映された。
「平成」と書かれた額縁を掲げる長官の姿が鮮明な記憶として残っている。
その「平成」も平成31年4月30日で幕。
□
翌5月1日から新元号となるが、
今回は準備期間も十分にあり「平成」と同様に官房長官から発表される。
今、もっぱらの関心事は5月1日が祝日になるか否か。
もし、祝日となれば10連休のゴールデンウイークとなる。
「明治⇒大正⇒昭和⇒平成」の変遷を見ると、新聞社のスクープ合戦が激しかった。
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「明治」から「大正」になったとき、元号の特ダネを取ったのは、
大阪朝日の入社1年に満たない新人の緒方竹虎だった。
学生時代に可愛がってもらった枢密院顧問官の三浦梧楼から、
「大正に決まった」と、こっそり教えてもらった話は、特に有名とか。
このときは、朝日の勝ちとなった。
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「大正」から「昭和」に変わったときも、激しい報道合戦があった。
最初に東京日日が「光文」という号外を出した。
報知などもこれに続いた。
実際には「昭和」と決まったが、もともと「光文」になるところ、
東日の号外で変わったというのが真相らしい。
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「昭和」から「平成」のときは、天皇崩御に伴う事前の複数元号案が用意され、
閣議決定を経て、小渕官房長官からテレビで放映された。
「平成」と書かれた額縁を掲げる長官の姿が鮮明な記憶として残っている。
その「平成」も平成31年4月30日で幕。
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翌5月1日から新元号となるが、
今回は準備期間も十分にあり「平成」と同様に官房長官から発表される。
今、もっぱらの関心事は5月1日が祝日になるか否か。
もし、祝日となれば10連休のゴールデンウイークとなる。