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茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡

2015年11月08日 13時38分30秒 | 史跡・旧跡

 

茶屋四郎次郎・同新四郎屋敷跡

近世初頭、朱印船貿易商・糸割符商人として活躍、徳川家康の側近として

政権確立に大きな役割をはたし、京都商人総筆頭として、

角倉・後藤とともに京都三長者と称された茶屋四郎次郎清延の屋敷跡。

清延の三男新四郎長吉は天正14年(1586)上洛した家康に

茶屋屋敷ではじめて謁見したが、のち当屋敷を譲られる。

天明8年(1788)京都大火で類焼した。

茶屋家は本名を中島氏といい、中世の名門小笠原貞興の子孫といわれる。

清延の父明延は京都に住み、将軍足利義輝が訪れて

茶を喫したことから茶屋の屋号が生まれた。

新四郎長吉は慶長19年(1614)家康の命で尾張徳川家に仕え、

尾州茶屋家を創立、本家同様幕府呉服師を拝命する一方

尾張藩主に近侍しその召服御用を勤めた。

尾州茶屋家は安南貿易でも活躍、名古屋の茶屋町に広壮な邸宅を営み、

江戸にも数カ所の屋敷を拝領、別格で高貴な家柄を誇った。

当地は明治4年(1871)まで尾州茶屋家が代々所有していた。

 

百足屋町町内会 公益財団法人南観音山保存会

 

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