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まち歩き向0142  五辻の常夜灯

2016年08月29日 22時44分45秒 | まち歩き

 

 

 

五辻の常夜灯

五辻の常夜灯は、幕末の慶應元年(1865)5月に楊谷寺(柳谷観音)へ参拝する講の1つである京都の千眼講によってたてられた石灯籠です。西国街道に沿った向日町の町並みは、京都から西山の社寺へと参詣する人々でにぎわいました。現在の五辻から、通称゛滝ノ下゛、へと続く坂道は、江戸時代には「西山道」や「梅ケ坂」の名で呼ばれ、善峰寺や光明寺へ通じる参詣道でした。また、江戸時代の終わり頃からは、眼病によく効く水があることで楊谷寺へ参詣する人々が増え、京都から向かう「柳谷道」の起点となるこの地に、一対の大きな石灯籠がたてられたのです。

江戸時代、この場所は向日神社の境内地でした。向日神社に伝わる古文書によると元治2年(1865)3月に境内地を拝借して石燈籠をたてたいという千眼講からの願所が出され、同じ年の12月までには聞き届けられています。向日神社文書の中には、許されたお礼と今渡迷惑をかけないという内容の文書とともに、造立する石灯籠の絵図面も残されています。

月日は流れ、道の南側にあった一基は、昭和初期の新道(現在の府道西京・高槻線)建設に際して移設され、現在は長岡京市梅ケ丘にあります。北側の一基も、昭和44年(1969)の歩道工事の時に撤去され、楊谷寺の裏参道にあたる大阪府島本町と長岡京市の境界付近に移されてしまいました。

今回、五辻のポケットパーク整備にあわせて、かつてこの場所にあった灯籠のたつ景観の復活を目指して協議会を設立し復元計画の策定など積極的に活動してまいりました。

この度、向日区の皆様をはじめとして、楊谷寺、京都府、向日市などのご協力を得て、楊谷寺裏参道沿いに移されていた一基を往時の佇まいそのままの姿に、五辻の常夜灯として復活させることができました。常夜灯は、向日町の繁栄を後世に伝えるまちのシンボルです。常夜灯を中心に絆を強めて、まちに活性化が図られることを願っています。

平成24年(2012)10月13日

向日市制施行40周年を記念して

五辻の常夜灯の復元と活き活き向日町協議会

 

 

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