Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

神戸、ああ神戸

2017年06月30日 | 単身赴任



神戸は父の青春の街だ

高校、大学、社会人になった当初
10代の多感なころから、20代半ばまで
様々な仲間たちとうろうろしていた街だ

好きな女の子もいたし、楽しい仲間たちもいた
1980年代、インターネット前夜、自動車の免許は
男の子の必須アイテム

ポーアイにあったアイランドカフェ
垂水のウェザーリポート
薬師丸ひろ子と松田優作の映画「探偵物語」を見て
キャンパスから女の子を乗せて須磨の海岸まで
バイクで走った

別の女の子に「送ってあげる」といいながら掬星台の夜景をみようと
遠回りしてかえった道、六甲から鈴蘭台を抜けて暗闇を走った

毎日、毎日、走りつづけけた日々
海に輝く夜景の街、西宮の埋め立て地

神戸がすべてで神戸しかなかったのだが
彼女にいい恰好をしようと、地元企業の内定を蹴って大企業へ
仕事、仕事の毎日にだんだんエゴが出てくる

彼女をかまうことのできない自分
「仕方ないだろ」の声は自分勝手な言い分

離れていく彼女の後姿


ここのところ、神戸の街に行く機会が多くて
なぜかしら思い出の道ばかり目に映る
帰ることのできない時間が過ぎたのに、少しだけ
帰りたがっている自分かいる

今さら、彼女に逢っても気が付かないほどに変わって
しまっているはずなにの神戸の海、須磨の海、舞子の海
明石の海が袖をひく


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神様がいるのなら

2017年06月30日 | つれづれ

瀬戸内はひねもすのたりのたりかな

月末の繁忙期だというのに世間の騒音から逃れて
四国は観音寺というところに行ってきた

写真は予讃線、線路が渚を通せるのは荒れることのない
茅渟の海だからである

波風は立たない方がよい、海をよく知る日本人はこれを
金科玉条として大事にしてきた
父もその一人だ、争い事は何も生まない、人間は元来争わない
動物なのだと信じている

ところが世界に目を向けるとまだまだ幼い命を犠牲にしてまで
自分たちの正義を通そうとする人たちが絶えない

簡単な話だ


それぞれが信じている偉大な神様が
全知全能の神がいるのに、ほかの神様を
信じている人がいる


おかしいだろ、信じている神様は全知全能だから
神様であって、その神様が解決できないことを人間が
武器や選挙で解決しようとしているなんて

神様が本当に神様なら、人間の出る幕なんてないはずだ

ところが、敬虔に神様を信じている子供の命は簡単に
戦争の犠牲になっている

では、神に召されたとしよう
神のそばに行くことになったとしよう

その時に、なぜ人間は痛みや苦しみを抱かなければ
ならないのだろう、何が気に入らなくて全知全能の
神様は人間に痛みを与えるのだろう。

一度聞いてみたくて旅にでた

答えは風の中においてあるらしい

 

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父のミステイク

2017年06月05日 | 少年野球




王子を野球チームに入れて3シーズン目になった
残念ながら、父のミスで王子をあまりヨクナイチームに入れてしまったと反省している
結果、王子は中学では野球をやらないと云う
それもまぁ悪いことではないのでよしとしよう

ただ、かえすがえすも悔いが残るのは、"弱い"チームに入れたのではなく
未だに根性論を振り回すチームに入れたことと我が子可愛いとする監督のいるチーム
に入れてしまったことだ

結局、監督が恣意的なので選手は育たずじまいで野球を終えてしまうこととなった

うんざりしたのが、怒鳴る、責める、嘆くの三点セット
さりながら我が子が可愛くて、横着プレーをし続けても先発で使い続ける
馬鹿監督・コーチのいるチームに入れてしまった


子供は親の鏡、親は子供の鏡

まず、我が子の指導ができない親が監督とかコーチとか
恰好をつけてがなっていても、実のところ我が子の教育も
満足にできないのによその子を指導できるわけがない

王子を入れたチーム、低学年時代は監督の娘と息子がメンバーに
いるのだが、これらが試合で全く一所懸命にプレーしない
高学年のコーチの息子は、基礎トレになると「お腹が痛いので練習できない」と
云い、バッティング練習が始まると「治った」と云って参加しようとする
父親もさすがに恰好がつかず、泣かせてしまうほどに責めるのだが
ADHDのようで改善はなく、そのまま中学生になっている

少し距離をおいて見ていると本当に可哀そうな感じがする
同じ親として、なかなか苦しいものがある

低学年チームの監督には何も感じないが、期待している息子が「情けない」まま
指導にあたる高学年チームのコーチには辛さには痛み入る

低学年チームの監督は日々夫婦でいかに我が息子をヒーローするか苦心しているが
残念なことに息子本人は"しんどいことはいりません"と太々しく過ごしている


こんなチーム入れてしまったことを悔やんでいる

反省してももうもどらない時間が過ぎていく
もっともっと今を大事にしようと思う





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