八橋検校 道場の跡
このあたりは、筝曲「八橋流(後の生田流・小西流)」の創始者として、
近代筝曲の祖と言われる八橋検校(慶 19年~貞享2年)の道場があった旧跡です。
三絃の名手、八橋検校は20歳ころより筑紫 学び
26歳で当道の最高位「検校」につき、
晩年をこの場 曲家として、筝と三絃の道場を開きました。
平調子といわれる新しい憂いほ含んだ響きの音階を考案し、
その代表作品として「八橋の13組」「六段の調べ」「みだれ」を作曲し
今も名曲として引き継がれています。
目の不自由な八橋検校し耳の不自由なベートーベンの名曲は,
洋の東西を問わず不滅の光を放っています。
八橋検校は、子の道場で数多くの門人を養成し、武家や町衆はもちろんのこと、
島原を始め鴨東の花街に筝と三絃を広め、その感動は今につながっています。