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丹という女性

2015年06月08日 09時36分26秒 | 石碑

赤穂浪士 小野寺十内の妻  丹

赤穂浪士のひとり小野寺十内(1643~1703)の妻丹(?~1703)は,夫の切腹後,

西方寺(現京都市左京区)に夫の墓を建て,

ひそかに江戸泉岳寺から夫の首を掘り起こし西方寺に葬った。

そのあと食を断ち自死したと伝える。

丹の墓は本圀寺塔頭了覚院に建てられたが,

了覚院が廃寺になったあとも墓所だけが現存している。

なお了覚院が廃寺になるとき,富岡鉄斎が墓を引き取ろうとして果たさず,

瑞光院(現山科区)に招魂碑を妻春子の名で建立した。

 以上の経緯は田中緑紅『忠臣蔵名所』(1958年京を語る会刊)に依拠する。

なお丹は寛政2(1790)年刊『近世畸人伝』にも大きくとりあげられ,貞女の範と賞揚されている。

 夫婦仲がよかった  

夫、十内は丹を気遣い  丹も十内を気遣っていました

赤穂浪士 討ち入り後 十内は2月4日に切腹

丹は十内らの墓を西方寺(東山二条)にきづいて、

6月18日 自ら食を断って亡くなった

林昌院(下京区)に丹の過去帳がある

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