Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

忘却の彼方から

2023年02月17日 | 宮崎

休暇をとってゆっくりしてたら、携帯電話が鳴っている。

宮崎時代の取引先、というより無邪気な友人の名前が表示されている。

どうせ押し間違えたのだろうとやり過ごした。

もう宮崎を後にして15年になるのだから、よほどのことでない限り用事はなかろう。

放置していたら、また鳴りだした。なにか用があるのだろうかと訝りながら電話に出てみた。

元気な声で名乗るところは15年前と同じ、どんげしたぁ?とこちらも少し訛ってしまう。

懐かしさがこみあげてきて、話がはずんだ。

どうやらあの頃懇意にしていただていたある会社の社長さんが、私の話を聞きたいと言ってるが
電話番号を教えてもいいかという内容だった。

こちらも相当世話になった社長さんなので、この件は快諾した。

逆に近況を尋ねてみると、皆元気にやっていると云う。

こっちはもうそろそろ定年退職だと告げると驚いていた。

宮崎には来んとですか。と直球のメッセージを飛ばしてくる。

自分も、定年は節目なので当時お世話になった方々に挨拶して周ろうかと考えていたところだった。

2月の宮崎はホテルが満杯。今年はWBCの合宿もあるのでなおさらという。

オープン戦が始まるころに一回行こうかねぇ、と告げて久しぶりの会話は終わった。

年末から地味に想像していた宮崎旅行だが、どうやら本当に行かなくてはならなくなったようだ。

西橘、地鶏、焼酎くれが自分を待っている。

そして隙があれば自分の移住先を探してみたいものだ。

この先、宮崎の郊外で少しの畑を耕しながら単車を磨いて過ごすのもよいかもしれない。

宮崎の郊外ならば、空港までは30分。飛び立って羽田まで1.5時間、羽田からは1時間で帰宅できる。

足腰が健全なうちに田舎に引きこもりたいと思った。

それにしても、宮崎の人たちが自分のことを覚えていてくれただけでなんとも嬉しいものだ。

 

話は変わるが、先月の終わりに奥さんとでかけた神代植物公園で「沈丁花」の鉢を手に入れた。

売り場のおばさんが「なんにもしなくても丈夫に咲くよ」といっていたので気軽だ。

以前も書いたが、明石の実家は玄関前に母親が植えつけた沈丁花があり、今も咲いている。

春先のころ、陽光を浴びて薫るとなんともいえない気分になる。

まだ小春日和というころに咲き、南側の部屋で内職をしている母親といっしょによくラジオを聴いていた。

内職を手伝いながらボーっとしているのがなんとも暖かい思い出だ。

自分にとっては沈丁花の香りは母親の香りだ。

昼までの授業を終えて帰宅する小学生の自分をやさしく迎えてくれる春の香りだ。

来月はその母親の命日だ。母親は沈丁花の残り香の中、旅立った。

 

明石も、宮崎も、いまさら一人で帰ってもなにもないのだが、偶然の出来事から
最後にもう一度訪ねてみたくなった。

春の日差しはノスタルジックだ。

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宮崎に行ってきた

2016年11月20日 | 宮崎

出張で、実に8年ぶりに宮崎に行ってきた
空港からJRでいきなり県北に向かって、これまた
引き継ぎで挨拶に寄って以来のお客さんに会った
ありがたいことに父のことを覚えてくれており、実に
懐かしく、されど今回は新しい商材について話を進めた

そこから、県央の新規先に立ち寄って宮崎市内に戻っ
たのだが、東九州自動車道がつながってすごく早く
移動できるようになっていた
ずいぶんな費用をかけて開通させた道路であり、紆余
曲折の次第は宮崎に住んでいたころ、よく耳にした

宮崎市はもともと人口20数万人の地方都市、町村
合併があったので人口が増えたとするひとがいたが
あくまで合併によるものだと思う
そんな地方都市なのに県庁所在地であることから
ほとんどの施設が市立のものと県立のものがあり
インフラは必要にして十分にあるのがよいところ

夜、通称「ニシタチ」とよばれる飲食街で、古くからの取引先の役員と会食した
会長・社長が不在ということで残念に思っていたら、逆にその専務さんが歓待してくれた。
えびのの焼酎を酌み交わし、あっという間に五合瓶を空にしてしまった
専務さんは今月で退任されるとのことで本来であればこちらから送別会をしなければ
ならないところだったのだが、若造に奢らせるような方ではなく二軒目まで財布に手を
かけさせなかった

このあたりは地方企業といいながらも、地場一流の矜持なのだろう



明けて昨日は朝から旧知の会社に寄って旧交を温めた

入口にはいる前、ガラス戸の内側から受付の女性が驚いて飛び出てこられた
8年ぶりの面談、その間、一度の連絡もしたことがないのに、覚えていてくれたのだ
事務所では中からぞくぞくと懐かしい顔ぶれが集まってくれる
往訪することは伝えていなかったのだが、皆、変わらない笑顔で迎えてくれた
宮崎はやはり良いところだ

サウスホスピタリティは微塵も消えていない

さて、一通り仕事を終えておやつ時にはフリーになった
帰路につく飛行機の便まで時間がっあったので、一度立ち寄ってみたいと思っていた旧宅を覗いてみた
当時住んでいたマンションはちょうど大規模修繕を行っていて周囲に足場が組まれていて近づけない
玄関のところで少し懐かしんで何気なく中を覗いてみたら7階の友人がロビーに立っていた
自動ドアのすきまから声をかけると驚いて寄ってきてくれた
かれこれ年賀状のやりとりだけになって8年、まさかもう一度顔を見るとは思っていなかった
お互いに歳を重ねて、子供も中学を卒業するまでになっている

いつかいつかと思っていた宮崎への出張であったが、同時にいろんなことも思い出した旅だった

ただ、仕事の反応が悪くなく宿題ももらっていることから来月にでももう一度やってくることになる
懐かしさが現実の仕事になれば、いたずらに宮崎で仕事をしていたわけではないことを証明できる

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宮崎雑考

2011年11月14日 | 宮崎

今夜は宮崎から恩人が上京したとのことで夕食をともにして帰宅した
宮崎をはなれて、はや2年半になるというのに未だ知己として大事に
ていただけるのはありがたいことで、地方に赴任して密着できた証拠
かと思われる

宮崎は今、知事交代の結果として目立たなくなってしまった
また、震災の影響もあって口蹄疫などの労苦も影に隠れてしまった

前知事が地方を捨てて、都知事選に出馬するのを見て皆少なからず
疑問をもつところだ
地方から政治を変えられないから中央に近いところで立候補と云って
しまうと、結局「地方」は沈んでいくだけなのかということになる

前知事が、故郷として宮崎をどげんかせんといかんと云ったならば
現状について何も運動はないのかと訊きたくなるところだ

今夜は、久しぶりに、地方の現実に触れてなんともならない現状を感じた


閑話休題

宮崎出身の清武さんが読売グループ/巨人軍の中で反旗を翻している
やはり、九州/宮崎の出身なれば「いもがらぼくと」の精神で突っ張って
いただきたいが、反面でやはり根回しも大事にしていだきたい
巨人軍と宮崎は切っても切れない関係であり、この球団のキャンプが
あるのとないのとでは観光収入が大きくブレてしまう
確かに、九州の球団と云えばHawksが基本になっているが、巨人と
ソフトバンクのそろい踏みでこそ早春の宮崎に価値があるものとの認識だ

できれば、読売の関係者には是非とも宮崎援護をお願いしたい

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宮崎のこと

2010年06月21日 | 宮崎
宮崎で口蹄疫が発生してからもう2ヶ月以上になる
その間、想像を超える頭数の家畜が埋殺処分となっている
農家の被害も甚大で国からの補償がなければなりたたない
政府もその補償については莫大な予算を充てることとし
農家に対して処分への協力を求めた

口蹄疫は伝染病であり加害者のない事件である

しかし、被害は日ごと拡大していく
宮崎は国内でも最大規模の畜産大国であり、畜産関連の
業界で働いている人たちも非常に多く、その補償までは
政府の手が届かない

父の知っているだけでも、飼料を扱うひと、それを運ぶひと
屠して枝肉にわけるひと、それを加工するひと、運ぶひと
牛舎・豚舎を建てるひと・・・まだまだ

宮崎は、悲しいかな第一次産業と公共事業しかないような
経済構造であり、典型的な田舎自治体だ
「寝ていて」も法人税が集まる都市型自治体ではない
畜産が止まったということは経済の大部分が止まったことを
意味する

方々でチャリティの声も上がっており、期待も膨らむが
募金や補償の範囲にいない「見えない」被害者が
ずいぶんいることに気づいて欲しい

加害者はいなくとも被害者はいる
そして、被害者は畜産農家だけではない


宮崎はこれから一番良い季節を向かえる
梅雨明け、早場米の青々とした稲穂、日向灘の輝く海
海洋性気候のさわやかな風

何よりおおらかなやさしい人々の笑顔
迷惑にならない時期を待って宮崎に行って来ようと思う









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がんばれ宮崎 風評に負けるな

2010年05月29日 | 宮崎
宮崎の口蹄疫被害がほかの業種まで拡大している
確かに伝染病は怖く、恐れられるべきものだ
非常事態宣言も出されているが、沈静化しているようには
聞こえず、毎日の加熱した報道は被害拡大が止まらないかのように
情勢を伝えている

ただ、冷静に見てみると懸命の処置によって拡大のペースは落ち着き
ワクチンの導入によってでもあろうが、新たに発見される被害農場は
減っているように思われる

その中で風評は、畜産以外の分野にも確実に拡がっている
宮崎県の場合、一次産業は経済の核だ
経済の核のまわりには様々な関連業種があり、多くの県民が
多かれ少なかれ畜産に関連した仕事で生計を立てている
加工業、運搬業、建設業、販売業・・・と枚挙にいとまがない

もともと経済地盤の弱い県であり、核となる産業が大打撃を
受ければ、おのずと被害はその周辺に拡大する
ある新聞には既知の経営者のコメントが出ていたが
窮状には心が痛んだ

もう被害は畜産業界だけではない
宮崎県全体を被害者として想定してもよいのではないか
様々な形で支援の手も差し伸べられているが、畜産関連
だけではなく、その周辺、さらにその外縁まで視野を拡げて
宮崎県全体を支援してあげたい

そんなにあらたまって考えず
寄付や募金よりも、スーパーで宮崎産の野菜、魚、加工品などを
すすんで購入してもらうだけでよいのだ



がんばれ宮崎

今日も、ピーマン食べっど
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