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まち歩き下0074  五条大橋の14個の擬宝珠

2016年06月08日 06時02分59秒 | まち歩き

 

五条大橋

 

はじめ平安京の五条大路(今の松原通)に架かっていたが、天正年間、豊臣秀吉がその下流の六条坊門小路(今の五条通)に付け替えたのがこの橋の起こり、名もそのまま五条橋とした。元の五条橋は松原橋と改名された。

 

もとは木橋だったが、市内と伏見をつなぐきわめて重要な橋のため、正保2年(1645)石造に改造し、擬宝珠高欄付とした。鴨川の氾濫や寛文2年(1662)の地震などで破損したが、そのたびに、公儀によって修理されたので公儀橋とも称された。昭和10年(1935)6月の鴨川の氾濫により五条橋も流失し、擬宝珠の一部は大阪湾、淡路島沖に打ち上げられたこともある。現在の橋は昭和34年(1959)3月の改修のもの、長さ67メートル、幅員35メートル、御影石の高欄、青銅の擬宝珠は、昔の面影を残しているといわれている。

 

 

 

擬宝珠は全部で14個です

北西から東へ 順番に

北西から1個目    明治27年

 

北西から2個目  正保2年(1645)  

 

歩道の柵の上の現代の擬宝珠

 

北西から 3個目の擬宝珠  明治27年(1894)1月 鋳造

 

 

北西から4個目  昭和27年5月 鋳造 

 

北西から5個目  昭和27年5月 鋳造

 

北西から6個目  昭和27年5月 鋳造

 

北西から7個目(もっとも東)  昭和34年3月鋳造

 

対岸 西側の 橋脚付近の石垣

 

南東から1個目   昭和34年3月鋳造

 

南東から2個目  昭和27年5月 鋳造

 

五条通の西側を見る

 

南東から3個目  昭和27年5月 鋳造

 

南東から4個目   昭和27年5月 鋳造

 

南東から5個目   明治27年(1894)1月 鋳造

 

 

南東から6個目  正保2年(1645)11月 鋳造

 

 

南東から7個目 (最も西側)  刻銘 なし

 

五条通の東を見る

街灯の傘は 三重塔のような形です

 

擬宝珠の鋲

 

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き下0073  鴨川に架かる橋からの眺め  松原橋  

 

 

 



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