ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

オペラ『運命の力』@新国立劇場

2015-04-04 00:26:59 | オペラ
一昨日(2日)新国立劇場・オペラ劇場で開幕された『運命の力』(初日)を観てきた。音楽はジュゼッペ・ヴェルディ。演出はエミリオ・サージ。指揮はホセ・ルイス・ゴメス。管弦楽は東京フィルハーモニー管弦楽団。主な出演者は下記の通り。

 レオノーラ:イアーノ・タマー
 ドン・アルヴァーロ:ゾラン・トドロヴィッチ
 ドン・カルロ:マルコ・ディ・フェリーチェ
 プレツィオジッラ:ケテワン・ケモクリーゼ
 グァルディアーノ神父:松位 浩
 フラ・メリトーネ:マルコ・カマストラ
 カラトラーヴァ侯爵:久保田真澄
 マストロ・トラブーコ:松浦 健
 合唱:新国立劇場合唱団
 《18時30分開演、21時55分終演》休憩1回

序曲をはじめ結構有名な曲が多いことから、コンサートやラジオではよく聴く『運命の力』だが、オペラそのものを観るのは初めて。あらすじは、レオノーラとアルヴァーロは駆け落ちしようとしていた。ところが、拳銃の暴発でアルヴァーロがレオノーラの父(カラトラーヴァ侯爵)を殺してしまう。その報復を誓った兄のカルロは逃げたアルヴァーロを追いかける。ところが追いかけ先の戦場では偽名を使ったことから親友に。しかしながら、真相を悟った兄は再び復讐の志が甦える。なんか日本の時代劇の仇討ち話を観ているようであった。w

舞台美術は舞台奥および左右を赤い紗幕で台形状に囲み、そのなかに場面ごとにシンプルなセットを組むという方式。さほど大掛かりではないものの、舞台を広角的に使っていて好感がもてる。ただ、演出がストレートすぎる。特に合唱団が登場するときの群衆の動きがまるでコマ送りのような展開で、ぎこちないというか面白みがない。全体としてもテンポがリズミカルでなく、舞台美術を活かせているとは思えない。

出演者では脇役陣が好演。なかでも、レオノーラを擁護する修道院のグァルディアーノ神父役の松位浩が素晴らしかった。私はこの人をまったく知らなかったが、おそらく日本人バス歌手でも屈指の人ではないだろうか。神父としての品位と威厳をもちあわせた演技と説得力のある歌声。文句なしにMVPは彼だ。次に良かったのがジプシー女・プレツィオジッラ役のケテワン・ケモクリーゼ。彼女は昨年新国立劇場でカルメンを演じただけあって、同様の役はおちゃのこさいさいという感じで、全体に暗い舞台を華やかにしてくれた。

一方で、冴えなかったのが主役陣。レオノーラ役のイアーノ・タマーにはヒロインとしての若さや美しさが感じられない。それゆえに、歌唱力はあるものの存在感はほとんどなし。これは明らかにミスキャストだ。また、アルヴァーロ役のゾラン・トドロヴィッチにしても音程が時に怪しかったりして不安定。カルロ役のマルコ・ディ・フェリーチェは凛々しい歌声だが表現力がいまひとつ。もう少ししっかり魅せてほしかった。

主役陣以上に問題だったのがオケピ。前半はもう眠くなるような演奏で、ソロパートが多いのに木管金管弦の首席奏者たちの音色には艶も輝きがない。後半はやや持ち直した感があるが、それでも聴かせてくれるとか楽しませてくれるというレベルの演奏ではなかった。初日ということで練習不足だったのだろうか。

以前にも書いたかもしれないが、新国立劇場はそろそろ真剣に専属オケを設立するか、バレエ公演で進境著しい東京シティ・フィルを起用をするべきである。現在の東京フィル偏重のオケピ体制では進展性が感じられない。あと東京フィルに言いたいのは「初日=楽日」ということだ。つまり、初日も楽日も観にくる客は同じ値段を払って観にきているのである。いくら公演が5日あるからといって「初日=楽日」という意識を持たないようでは、今後新国立劇場で東京フィルがオケピに入る際には初日に観にいくことを止めた方がいいよ、と言わざるをえなくなる。


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