Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

仕事と私事

2022年11月23日 | つれづれ

大きな会社にいて小さな仕事をしている。

担当者は自分を入れて二人、どちらかが休めば代わりはいない。

宮崎にいたところも二人でやっていて同じことを主張したが、当時も宮崎にやる人員はいないとされた。

大きな会社であり、表向きはSDG’sやダイバーシティとやらをホームページに広げている。

これ自体は人員不足の中でなんとか採用を拡げようとしている分もあるようだが、どれだけの効果かはわからない。

入社してくる社員、中途採用される社員が担う部分は看板とおりであり、そこにそんなに嘘はない。

ただ、その分旧来からのDXになじまないような仕事はシニアにまわさている。

汲々としながらもなんとかこなしていくのだが、最近は少し嫌気がさしている。

まもなく定年を迎えて延長雇用(嘱託契約)に移るのだが、その後も同じ仕事が続くのであれば給与とはバランスしない。

ありがたいことに、これまでは過分な給与をもらってきているので、延長雇用に応じないからといっていきなり路頭に迷うことはない。

まぁ、家族の目が少し気になることくらいだろう。

別に、大志を抱いてここにいるわけではない。

大学を出るころは、このまま一生明石にいて郊外に一戸建て、夏は海水浴、冬はスキーと楽しんでいくものと考えていた。

大企業に入って役員にまで上り詰めて・・・などという考えは毛頭なかったが、周囲の人たちに恵まれたりしてそこそこの社会人人生だった。

 

ここ数年は、自分の能力の低下に戸惑い、年下上司に叱咤されながら続けてきたけれど、朽ちかけたプライドは消えずにストレスばかり貯めている。

実のところ、昨シーズンのスキー場でも、結局ホテルの一室から取引先とのミーティングに参加することとなり、ゲレンデでも電話がかかってくる状態だった。

朽ちかけたプライドが無視しようとする自分を押しのけて、それに対応してしまうのだがそんなことは会社の誰もしらないままだ。

さてさて、あと半年あまり。いかにかせん。

 

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そろそろ雪が降りだす

2022年11月20日 | 父の戯れ

昨シーズンは足を延ばして白馬八方尾根までスキーに行ってきた。

気ままな一人旅、初日こそ雪が降り続きゲレンデに出る気にならずに八方温泉に浸かっていた。

その後、チェックインの時間まで暇をつぶしてコンドミニアムのようなホテルに入った。

またまた風呂に入り、一人でジントニックを飲りながらまずは身体と心を休ませることができた。

独りだと夕食も1階の食堂に降りる気はしないので、独り占めの暖かい部屋でテレビを見ながら
近所のスーパーマーケットで仕入れた総菜をつまんだ。

ナイターの灯りに照らされたゲレンデを見ながらウトウトし、気が付くと窓の外の雪は上がり
雲の切れ間には無数の星。

翌朝、カーテンを拡げたところに広がっていたのが上の写真の風景だった。

さてさて、膝が笑い出すまで滑ってこようとゲレンデにでかけたのを覚えている。

ゴンドラを7回、立て続けに滑って昨年程度の勘はなんとか取り戻した。

今年も八方に行きたいと思うものの、久しぶりに赤倉や野沢にも行ってみたい。

取得できていないリフレッシュ休暇が1週間残っているので、退職するまでには使いたい。

それにしてもスキー場は天気次第で大きく変わるので、ここは神頼み。

 

今朝、ベランダから遠くに見える富士山の頂が白くなっているのに気づいてとそんなことを考えた。

今年もそろそろ雪が降りだす。遠くに行きたくなる。

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タラとレバで振り返ると

2022年11月20日 | つれづれ

学生時代は部活やサークルに所属せずにバイトばかりしていた。

狭い環境にずっといたために世間知らずで就職活動などあまり考えぬままに最終学年となりかけていた。

あるとき、たまたま学食で同級生たちとランチをとっていたときにそんな話題になった。

自分は6月には教育実習にいくべく出身校に挨拶にいっていた。

中学時代をよく知っている先生が何人か残っておられたし、校長も内部で昇格していたことから歓待してくれていた。

半分、この道を進むつもりだった。

当時、地元から出ていく気はさらさら持っておらず神戸辺りに就職できればいいとだけ考えていたので地元の教員はおあつらえ向きだった。

ところが、教員試験のハードルは高そうで、地元市役所の採用も今年はすくないと聞かれた。

 

