九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

文芸春秋、新年特大号を読む

2024年01月06日 | 書籍

 お年玉の代わりか?図書カードを貰ったので、

 文芸春秋2024年、新年特大号を買った。

 特別再録「松本清張対談×池田大作」を読むためでもあった。

               

 創価学会の名誉会長池田大作氏が亡くなったのは、昨年11月、享年95。

 最後に池田氏が表舞台から姿を消して数十年が経つが、

 今後の創価学会や公明党が、どうなるのか?

 学会員でもない私だが、関心は大いに持つ。

               

 特別再録の対談は、昭和43年、松本清張氏58才、池田大作氏40才のとき。

 松本氏は、当時の創価学会=公明党の性格を究明したかったらしいが、

 初めは専ら、池田氏からの質問攻めであったとか。

 対談の中で、国政選挙に関し池田氏が拘置所に留め置かれたこと等を知り、

 自民党に反撥を懐いていることを察知し、

 池田氏の息がかかっている限り、

 公明党と自民党が「取引する」ことは無い、との感触を得たと述べている。

               

 現在、自民と公明の連立政権であり、松本氏の当時の想定は外れた。

 だが、このところ、自民党としては東京選挙区での協力解消問題や、

 国交省の大臣ポストが公明党の指定席であること等に不満もあり、

 両党の関係は、曲がり角に差し掛かりつつあるようにも思われる。

 カリスマ的存在の池田氏亡き後、これれの動きは加速するかも?              

 

 

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謹賀新年

2024年01月01日 | 書籍

 皆さま、明けましておめでとうございます。

               

 暮れの大掃除で、本田宗一郎『一日一話』という本が出てきた。

 巻末を見ると、昭和63年第1版第1刷とあるから、

 小生が、まだ現役時代の頃、自己啓発のため買ったものらしかった。

 ほとんど、読んだ形跡が無いから、

 買ったまま、いわゆる積ん読状態だったもの。

               

 最初のページ、1月1日を開いてみた。

 「第1歩を踏み出す」とあり、

 人間が進歩するためには、まず1歩を踏み出すこと、と。

 一歩を踏み出さねば、どんな障害があるかも分からない、とも。

 以下、氏自身の言葉で書かれた366篇の語録集であった。

               

 本田宗一郎さんは、高等小学卆で自動車修理工場の小僧から身を起こし、

 自転車にエンジンを付けたバタバタから、ホンダブランドの高級自動車まで、

 本田技研の創業者であり、立志伝中の人である。

 のちには、上智大学から名誉工学博士号が贈られた。

 授与理由は「模倣をこばみ、独創に徹する真の技術者です」とか。

               

 むかし、我が家にも、いわゆる日めくり暦があった。

 そこには、日ごとに格言やコトワザ、人生訓などが載っていた。

 いま、我が家のカレンダーは、単なる日付と曜日だけの味気ないもの。

 今年は、この本田宗一郎「一日一話」を、

 日めくり暦として、わが卓上に置くことにする。

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ノボさん(小説 子規と漱石)

2023年10月08日 | 書籍

 読まずにつんどく(積読)本が、私の書棚に何冊かはある。

 その中の、伊集院静著『ノボさん(小説 松岡子規と夏目漱石)』を手にした。

 巻末を見ると、

 第一刷発行2013年とあり、

 当時の新刊を買って、私宛に読めと長女から贈って来たものらしい。

 パラパラめくっていると、本の間にしおりが挟んであって、

 「本屋が選ぶ、読んで欲しい小説」との彼女の手書きメモ。

 これじゃ、読まぬ訳にもゆかずとなって、ページを開く次第となった。

             

 ノボさんとは、正岡子規の愛称。

 走るように、飛ぶように生きた三十五年の熱き奔流が主題。

 子規と漱石、二人の友情は日本の未来を拓いた。

             

 子規の俳句は、教科書などで幾つかは知っているが、

 最期の時の絶筆、糸瓜(ヘチマ)の三句を初めて知った。

 糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな

 痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず

 をととひの へちまの水も とらざりき

             

 この時、漱石はロンドン留学中。

 子規の訃報を日本からの手紙で知り、作句した。

 筒袖や 秋の棺に したがはず

 手向くべき 線香もなくて 暮れの秋

 きりぎりすの 昔をしのび 帰るべし

                      

 きりぎりすーの句は、子規と漱石の二人が松山のどこかの草原を散策し、

 その時の子規と、ベースボールに夢中な子規の若い姿を、

 草原を飛ぶ夏の虫に重ね合わせていたのかも知れない。  

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歎異抄余話(つづき)

2023年09月30日 | 書籍

 【前回からの続き】

 ご門跡さまが地方へ巡錫(旅行)し、宿泊先で風呂を使われると、

 その残り湯を門徒らが、こっそり頂戴する習俗があった。

 北陸や東海地方の真宗王国では、ごく普通のことであったらしい。

 持ち帰って、これを飲むというのである。

 その湯には薬用効果があると信じられ、難病も治るという俗信である。

 浄土仏教の弥陀の本願であり慈悲でもあった?

