Remains of The Accidents

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I Love L.A.

2018年10月06日 | つれづれ

Randy Newman がこの曲を唄っていたころ、父は大学生だった
「Trouble in paradise」(1983)というアルバムでこの曲がスマッシュヒットしていた

NYゃCHIとLAの関係はよくわからないけど
NY Cityなんてクソ寒い、CHICAGOなんかはエスキモーにくれてやれ
なんて始まるコテコテのLA賛歌


父もやはり西海岸が好きだった
中学生のころ、実兄が購読していた「POP EYE」を読んでは
陽光あふれる西海岸に思いを飛ばしていた
NYセントラルパークをジョグしている人たちの記事や、ジムで汗を流す
ヤンキーたちの記事は無視していた

が、なにせ明石の田舎である
ローラースケートはあってもスケートボードはない
海外ものと云えばモトコーだったが、既に得意客は中南米の船員たちと
なっていてアメリカ風のものは少なくなっていた

スケートボードがないのだから、ボードパークなんてさらさらなかった
市役所の前においてあった大きな下水道管が一番近いイメージだったの
で、そこでよく仲間と寝転んでいた


そしてジミー・コナーズやクリス・エバートみたいにテニスがしたかった

大学に入って百貨店でバイトしていたとき、仲間たちとテニスに興じた
平日休みだったので加古川の河川敷のテニスコートは予約がなくとも
自由に使えた

ある日、メンバーのうち一人がなかなか現れない
少しクセのあるヤツだったので、来ないままみんなでゲームを始めた
女の子も参加していたので、テニスのあと食事にでかけたが
欠席者の話となった
誰かが「ためしに電話してみる」と云って公衆電話に向かった


数分経って、あわてて席に帰ってきた
「アイツ、ここに来る途中で電柱にぶつかって入院してるって!!」

皆、びっくり

早速、病院に駆けつけたら血まみれのヤツが集中治療室にいた
親御さんたちも駆けつけていて、突然の見舞いを喜んで中に招いてくれた

意識ははっきりしていて弱弱しい声で話していた内容は
「窓を開けてたらカメムシが飛んできて、払おうとしていたら
電柱に突っ込んだ」ということ

笑っていいのか悪いのか複雑な気持ちでICUを出たが、無事である
ことがわかったので、病院を出た瞬間に皆で大笑いしてしまった



最近、姫路に仕事の用があり時々JRで加古川の鉄橋をわたることがある

彼らがいまどこで何をしているのか、もう知らないが
青春は加古川さえも西海岸にしてしまう

結婚して実際にLAに行ってみた
ベニスビーチと大蔵海岸はずいぶん違うけど
あの頃の父たちには、それでよかったのだろう

必要だったのは仲間たちといる「時間」だったのだ

I love L.A.

https://www.youtube.com/watch?v=KcADqxnQA_4





コメント
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