大学では、複数の友人が既にOB訪問してきたと語りはじめ、方々で同じような話が出てきた。

出遅れ感が漂い、このまま教員/公務員一辺倒で大丈夫かと不安は募ってきた。

そのまま帰路のJRで少し考えたのだが、焦るばかりで何も浮かばない。

どんな業界?、OB訪問?、会社説明会・・・と、公務員志向の人間には不慣れな言葉ばかりならんでいる。

突然にリクルート社から届いていた就職誌を拡げたら神戸に本社がある会社は洋菓子屋さんやカーディーラーばかり。

なにせ自分がなにになりたいなど真面目に考えたことはなく、仕方ないので就職誌でなんとか見つけた肥料メーカーにあたることにした。

人事の担当者は母校のOBで愛想もよく、ここなら自宅から自動車で小1時間程度、残業もなさそうだしいいかな・・と安易に決めてしまった。

焦っていたので即決だ。

さて、早々に内定がとれたので、意気揚々とゼミ室で会話していたら担当教授がふと全く未知の業界を勧めだした。

この業界は急拡大していてこの後も成長する、ゼミのOBが一人いるので訪ねてみたらどうかという。

内定1社ではこころもとなかろうともいうので、度胸試しにその業界を数社周ってみた。

結果的にこの教授の勧めた業界で得た内定を選択、メーカーの方からはずいぶん叱られた。

あのとき、あの教授の言葉に乗らなかっタラ。

 

それから随分な時間が経ったころの話。

金融業界に就職し、4年目で東京に転勤、取引先も機械系のところからIT系の先を担当するようになった。

そんな中で、ふとしたことから創業したばかりの会社を担当することとなった。

毎日のように通って話を聞いても、なんだかゆめのような話ばかり聞かされていた。

社内で報告しても、直接の上司以外は話をきいてくれない。

ただ、阪神淡路大震災を契機にインターネットの利用が今日拡大する中でその会社は伝説の会社となっていった。

世間が震災復興に沸いている最中、その会社の社長さんに誘われたことがある。

創業者が自ら「いっしょにやろうよ」と声をかけてくれたのだから心が大きく揺れた。

最終的には、条件が合わずに見限られてしまった。

30歳を前にして、父親が亡くなった後は家族の面倒は自分がみるものと意識していたので、せっかく乗ったレールから降りるには勇気がなかった。

まもなく本部内の異動で担当からはずれたのだが、その会社自体は大小の波に揉まれながら、今は立派な上場企業となっている。

 

以前に少し手持ちの資金が余ったときに思いつきでその会社の株式を購入した。

たまたま手元に資金があったので、あまり計算したり検討したりせずに半ば恩返しのように思えて購入したものだった。

貧乏性なので毎日のように評価額を見ているとどんどん株価が上がっていく。

結局、恩返しどころがあのときの手切れ金かと思うくらいに高くなっている。

価格が上がるだけでなく株式分割もあったので、自分のポートフォリオの中では大きく評価益を上げてくれている。

 

あの時、あの会社に移っていタラ。

 