                   

 さて、親鸞の頃の教団は、天台や真言のような大きな勢力にはなれず、

 片隅の説教所のようなものだったらしい。

 本願寺が津々浦々へ勢力を拡大するのは、第8代蓮如の政治力による。

 農村に講を造り、砦のような寺の上に大寺による管理体制をしいた。

                   

 歎異抄を説き浄土真宗を法義とする本願寺の祖となった親鸞。

 最後に、親鸞らが受けた「二位の法印」とよばれた裁きについて触れたい。

 後鳥羽上皇の御代、親鸞以下弟子たちは「仏法の敵」と興福寺の僧らに訴えられた。

 朝廷より罪を得て、親鸞は越後国へ流罪となった。

 親鸞は、僧でもなく俗でもなく、いわゆる破戒僧となったのである。

 それ以降、破戒僧の異名である「禿(とく)」を姓とした。

 署名は、いつも「愚禿(ぐとく)親鸞」とした。

  

 

 

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歎異抄余話

2023年09月29日 | 書籍

 知人から読んでみろと預かった「歎異抄をひらく」という本。

 「無人島へ1冊だけ持って行くなら歎異抄」とか。

 このキャッチフレーズは新聞広告などで、よく見掛けるから、

 タイトルだけでも知らぬ者は居ない。

 いつまでも借りたままでは済まないから、早く読み終えて

 返却せねばと思っている。

 だが、現代語訳の解説文であっても、これが難解・難読である。

 「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」

 念仏すれば悪人でも往生できる、という単純なものでもないらしい。

                   

 親鸞聖人のお言葉を高弟の唯円によって書かれたものだとも知った。

 親鸞とくれば浄土真宗であり、京都の本願寺である。

 本願寺に関連して、私は、あるエッセーを思い出した。

                   

 世襲の法王である門主(東本願寺は法王)は、

 江戸時代からの伝統で「ご門跡さま」と崇められてきた。

 ご門跡さまが旅行することを「巡錫」といい、それにまつわる話しである。

 ご門跡さまの地方巡錫に伴う、奇妙な習俗のことだが、

 この続きは次回へ。

 

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10人に1人が80歳以上

2023年09月18日 | 書籍

 きょう「敬老の日」に因んで総務省のホームページを覘く。

 人口統計が掲載されていた。

 日本の総人口は1億2,440万とか。

 65歳以上の高齢者は2,663万人で総人口に占める割合は29,1%

 70歳以上は2,000万人を超えている。

 なお、80歳以上は10人に1人という計算になる。

                   

 私も、その「10人に1人」に該当する。

 そんなこともあって同輩らの訃報が、しばしば届くようになった。

 心中どこかで、自分の最期を意識するようにもなったりする。

 先日、友人から「これを読め」と預かったのが歎異抄をひらく

 【歎異抄】

 「無人島へ一冊だけ持っていくなら歎異抄」とは、よく聞く言葉。

 タイトルだけは、誰でもが知っている有名な本。

 開いてみるが、内容はチンプンカンプンである。

 「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや

 念仏を唱えれば全ての人は往生できる?ってことか。

                   

 文末【奥義】には、

 浄土真宗の聖教で仏縁浅き人には拝読させてはならぬ、とあり

 信徒でもない私には、読む資格が無いのかも知れない。

 無職で時間もたっぷりあるから、何とか読破したいと思っている。

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ファーブル、昆虫記

2023年09月05日 | 書籍

 タイトルだけは誰もが知っている「ファーブル昆虫記」

 私も、その一人だが、今回たまたま拝読する機会に恵まれた。

 昆虫についての観察と研究の記録で

 文学的な雰囲気もあって美しい散文詩でもあるようだ。

 ファーブルは忍耐と精察とを持てば、困難を突き破ることが可能だとしている。

 以下、カマキリについての一部を引用・紹介したい。

                    

