一条戻橋(いちじょう もどりばし) です
天正19年(1591年)2月13日利休を聚楽第から追放し、故郷の堺に蟄居(ちっきょ)させた。やがて、切腹の命が下り、26日京都に呼び戻された利休は、2日後の
天正19年(1591年)2月28日千利休は聚楽第の利休屋敷で自刃させられ70年の生涯を閉じた。
秀吉は大徳寺に安置された千利休の木像を磔(はりつけ)とし、首は雪駄(せった)をはいた木像で踏みつけられる形で橋上にさらした。
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