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神社左0004  カラスがシンボルマークの「熊野神社」  

2015年02月28日 11時13分41秒 | 神社

 

 

カラスはシンボルマークか

かつて 京都の三熊野の1つとして崇敬された 

(東山の若王子神社、今熊野の新熊野神社)  

応仁の乱(1467~1477)で焼ける 荒廃が続く 

1666年(寛文6年) 再興

1835年(天保6年) 大改修

現在の本殿は 下鴨神社の旧本殿を移築したもの

昔は境内は広大だったが

1893年(明治26年) 道路の拡張で 

1912年(大正元年) 市電丸太町線の開通で社地をけずられ

今は狭い境内になっている

 

熊野神社

我が国最初の夫婦神であるイザナミノミコト・イサナギノミコトと天照大神、速玉男尊、事解男尊の五柱の神を祀り、縁結び、安産、健康長寿の御利益があるとして信仰されている。

平安時代の弘仁2年(811)に修験道の日圓上人が国家守護のため、紀州(現在の和歌山県)熊野大神を勧請したことに始まるといわれている。寛治4年(1090)に創立された聖護院は、当社を守護神として別当職を置いて管理された。

熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は度々熊野御幸(熊野詣で)を行うとともに当社を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を用いて社頭の整備に力を注いだ。室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川に至るものとなった。その後も歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰も集めたが、応仁の乱により荒廃した。

江戸時代の寛文6年(1666)、衰微を歎いた聖護院宮道寛法親王によって再興され、天保6年(1835)には、大修造が行われた。現在の本殿は、その時に下鴨神社の旧本殿を移築したものである。大正元年(1912)の市電丸太町線の開通、昭和元年(1926)の東大路通の拡幅などにより、現在の社域となった。毎年、5月16日に例祭、4月29日に神幸祭が行われる。大小の神輿があり、大神輿は光格天皇の寄進によるものである。 京都市

 

拝殿   (本殿はこの奥  天保6年(1835年))   狛犬 天保8年(1837年)

お参りしていく人もありました

 

灯ろうは天保8年、

社柱は昭和3年3月3日 建立  昭和御大典と同じ年

5月16日は例祭

狛犬の表情は ウン は おさる さんのようにも見えるが

 

稲荷社・金毘羅社

 

春日社の狛犬

 

「八ッ橋発祥の地」 石碑 (題字は 梅原 猛) と 銅像

神社北隣に 八ッ橋の店(創業300年)がある  

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