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右書き看板  豆盛真   和菓子屋さん  創業以来159年

2015年11月19日 07時52分04秒 | 右書き看板

 

 

HPより    江戸時代末期 安政三年(1856)石川県加賀の菓子職人であった金屋庄七(後に金谷正廣と改名)が京都に出て菓子業を始めました。 明治の初め頃、京都北野上七軒にある、裏千家にゆかりの深い天台真盛宗、西方尼寺に出入りを許されていた初代金谷正廣は、真盛豆の製法を伝授され改良を重ね菓子として完成しました。 現在でも表千家様、裏千家様にご用命頂いております。

 大津市坂本五丁目にある天台真盛宗総本山西教寺は、明智光秀のお墓がある事でも有名ですが、そちらの受付にて真盛豆をお求め頂けます。

また、京都市左京区岡崎にある、明治の元老 山縣有明の元別荘無隣庵は、小川治兵衛(植治)作の庭園が有名です。そちらでは、植治の庭を眺めながら、お抹茶と真盛豆をお楽しみいただけます(有料)。

 

HPより   真盛豆

京都北野、西方尼寺の開祖 盛久・盛春両尼は、室町時代の聖僧 真盛上人の仏弟子にて真盛豆の製法を伝授され、代々同尼寺に伝えました。天正十五年 北野大茶会の時、豊臣秀吉公が真盛豆を召され、「茶味に適す」と賞賛された同行した細川幽斎は「苔のむす豆」とたとえたと伝えられています。 明治初年、初代金谷正廣は採用尼寺からその製法を伝授され工夫を重ね銘菓として茶客通人に賞賛されています。 煎った丹波産黒豆に大豆粉を幾重にも重ね、青のりをかけた真盛豆の風雅な味をお楽しみください。創業安政三年 金谷正廣

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