アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑伏0089  伏見・橦木町廓入口  赤穂浪士・大石良雄も通った

2016年12月17日 07時29分59秒 | 石碑

西方向を見ています  この通りが 昔の廓街か

廓 入口の石柱が建っています

右側は  撞木町廓入口

左側は  志ゆもく町廓入口

 

 

 

この くぼみは なんでしょうか

大正7年8月吉日

 

東方向を見る

町の形がT字形になっているので、撞木町の名がうまれた。

慶長元年(1596)林又一郎が今のところより西方(田町)に設けたのが起こりといわれ、その後一時衰微したが、慶長9年(1604)現在の地に再開された。遊女は天神・囲・半夜からなり、太夫はいなかったが、伏見町の発展に伴ってさかんとりなり、元禄・宝永頃はもっとも賑わった。赤穂浪士大石良雄は山科に隠栖中、しばしば当廓の笹屋に来遊し、同志と密議をこらしたといわれ、これに因んで当遊廓で謀議するときは何事も成就するといわれ、来遊するものが多かった。その後、中書島遊郭等におされて衰微し、売春防止法施行前年の昭和32年(1957)には、お茶屋は9軒、接客婦は40名にすぎなかった。今は旅館や飲食店に転業している。

 

赤穂浪士 ゆかりの地  ➡  まとめ009 赤穂浪士の史跡・ゆかりの地 

石碑 前回の記事  ➡  石碑上0088  瑞光院跡  赤穂義士遺跡 山科に移転

 

川柳

立ち上がり 用を忘れて 立ちつくし     /高橋

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください



最新の画像もっと見る