 カマキリの習性を研究するためには、籠の中で観察しなければならない。

 この虫は大食いなので、その飼育期間が数カ月も続くと厄介になった。

 イナゴ、コオロギ、バッタ、トンボなど与え続けねばならない。

                    

 このカマキリは腹が膨れ卵巣の中の卵が成熟して婚姻と産卵の季節が近付くと、

 丁度、嫉妬のような一種の狂暴状態に陥る。

 カマキリの残虐性は、貪ちんな生殖欲と食欲の混濁の中で頂点に達する。

 そしてオスは生殖作用が終わると、あたかも子孫のための犠牲として、

 メスの食糧となって姿を消すのである。

 メスは一匹のオスを平らげると、また次のオスを平らげる。

 私は2週間の間に、メスが7匹までのオスを平らげるのを見た。

                    

 諸君は、木の枝や草に泡状の塊りとなって、

 くっついている3センチぐらいのカマキリの巣を見たことがあるだろうか。

 その巣は実に頑丈で手で破ることはできない。

 ナイフで切ってみると、その中に黄色い卵が2~3百位並んで入っている。

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動物回文から

2023年05月13日 | 書籍

 回文とは「竹やぶ焼けた(タケヤブヤケタ)」のように、

 上から読んでも下から読んでも同じ文章の言葉遊び。

 先日、

 NHKラジオ深夜便で、動物回文なるものを拝聴した。

 出演者は、児童絵本作家・詩人の石津ちひろさん。

 半分、寝ながら聴いていたが、その面白さにすっかり目覚めてメモした。

                  

 象くんパン喰うぞ(ゾウクンパンクウゾ)

 キリン寝ていて念力(キリンネテイテネンリキ)

 チンパンジィから怪人パンチ(チンパンジィカラカイジンパンチ)

                  

 こんな回文を沢山集めた『動物回文集』なるものも出ているらしい。

 早速、書店を覘いて見ようと思っている。

 

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眠る盃

2023年05月06日 | 書籍

 向田邦子のエッセーに、氏が子供だった頃、

 間違って覚えてしまった歌詞の話しが登場する。

 荒城の月の「眠る盃」だったり、田原坂の「ちんばは濡れる」だったり。

                    

 荒城の月は、

 🎵 春高楼の花の宴 めぐる盃 影さして ~

 この「めぐる盃」が「眠る盃」だった。

 

 田原坂は、

 🎵 雨は降る降る 人馬は濡れる ~

 西南の役で退却する薩軍兵士が、片足を引きずり馬と一緒に撤退する様を、

 人馬」を「ちんば」と間違ったまま、と告白しておられた。

                    

 小生にも、何処で仕入れたか忘れたが、

 「恐いカニ」や「ウサギ美味し」がある。

 恐いカニは、浦島太郎の歌詞から、

 🎵 帰ってみれば 此は如何に ~

 竜宮城から還ってみれば、砂浜では「恐いカニ」のお出迎え?

                    

 童謡ふるさとの歌詞から、

 🎵 ウサギ追いし かの山 ~

 ウサギ追いし」が「うさぎ美味し」となっていた。

 戦後の一時期、食糧難でウサギを飼育する家が多かった。

 我が家でも、ウサギの飼育を小学生の私が担当させられた。

 お正月の御馳走は「ウサギ美味し」だった。

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戦争の色はどんな色?

2022年11月28日 | 書籍

 私の書棚には、中原中也の詩集があり、

 戦争に色付けした部分がある。

 タイトル「サーカス」の冒頭部は、次のように始まる。

 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました

 この早世した詩人が、これを作詩した時期は、

 大正から昭和の始め頃と思われるから、

 その戦争は、日清日露の戦やシベリヤ出兵かと思われる。

 中原中也にとっては、戦争の色は茶色だったのである。

                    

 さて、いまプーチンのウクライナ侵攻について、

 戦争に色を付けるとすれば、何色だろう?

 テレビで報じられる戦争は、ミサイルによるウクライナへの攻撃であり、

 標的は病院や集合住宅、ダムや電力のインフラ破壊である。

 時には、核使用をも匂わせての威嚇もある。

                    

 国際社会が培ってきた人間の尊厳や自由や友愛などは微塵も無し。

 あるのは、破壊と人殺しの虚しさだけ。

 中原中也を模して、

 幾時代かがありまして 灰色の戦争ありました

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