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寺院東0335  極楽寺  浄土宗西山禅林寺派

2017年02月07日 09時54分10秒 | 寺院

京都市東山区本町22-489-1

 

 

ここは、東山区の最南端に当たり、伏見区深草に接する。

当寺はもと深草にあった藤原基経の極楽寺の名を継いだ寺といわれ、延慶年間(1308~11)ときの住職良桂律師が、日像上人との法論に敗れて日蓮宗に改めたとき、本尊阿弥陀像とともにこの地に移ったと伝える。金竜山と号し、いまは浄土宗西山禅林寺に属する小寺であるが、本堂に安置する薬師如来坐像(鎌倉)は半丈六の巨像で、寄木造り、右手は施無畏の印を結び、左手に薬壺を持っている。切れ長の眼に鼻筋の通った面貌は荘重味があり、豊満な体躯を包む衲衣のひだは大まかなうねりをなして起伏し、柔らかな手法をみせている。

またこの地が法性寺の十王堂址に因んで、十王像や地蔵菩薩像(江戸時代)等が安置され、さらに紙本墨書「法性寺略縁起、附薬師再興縁起」および紙本彩色「十王図」一幅等、旧法性寺ゆかりの什宝を有する。

十王信仰、人が死ぬと7日目ごとに、10ケ所の、あの世の裁判所をめぐり、生前の善悪を厳重に審判される。その5番目が閻魔大王の地獄の長官の前である。

当寺には秦広王から五道転輪王までの十王が祀られている。これらの十王は、伏見人形のルーツの1つにつながるであろう点に注目されている。

本尊阿弥陀如来(立像約60㎝)は、寺伝では鑑真(688~763)作といい、行基(668~749)作ともいわれるが、童顔のやさしい顔である。

丈六の薬師如来坐像は、寺伝では、旧法性寺中堂の本尊といわれるが、鎌倉時代の作の説もある。法性寺衰退後、三ノ橋北詰(今の本町18丁目)の薬師堂に祀られ、明治10年、当寺に移された。薬師堂時代の天保元年(1830)地震のためにかなり損傷し、修復されている。

 

旧 十王堂

 寺院 前回の記事 ➡  寺院東0334 遺迎院  浄土宗西山禅林寺派

五七五

変装をしたつもりでも会釈され /李麗

ことわざ

慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない)

仲間よりも早く多くもらおうと慌てて欲ばる乞食は、人々の反感を買って、もらいが少なくなる。慌てふためいて急ぐと、かえってよい結果がえられないというたとえ。

用・せっかちな人、慌てている人に対する忠告、からかいのことばとして使う。

類・慌てる蟹は穴へ入れぬ

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