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寺院山0214  安祥寺  五智如来坐像五体

2016年11月05日 06時26分30秒 | 寺院

 

吉祥山と号し、仁明天皇女御藤原順子が入唐僧恵運僧都を開山として創建された真言宗の名刹。嘉祥元年(848)8月造営に着手し、仁寿元年(851)に竣工した。常灯料として山城国の稲一千斤を施入し、定額寺に編入された。その寺域は現在のJR山科駅をほぼ中央として東西約1キロ、南北約1.5キロにわたる広大な地を占めていた。斉衡3年(856)10月、山林50町歩を寺有地として施入され、伽藍が造営された。

多くの堂舎僧房が建ち、国家安穏の祈祷道場として寺運は隆昌になった。平安末期に勧修寺長史が当寺を兼帯すると、寺運は衰退に向かった。中世の戦国時代には荒廃し、近世は高野山宝性院に属し、俗に「高野堂」とよばれた。現在の建物は宝暦年間(1751~64)に再建で、本堂には11面観音像を安置する。他に地蔵堂、開山堂、鎮守社等の建物がある。寺宝の五智如来坐像五体は、京都国立博物館にある。上寺の五大堂本尊五大虚空蔵像は東寺観智院に移されている。鐘楼は嘉元4年(1306)在銘の銅鐘がある。この鐘はもと大阪渡辺にあった安曇寺の旧物と伝わる。

 

五智如来坐像五体

この五智如来像は安祥寺下寺の多宝塔に安置されていた仏像で、金剛界大日如来像を中心に阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就の4如来を配している。如来像も大日如来の5種の智を分担するするため、五体の如来に分化した。

寺院 前回の記事  ➡  寺院滋賀0213  寂光寺  日蓮宗 立正山 藤尾の磨崖仏

 

 

 

 

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