平安京 検非違使庁址
東を堀川小路(堀川通)、北を鷹司小路(下長者町通)、西を猪隅小路(猪熊通)、南を近衛大路(出水通)
に囲まれた範囲は、平安京左京一条二坊七町にあたる。
平安時代前期から中期にかけ、この地には平安京の「首都警察」であった検非違使庁が存在した。
検非違使は弘仁六年(815)頃に令外官として創設され、当初は左右両庁に分かれていたが、
天暦元年(947)にひとつに統合された。
この左京一条二坊七町の地は、もとは左衛門府の庁舎の敷地にあてられた。
検非違使の職掌は警察、裁判、科刑に及んでいたが、時代を経るに従ってその役割は拡張され、
やがては京内の行政全般にわたる広範な権限ほ持つにいたった。
ただ、平安時代後期になると検非違使の事務は別当(長官)の私邸でおこなわれるようになり、
左京一条二坊七町の庁舎は廃絶したのである。
平安時代の歴史の中で、検非違使の果たした役割は限りなく大きい。
この重要な史跡を後世に伝えるために 、ここに顕彰碑を建立する。
平成16年4月9日財団法人 古代学協会 建立
花園大学文学部教授 山田邦和 寄贈