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寺院西0156  三鈷寺 西山宗

2016年08月03日 07時16分05秒 | 寺院

いくつかの 行き方があるようですが 

最初に出会った道にしたがって進みました

 

山道を徒歩10分 

 

 

 

 

 

 

 

 

三鈷寺

西山宗の総本山であり、四宗(天台、真言,律、浄土)兼学である。

平安中期の承保元年(1074)、叡山の源算上人が草庵を建て、往生院と号したのが当寺の起こりである。二祖観性法橋を経て、三祖慈鎮(慈円)から西山上人証空(善慧房)に譲られた。証空は念仏の道場として発展させ、浄土宗西山派をこの山に創始し、背後の山の頂上髢嶽の三峰が仏具の三鈷に似ているところから寺名を三鈷寺と改め、勅願所に列せられた。証空は宝治元年(1247)入滅。華台廟はその墓所で、証空に深く帰依した蓮生(宇都宮頼綱)が多宝塔を建てた。蓮生には「抱止阿弥陀如来」の縁起も伝えられている。中世を通じて念仏の道場として証空の法流を伝え、多くの寺領荘園を持ち寺運は栄えたが、応仁の兵火により多宝塔以下山内は荒廃した。江戸時代に復興の努力がなされたが、旧観には復さなかった。52代台龍上人が現在の寺観を整備し、昭和26年(1951)西山宗として独立した。建物としては華台廟、本堂等ら残すのみであるが、古い由緒を物語る寺宝は多い。また、客殿からの眺めはすこぶる良く、京都の市街地まで見渡せ、中でも東山に上る名月の眺めは関西随一と称される。京都市

世に「善峰の別所」ともいわれ、終焉の地として世の隠遁者の住する所となり、信西入道の子是憲もここで往生を遂げた。近世は秀吉の寺領没収、徳川綱吉の寺域縮小などの措置によって、遂に旧観には復さなかった。

三鈷寺にお参りする人は厄除けを祈願します。ご本尊の金色不動尊は三井寺開山智証大師の作と伝えられ「身替り不動尊」としての信仰があります。またこの寺の三世慈鎮和尚は大変賢い方でそれにあやかろうと「知恵」のお守りも出ています。

本堂には法然の門下となった宇都宮頼綱ゆかりの「抱き止め如来」をお祀りしています。この阿弥陀さんは心願成就をかなえていただけるといわれています。二世法橋は自ら布を織り精神こめて「仏眼曼荼羅」を描きました。三世慈鎮和尚は奥ノ院の檜材で箸を作り天皇の頭痛平癒の秘法をされました。以来「ご祈祷のお箸」として頭痛除けの信仰があります。

 

 

 西山善慧上人霊廟

 

 

 

11面観音菩薩 

 

本堂

金身不動明王

身替り不動尊

 

京都市街地の眺望

すばらしい眺めです

飽きるまで眺めていたかった

 

高い山は比叡山

 

 

石仏群 

 

善峯寺からの門入口

 

 

 

本堂内の

抱き止め如来

 

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