さてさて、そんな話ももう遠い昔話となる年齢になってしまった。

毎日のようにタラとレバを繰り返し続けて今に至っている。

忘れてはならないのは、タラやらレバやらが一つでも違っていたら、こんなに穏やかに
明日の暮らしに不安なく、家族と笑っていられたかどうか。

そう思うと、これからの人生もそんなに考えずにタラとレバを繰り返してよいのかもしれない。

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そうだちょっと行こう

2022年11月05日 | 川崎

冬がくる前に、紅葉で人込みに紛れてしまう前に、京都にいってきた。

本当は、奥さんと二人で行こうかと誘ってみたのだが、子供たちも行きたいといいたじたので家族ででかけることになった。

ちょうどJR東海ツアーズに「新幹線ずらし旅」というツアーがあり少し割引があったので11月3日で予約。

その後、長男は部活の大会で勝ち進み、このまま行くと試合の日に当たってしまうためにキャンセルとなってしまった。

奥さんと長女と三人で予約を取り直した。

万が一、長男が試合に負けて参加可能になっても日帰りの新幹線旅なので父がほかの席に行けばなんとかなるはず。

あとは天気だけが気になるところだ。

当日が近づき、長男のチームは勝ち続け、天気予報はどんどんよくなり、全て全快で京都に向かえた。

今回はそんなにスケジュールを細かく決めずに出かけた、うちの家族旅行はいつも欲張ってしまうので、のんびりしようという約束。

新幹線は三人横並び、背面からの朝日が眩しい中、どんどん西に向かう。

早朝にもかかわらず、ほぼ満員。紅葉にはまだ早いけれどずいぶんな行楽日和だから仕方ない。

父は元々関西に住んでいたわけで、京都もそんなに遠くないところだった。

初めて友人たちと京都を訪れたのは高校一年の12月、みんなの部活も冬休みとなり同じクラスの同級生2人に中学時代からの友人を会わせて年の瀬の京都。

さすがにもう細かいことは覚えていないけれど、写真では何度も振り返ったので、確か父は赤系のタータンチェックのシャツに黒いセーターを着ていた。

兄貴の白いコットンのコートを借りて、そこそこ高校生に見えたはずだ。

 

冬の朝、JR京都駅に着いたあと清水寺から知恩院を通り抜けて平安神宮の方まで歩いたはずだ。

疎水、哲学の道を通って銀閣寺まで歩いたのだが、よほど楽しかったのか距離のわりにヘトヘトになった覚えがない。

まだまだ昭和の真っただ中。前夜まで何度も何度も読み込んでいた小さなガイドブック。

なぜかしら嵐山の方ばかり読んでいて当日はあまり役に立たなかったけれど、その後も大事にしていた記憶がある。

なんど訪ねても京都はいい。

今回も、朝いちばんの平等院は修学旅行生で混んでいたけれど初めて目の当たりにして少し感動した。

その後、街中には帰らず東福寺で通天橋からの眺めを楽しんだ。

東福寺では特別拝観もあって普段は登れない山門の上にも上がれた。

その時点で昼を大きく過ぎていたので、京阪で四条まで移動昼食をとった。

時計は進んでいて、慌てて建仁寺へ。

昨日まで、奥さんが建仁寺にある「風神雷神図」が見られたらうれしいと言っていたので、はずすわけにはいかない。

しかし建仁寺は広く、いったいどこに所蔵されているのかから・・・そんなことを思いながら花見小路を経て建仁寺の境内。

やっぱり秋の特別拝観とのことで、本堂などに入れていただけると書いてある。

また、そこには「風神雷神図」もあるという・・・と思ったら、本物は上のにある国立博物館に収蔵されていると(笑)。

ここにあるのはキヤノンの画像技術を駆使したレプリカだというのだが、42億画素の精細な複製画像をち密な色合わせで再現したレプリカは本物以上に見えてしまう。

襖絵も複製されたもので、写真撮影もOKだと書いていある。

俵屋宗達の描いた風神は、おそらく改源の風の神さんとして有名だろう。

また、建仁寺は庭もよくできていて、〇△▢の庭というのがあった。

臨済宗建仁寺派の大本山、禅宗ならではの無駄なものを切り捨てたシンプルな造形が心に響く。

 

さて、日帰り旅なので少しでも京都に長くいようとして遅い時間の新幹線を予約してあるがまだ少しはやい。

それまでの間はどうして過ごそうかと思案していると、祇園の街角に東寺のライトアップのポスターが貼ってあった。

18時からであれば20時の新幹線には十分だ。しかも東寺は京都駅にすごく近い。

先に京都駅まで戻って土産物を買ってから、東寺に向かえばちょうどよいころあいになる。

少し並んで入場したものの、そんなに混雑はしていない。

きれいにライトアップされた五重塔が水面に映り、その方には月が浮かんでいる。

月を追いかけるように明るい星が浮かんでいる。恐らく木星か。

いずれにしても、闇の中でみる五智如来、五大菩薩、五大明王、それを守護するようにいらっしゃる四天王と帝釈天、梵天はなんとも魅力的な造形だった。

夕食を調達して新幹線でビールを開けるころには歩数も25,000を越して膝も足裏も疲れでつかいものにならなくなっていた。

特になにも考えずに出かけた日帰りの京都旅行。面白かった。

 

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