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養源院  宗達寺といわれたり、血天井のお寺とも

2015年09月08日 09時26分14秒 | 寺院

 

 

 

 

養源院  宗達寺

元は天台宗であったが、終戦後、浄土真宗になった。

豊臣秀吉の側室 淀君が、その父浅井長政の追善のため、

文禄3年(1594)成伯法印(長政弟)を開山として建立した寺です。

長政の法号の養源院を寺名とした。

建立後、元和5年(1619)に火災で焼失しました。

元和7年(1621)淀君の妹の徳川秀忠夫人 崇源院によって再興された。

それ以来徳川家の菩提所となった。今も、徳川歴代将軍の位牌を祀っている。

本堂は伏見城の遺構を移したものといわれている。

 

山門の右側には白衣弁財天が祀られいろいろな願いをかなえてくれるといいます。

 

狛犬

 

年季の入った おみくじ

 

この鳥居の奥に たくさんの 蛇 が奉納されていました

その祠は 池の上に建っています

余りの蛇の多さに 怖かったです

 

奉納絵馬 

 

 

 

これは 何でしょう

 

先ほどの 祠  池に上に造られています

 

 

しばらくいくと

今度は 左手に 毘沙門天 です

 

 

 

緩い坂を登ったところが 本堂だろうか

 

 

手前に 石碑がありました

何と書かれているのか わかりません

 

 

 

 

 

 

手水舎

 

お堂

 

 

杉戸絵「唐獅子に白象」「波に麒麟図」は俵屋宗達によって描かれている。

玄関脇の牡丹の間には狩野尚信の襖絵がある。

 

血天井

本堂の正面と左右の左甚五郎の手になるといううぐいす張りの廊下に張りめぐらした天井をいいます。

今なお、ところどころに血の痕らしき斑点がある。

慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦に伏見城が敗れた時、

徳川家の鳥居元忠以下の武将380人ほどが自刃して果てた時の板間といわれ、

その血のりは洗っても、削っても取れなかった。

その菩提を弔う為に武将の魂が乗り移った板を寺の天井板に利用したと伝わる。

 

聖天さん

豊臣秀吉が信仰していた大聖歓喜双身天王像で本堂雨宝殿にお祀りされている。

商売繁盛とか病気回復を祈願します。

 

 

 

延命地蔵尊

 

 

 

白鷹龍神  白玉明神  赤桃明神

 

 

ヤマモモ

 

 

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