Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

ゆらゆら萼を動かして

2020年05月19日 | つれづれ



一枚の古い写真がある
恐らく1986年、場所は蒜山高原だと思う
大学を出て就職したばかりのころのツーリング写真だ
たまたま入社したところに単車好きが数人いて
夏休みに走りに出かけた
もう記憶が定かではないが、大山の民宿に泊まった

単車のおかげで会社の人たちと親交が生まれ
互いに単車好きの友人を巻き込んで、全盛期には
10台くらいでのツーリングとなった

自分はいつも幹事役で、先頭を走った
当時、大阪堂島の地下街の出口近くに民宿センターがあり
安くてよい宿を教えてもらってはツーリングにでかけた
このときの大山の宿を教えてもらったのが最初だった

大阪に勤めていた三年間は、夏はツーリング、冬はスキー
20代の前半、まさに青春の真っただ中にいた
平日は気の重い仕事、なじめない上司に叩かれながら
過ごす毎日、憂さ晴らしの飲酒が増え、酒と愚痴と煙草
にまみれる日々を送っていたので、休日のこの解放感は
ありがたかった

写真、一番手前の先輩は、強面でおっかない方だった
口より手が先に出るタイプだったが、ユーモアのかたまり
でもあって、酒の席ではよくいじらせていただき
可愛がってもらった

その方が先週亡くなられた

逸話の多い方だったので、寂しさもひとしおだ
癌が見つかってから1年半だったという


さて、この会社に入ってからもう30年以上になり、その間に
ずいぶんな数の知人が亡くなった

生意気なやつだったが、独身寮ですごくよくしてくれた後輩
落語が趣味で、酔えば酔うほど面白くなった先輩
少し理屈っぽくて議論をふっかけるクセのあった同期
記憶がなくなるまで酔っぱらう上司
みなタイプは違えど淋しがり屋の男たちだった

みな、それぞれに「想い」を残して逝ったのだろう
こちらもそれぞれに「想い」が残っている

でも、芥川に云わせると

「後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、
 月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます」

所詮、我々も蜘蛛の糸にすがる衆生にことならないという

生きるということは切ないことの積み重ねだ



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再会すること

2020年05月08日 | つれづれ



五月になり、連休が終わった
昨日、久しぶりに出勤することとなり午後からデスクにいた
そのまま外出してしまうので、必要な作業のみすすめて
客先にいく準備をしていたら、同期入社のヤツがいた
この10数年、会社は合併を繰り返し大きな会社になってしまったので
部署が離れると数年単位で合わなくなることが多い
ましてや、一昨年まで3年間は大阪に単身赴任していたので
彼との再会は、短い時間だったけれどうれしかった

実のところ、彼が同じフロアにいることは知っていたが
在宅勤務が続いており、再会することがなかった
昨日は準備ができ次第、外出してしまう予定だったので
ゆっくり話すことはできなかったが
旧交を温め、近況を語った

彼がいる事務所は本社にはなく、都内の別の場所にある
そのビルに入居している別の会社の方に感染が判明して
念のために事務所を離れて本社の会議室を借りて業務を
こなしているとのこと

本来あるべき在宅用のPCが不足しており、少し密だが会議室を
事務所代わりにしてなんとか仕事をこなしているとのことだった
不便であり、この歳になってリスキーな話だ

今回、こういう形で見えないリスクが蔓延してくると
少しだけ「本性」というものも見えてくる

例えば、父の会社では「部長」と呼ばれる高所得者たちは
ほぼ全員毎日出社しているがあまり実務はない

ベテランの部員たちも出社しているケースが多いときかれ
口々に「在宅では通信環境が悪くて仕事にならない」といい
万が一のリスクは世界のどこかに追いやっているようだ

さらに単身赴任で東京に来ている人たちについては、口々に
「大丈夫でしょ、通勤時間も短いし、電車も空いている」と
いい、ほとんど毎日出社しているときく

出社したい気持ちはよくわかる、自宅にいてもすることもないし
単身赴任者は頻繁に移動することが憚られ、寂しい限りなのだ

そして、若手部員は二極化。ベテランと同じ動きを見せる人たちと
冷静に在宅勤務を続けるタイプに分かれている

同期の彼も、父のまわりの人たちも色んな意味で仕事に懸命なのだろう


そんな中で、自分は最近わからなくなっている
これからどうやって生きていこうかと
いや、いつまで生きているんだろうかと

もしかしたら、死亡保険金と補償で家族の生活にめどがたったら
それでいいのかも知れない


幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく(牧水)

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素朴な疑問

2020年05月04日 | 川崎



自宅で家族とともに過ごす
数年前の単身赴任のときなら気が狂いそうになっていたろう
自宅にいるので、少し散歩にでたり会話したり
時にはボードゲームに興じたりして余った時間を過ごしている

ところがふと気づくと、子供たちが遅くまで寝ていることや
学校から出された課題をこなさずにいることに腹を立てている
自分がいる

少し落ち着こう
この状況は家族の誰のせいでもない
ここをどう過ごすかは、彼らの作った課題ではない
世間などという見えないものに惑わされぬように
親として、本人に気づかれずにできるだけ「良い」道に
誘導してやるのが、親の務めだ

子は親の鏡、親のあとをついて動く
ゆえに親が道を間違えぬよう導いていかなければならない

あとひと月、いやまだ先かもしれない
敵は子にあらず、親にもあらず
敵は見えないウイルスだ

そして、ウイルスは人間を介して人間の隙をねらっている
今はそんなのに負けずに、そして将来はもっと幸せに

そんな道を教える





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