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道標上0018 京都で一番美しいと言われている 大原口道標

2015年03月24日 01時09分36秒 | 道標

令和元年7月12日 記事追加

ここは 今出川寺町

江戸時代のここらあたりは、京の七口の1つ、大原口といわれた辻である。中世には大原辻ともいった。

洛中から比叡山や近江の国・若狭国へ通じる起点。

天正19年(1591)に豊臣秀吉が完成させた御土居の大原口が設けられていた場所で、若桜街道の出入り口にあたる交通の要所だった。


この道標は 慶応4年(1868)4月に地元の19名によって建てられた。

22か所の名所と須摩屋伊兵衛はじめ19人の寄進者の名が記されている

明治23年(1890)京都府が買い上げるまで河合橋~出町橋は、個人所有の橋で、通行料をとっていた。

 

大正13年(1924)に寺町通の東側に河原町通が拡張されたので、現在は今出川寺町ではなく今出川河原町付近を

 

大原口とよんでいる。

現在の賀茂大橋が今出川通東詰に架橋されたのは昭和6年(1931)です。


西 内裏三丁 北野廿五丁 金閣寺三十丁 御室一り十丁 あたご三り

 

東  下かも五丁 比ゑい山三り 吉田十二丁 黒谷十五丁 真如堂十四丁 坂本越三り

 

 

南 かう堂九丁  六角堂十九丁  六条卅五丁 祇園廿二丁   清水廿九丁 三条大橋十七丁

 

北  上御霊七丁 上加茂三十丁 くらま二り半 大徳寺廿三丁/今宮廿六丁   慶應4年辰4月(1868年)

 

明治期に利用された測量の跡  不の文字が刻み込まれた  東西南北の彫りが深い

大正期以前、河原町通が延長工事されるまでは、今出川寺町通の大原口付近のことを「出町」といった。

出町とは「京の町を出る街道の出入り口」 出入町⇒「出町」に替わっていった。

 

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