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寺院右0447 退蔵院 妙心寺の塔頭  庭園・絵画で有名

2018年04月23日 16時18分58秒 | 寺院

2016年3月18日 撮影

 

 

 

2016年1月14日の記事

 

 

 

 

 

退蔵院

越前(現在の福井県)の豪族・波多野重通が妙心寺3世の無因禅師を開祖として、応永2年(1395)に創建した妙心寺の塔頭である。建物はその後再建され、現在の方丈(重文)は慶長年間(1596~1615)の建築である。方丈西の庭園(国の史跡および名勝)は、室町時代の有名な画家・狩野元信の作庭と伝えられている。2百平方メートルほどの広さであるが、石組本位の枯山水庭園で、一見無造作に石や橋が配置されているように見えるが、全体として見事に絵画的な調和を保っている名園である。寺宝のうち瓢鮎図一幅(国宝)は、瓢箪でなまずを押えるという禅の公案(試験問題)を絵に表わしたもので、足利義持の命により如拙が心血を注いで描いた最高傑作としてよく知られている。如拙は相国寺の禅僧であったが、宋元画を学び日本の水墨画を開拓した先駆者で、雪舟もわが師と呼んで手本としたといわれている。ほかに、花園天皇後奈良天皇の宸翰(重文)などを蔵する。

 

越前の豪族波多野出雲守重通無因和尚(妙心寺3世)を請じ、開山として建立したとつたわる。もと千本松原(下京区)にあったが、応永11年(1404)妙心寺に移された塔頭の1つ。天授院に次いで古い。

方丈(重文・桃山時代)は桁行16.9m、梁間10.9m、単層、入母屋造り、桟瓦葺き、前後唐破風造りの玄関を付した桃山時代の方丈建築で、内部には渡辺了慶筆の障壁画28面がある。

庭園(史跡名勝・室町時代)は本堂西側、約80坪の狭い地割に設けられた回遊式に観賞式を加えた石組本位の枯山水の庭である。背後の山畔に蓬莱石を中心とする巨石を水墨山水画的に組み、中島としての亀島や、そこに架けられた石橋にも、枯山水でありながら、池庭的に表現されている。作庭者は古来狩野元信といわれ、早くから名園の1つにあげられている。

余香苑は本堂の西南部、約800坪に亘る長方形の地割に造られた陰陽の枯山水庭園である。中央に三尊をあらわす石組を配し、上部より岩を噛む流れをつくり、下部に広い池を設ける。護岸の石組も格調高く、室町・桃山両時代の作庭手法を自然に用いて優雅な庭園としている。

寺宝として「瓢鯰図」(国宝・室町時代)、「花園天皇宸翰御消息」(重文・南北朝時代)および「後奈良天皇御消息」(重文・室町時代)等がある。

花園天皇

 

 

 

 

余香苑

 

 

元信の庭園は 黄の所  現在地は 赤  余香苑は 左の方

平成27年12月17日  撮影

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