Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

色んなことが終わった

2019年03月17日 | 単身赴任

金曜日に内示があって単身赴任が終わることとなった

何十年かぶりに関西にきて三年すごした

ここでもいろいろあった

色々あったけどそれもまた人生だ



最後に母親を送った

最後になった



姉も、兄も、友も、街も、
それぞれに昔と同じではなくなった

ただ、海と山だけが昔のともだった


自分が過ごした海
テトラポッドから飛び込んだ大蔵中町の海
砂浜でコソ練した狩口の浜
父親につれていかれた鉢伏山
布引の滝から修法が原

再度山、摩耶山、高取山

須磨模型、須磨海岸のベルトコンベア
垂水厚生年金会館のプール

舞子ヴィラのプール
明舞団地のプール


奇跡的に
ほんと奇跡、クミちゃんに会った
クミちゃんに会えた


昌子さんにも、直子さんにも、美恵子さんにも逢えなかったのに
クミちゃんにだけ会えた


奇跡はついか起こるものだ
また、いつか

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【訃報】母が旅立った

2019年03月17日 | つれづれ



桜が咲く前、梅が香ったあと
実家の玄関前は沈丁花の香りでいっぱいになる
自分にとって春は沈丁花の甘い香りで始まる



学校からの帰り、春先の明るい陽射しの下
自宅に続く角を曲がるとなんともいえないいい香りが迎えてくれた
沈丁花の香りに包まれた我が家、日当たりの良い南側の部屋で
内職をする母親
やさしい時間がそこにあった

母がなくなった
一昨年の夏、自宅で転んだことがきっかけとなって入院
その時点でほとんど言葉を失ってしまっていた
その後、老人病院に転院して約一年半

水曜日の朝、自分で呼吸ができなくなった


最初に病院から連絡を受けた実兄も間に合わなかったという
自分が病院に着いたころには白い布がかけられ、一人部屋に移っていた

それからは父親の時と同じくバタバタと葬儀の手続きが進んでいった





86年間の人生、最後の数年は言葉を失い何を思っていたのかもわからなかった

ただ、入院後しばらくして老人病院を訪ねたときに自分のことを認識して大きく反応してくれたこと
姫さまと王子の画像を見てくれたこと
みんなで別府に旅行にいった話に、大きく何度も頷いてくれたこと
もう一度ハワイに行こうと話したときにも、突然微笑んでくれたこと
入院してからも、言葉を失ってからも、こんな自分を大事にしてくれた

お母ちゃんがもういない

生を得たものは皆、死を得るのは宿命だが
自分を産んで育んでくれた人がいなくなる
こんなに辛いことはない

されど現世の苦しみから旅立つ母の痩せた姿を見て
もう現世の苦は勘弁してあれーげてほしいとも切に願ったのも事実である



啄木

たはむれにははをせおいて
  そのあまりかろきに
    なきてさんぽすすまず


茂吉

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて
 足乳ねの母は死にたまふなり

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする