ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

東京都交響楽団@フェスタサマーミューザ2014

2014-07-31 22:26:50 | 都響
昨日(30日)、ミューザ川崎で東京都交響楽団による「フェスタ・サマーミューザ KAWASAKI2014」公演を聴いてきた。指揮はエリアフ・インバル。

【演目】
ワーグナー/ジークフリート牧歌
  ~休 憩~
ブルックナー/交響曲第7番<ノヴァーク版>
《19時00分開演、20時55分終演》

冒頭から余談で申し訳ないが、この日の午前中ひょうんなことから初めて聴力検査なるものを受けた。完全密閉の個室でヘッドホンをつけて、いろいろな音が聞こえるかを検査するものだが、そのなかでもちょっと難題だったのが渦を巻くような雑音などを聞きながら、微かな電子音を聞き取るというもの。始めは慣れなかったので少し戸惑ったが、途中からはなぜかどんどん音が聞き分けることができるようになった。で、検査結果は「全く問題ないです。同年代の人に比べても素晴らしい結果です」とお誉めの言葉というかお墨付きをいただいた。そのときはこれはヘッドホンやイヤホーンなどを使わず、音楽を生で聴いているからだと自負したが、まさかその夜に自分なりにそれが証明できようとは思わなかった。w

1曲目。都響の弦にはひた向きさというか向上心というのを常々感じる。失礼な言葉かもしれないが、都響の弦奏者にはいわゆるソリストクラスという人は少ない。それでも、その団結力というか統率感はいまや在京オケNo.1かもしれない。また、これはミューザ川崎という素晴らしいホールのせいだったためかもしれないが、コンマス(矢部達哉)やチェロ(古川展生)などの首席奏者たちの音色が、セクションソロのときに後ろの奏者たちに後押しされ、まるで波乗りをしているかのように波状的に聴こえたのには驚いた。今後もこうしたひたむきな姿勢で都響ならではのキュービック(立体的)かつ重層的な弦の世界を築きあげていってほしい。それにしてもワーグナーを情感たっぷりで暖かな演奏え聴くのは気持ちがいい。

2曲目。2年前の定期公演でも聴いているが、前回に比べてインバルの指揮が少し早め。そのせいか1曲目で素晴らしかった弦に多少のバラツキを感じる。一方で、トランペット(岡崎耕二)やホルン(有馬純晴)など金管陣の明晰な音色が素晴らしい。また、木管陣は目立ちはしないものの、ブルックナーにしては清涼感のあるこの曲調を見事に表していた。しかし、なにか一つ物足りなさを感じたのは私だけだろうか。

最後に、少し前の読響ファンによるミスターSことスクロヴァチェフスキのときではないが、いまの都響ファンはインバルが指揮すれが、どんな演奏だろうが“一般参賀”(ソロ・カーテンコール)をするようになっている。なんか新興宗教の様相である。ただし、そのときの演目は大概はマーラーかブルックナーである。たまにはベートーヴェンのときもやってくださいよ、都響ファンのみなさん、もしくはマラオタまたはブルオタのみなさん。

N響 夏 2014

2014-07-19 22:44:13 | N響
昨日(18日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団「N響 夏 2014」公演を聴きに行ってきた。指揮はレオ・フセイン。ピアノは舘野泉。

以前の「N響 夏」はジェームズ・ジャッドやファビオ・ルイージなど定期公演にも登場している指揮者が指揮台に上っていたが、ここ数年はN響と初共演の人が多く、なんか定期公演に登場するための「オーディション」と化しているような気がする。今年のレオ・フセイン(ザルツブルク州立劇場の音楽監督)も今回がN響初登場。

【演目】(※はアンコール曲)
モーツァルト/歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲
モーツァルト/交響曲 第41番ハ長調K.551「ジュピター」
  ~休 憩~
ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル/バレエ音楽「ラ・ヴァルス」
※ヨハン・シュトラウスⅡ/雷鳴と稲妻
《19時00分開演、21時00分終演》

前半のモーツァルトは清麗にして心地良い誘いを導く演奏。レオ・フセインの指揮は手慣れいるという感じで、さすがにバレンボイエムやゲルギエフの薫陶を受けた才能と思わざるをえなかった。ところが、後半になるとなぜか妙にカシコマってしまい、面白みに欠けた。

「左手のためのピアノ協奏曲」は舘野泉が冒頭のソロ部分でかなりミスタッチをして少し唖然としたが、それ以上に驚いたのが、フセインの指揮とオケのチグハグさ。舘野は後半のカデンツァでは情緒たっぷりに弾いて前半のミスを挽回して非凡なものを聴かせてくれたが、指揮者とオケの関係はフィットしないままだった。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」のホルンは???という出来。フルートとオーボエは花丸マークで木管陣の健闘が光ったが、一方で弦はシルキーな音色を発揮されることがなく、私の好きな名曲は終わってしまった。消化不良。

「ラ・ヴァルス」はラヴェル特有のウネリのある色彩感があまりなく、しなやかさや柔らかさを感じることができない。なんかウネルというよりハネルといった演奏で、え、ラヴェルの新解釈なんて思うほど。やはりもう少し優雅な音が重なり合う十二単衣のような音色が聴きたかった。

◎参考までにこの10年の「N響 夏」指揮者

2014年 レオ・フセイン
2013年 アンドルー・マンゼ
2012年 ジョン・アクセルロッド
2011年 スザンナ・マルッキ
2010年 マティアス・フスマン
2009年 ジェームズ・ジャッド
2008年 ファビオ・ルイージ
2007年 トマーシュ・ネトピル
2006年 ヤコフ・クライツベルク
2005年 キンボウ・イシイ・エトウ

ヘンヒェン&読響のショスタコ8番

2014-07-16 22:45:28 | 読響
昨日(15日)サンントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第539回定期演奏会に行ってきた。指揮は読響と初共演のハルトムート・ヘンヒェン。

【演目】
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調
《19時00分開演、21時05分終演》

ハ短調の名曲と大曲(難曲?)を聴くというプログラム。

1曲目。ハルトムート・ヘンヒェンは暗譜で指揮をするものの、演奏は譜面通りの模範的な演奏。これを学生オケやアマオケがやったなら拍手喝采であろうが、プロでは面白みに欠ける。指揮者のオリジナリティやオケの特性を活かしていない演奏なんて、いくら良い演奏でも砂を噛むようである。

2曲目。1曲目の凡庸な演奏とは打って変わり、指揮もオケも思いっきり自我を全面に出した演奏。なかでも特筆すべきは、第1楽章でのイングリッシュホルン、第2楽章でのピッコロとエスクラリネット、第3楽章のトランペット、そして最後の第5楽章でのバスクラリネットなど管楽器のソロパートがどれも明晰にして情緒溢れる演奏で鳥肌ものだった。また弦の首席たちもソロパートを際立たせ、読響の個々のレベルの高さをしっかり見せつけてくれた。

それにしても、この曲を聴いていると、戦争の悲惨さを痛感させてくれる。第二次世界大戦の最中にショスタコーヴィチはよくぞこれだけ戦争への怒り、空しさ、虚ろさを描いてくれたと思う。特に第1楽章は戦争をしたくてたまらない何処かの首相に聴いてもらいたいと思って聴いていた。戦争の愚かさ醜さを知らない政治家たちはこうした音楽を聴くべきである。ただ、残念なことに今の日本の総理や、その黒幕である新聞社のワンマンたちは芸術を愛すること理解することを知らない。嘆かわしい限りである。

あと、驚いたのが前半の「運命」が終わって帰る客が多かったことである。私の隣席のタバコ親父や、前のおばさんたちも後半はいなかった。P席にも空席が目立った。そんななかでヘンヒェンと読響の熱い演奏に最後まで拍手を送りつづけた、「芸術を愛する者は戦争を憎む」と思われる観客はブラボーである。

広上淳一&日本フィルの多彩な音楽

2014-07-13 01:02:36 | 日本フィル
一昨日(11日)サントリーホールで開かれた日本フィルハーモニー交響楽団第662回定期公演を聴きに行ってきた。指揮は広上淳一。ソプラノは谷村由美子*。

【演目】
モンテヴェルディ/オペラ《オルフェオ》よりトッカータ
デュティユー/コレスポンダンス*
ベルリオーズ/序曲《海賊》
  ~休 憩~
プッチーニ/交響的奇想曲
プッチーニ/オペラ《マノン・レスコー》より第3幕間奏曲
ストラヴィンスキー/バレエ組曲《プルチネッラ》
《19時00分開演、20時50分終演》

劇場音楽、それもフランスとイタリアを舞台にしたという漠然としたテーマのプログラム。初めて聴く曲が多いためか、それとも、オケのメンバーも初めて演奏する曲が多いためにしっかり練習したせいか、とても新鮮な心持ちにさせてくれる演奏会だった。広上&日本フィル、Good job !

1曲目。1607年に初演されたオペラの序曲。400年前の和音主体の単純な明快な曲。バロック音楽初期の礎ともいうべき曲でもあるが、演奏時間が2分しかないせいか、さほど印象には残らなかった。

2曲目。ベルリン・フィルがデュティユーに委嘱した作品で2003年に初演。声とオーケストラを融合させる曲といった感じの作品。谷村由美子はフランス語の歌声は美しい、伴奏にしばしば登場するアコーディオンも魅力的。

3曲目。『海賊』というとアドルフ・アダンが作曲したバレエ音楽が有名であるが、こちらはベルリオーズが管弦楽による演奏会用序曲。曲調は部分的に『幻想交響曲』に類似しているところがあるが、全体としてとても壮快。もっと演奏会のプログラムに使われてもいいような気がする。

4曲目。プッチーニが1883年にミラノ音楽院の卒業作品として書いた曲。メロディメーカーの片鱗を伺わせる曲で大変興味深かった。

5曲目。1893年にトリノ王立劇場で初演されたプッチーニの出世作の間奏曲。広上淳一は指揮をするというより指揮台の上で踊るといった感じで、この曲をしっかりと手中にしていた。

6曲目。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)からの委嘱作で初演は1920年5月。『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』といったストラヴィンスキーの土着性のある音楽とは異なり、室内楽的音楽と管弦楽的音楽を対峙させながらも古典的な作品。そのために、オケの編成は弦の首席を独奏者として指揮台の周囲にワントップとして配置して、その後に6ー6ー6ー5ー5とする小編成。ただし、8曲の音楽は陽気なイタリアをイメージしていることもあるせいか、弦の五重奏であったり、木管四重奏曲であったり、金管と低弦主体の曲であったりと、かなりカラフルにして華やかなで気持ちのいい。今度は組曲ではなく、全曲版を聴いてみたい。またチャンスがあれば、バレエもぜひとも鑑賞してみたい。

広上淳一は京響を今や毎回完売にするオケに育てあげた最大の功労者である。そして、今回のプログラムのように多彩な演目に挑戦するアグレッシブな指揮者でもある。今後は古巣の日本フィル(1990年代は正指揮者だった)にも新たなる刺激を与えてもらいたい。

それにしても、この日の観客の少なさは残念でならなかった。P席の3分の1は空席。全体としても6~7割の入りであっただろうか。観客も定番の知っている曲だけを聴きに行くという保守的な考えではなく、知らない曲を発見する喜びを知る好奇心をもつべきである。

リヨン歌劇場の『ホフマン物語』

2014-07-10 00:11:50 | オペラ
昨日(9日)オーチャードホールで公演されていたフランス国立リヨン歌劇場公演『ホフマン物語』を観てきた。音楽はジャック・オッフェンバック。演出はロラン・ペリー。指揮は大野和士。管弦楽はフランス国立リヨン歌劇場管弦楽団。主な出演者は下記の通り。

 ホフマン:ジョン・オズボーン
 ミューズ/ニクラウス:ミシェル・ロジエ
 オランピア/アントニア/ジュリエッタ/ステッラ:パトリツィア・チョーフィ
 リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット:ロラン・アルバロ
 アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ:シリル・デュボア
 ルーテル/クレスペル:ピーター・シドム
 ヘルマン/シュレーミル:クリストフ・ガイ
 ナタナエル/スパランツァーニ:カール・ガザロシアン
 アントニアの母:マリー・ゴートロ
 合唱:フランス国立リヨン歌劇場合唱団

《15時00分開演、19時00分終演》休憩2回

町の酒場で詩人・ホフマンが報われなかった3つの恋を回想するという物語。1つ目は機械仕掛け人形・オランピアとの恋。2つ目は胸の病いを患うアントニアとの恋。3つ目は高級娼婦のジュリエッタとの恋。この3つの物語を演出のロラン・ペリーは、同一人物(パトリツィア・チョーフィ)に演じさせることによって、3つの恋を1つの恋、つまり現在の恋人ステッラとの恋として描く。このことによって、主演のオフマン以上に4役を演じるチョーフィの負担がかなり大きくなる。

ホフマン役がレオナルド・カパルポとのダブルキャストなのに対して、チェーフィは1日休みがあるとはいえ、7月5日・7日・9日と歌い続けなければならなかったのは少し酷ではないだろうか。それゆえに、オランピアでのコロラトゥーラはクレーンを使った演出に助けられたとはいえ、コロラトゥーラ特有の艶とうか透明感のある声は聴くことができなかった。また、ジュリエッタでは娼婦といった感じの演技は見受けられず、明らかに疲れが出ていて冴えがなかった。なんで彼女の役もホフマン役同様にダブルキャストにしなかったのであろうか。一方で、ホフマンの敵役4役を演じたロラン・アルバロはチョーフィほどの負担はないとはいえ、見事な歌いっぷりで観客を大いに魅了した。特にコッペリウスとミラクル博士のコワモテの演じ方は白眉。

ロラン・ペリーの演出はオランピアでのクレーンやセグウェイのような電動二輪車、またジュリエッタとのモニターを使った鏡などシンプルながらも現代的な演出は効果的で面白い。ただ、舞台美術、衣装、照明があまりにもモノトーンに統一されすぎていて面白みに欠ける。どこかでカラフルさを使っても良かったのではないだろうか。

さて、演奏であるが指揮の大野和士はオケおよび出演者たちに対して明快な指示をしながら、かなりゆったりとした音楽を奏でた。間奏曲はしっとりと聴かせ、歌曲では控えめな黒子的な伴奏に徹していた。ただ、こちらももう少し演奏を際立てもよかったような気がする。ということで、演出にしても演奏にしても、もう一ひねり欲しい。

最後に苦言というより苦情を1つ。写真にもあるように、終演時刻は18時35分のはずであった。ところが実際の終演時刻は19時00分で、なんと25分もノビノビになったのである。5分や10分終演時刻が延びるということは侭あるが、25分というの初めてだ。こんな掲示をする主催者および劇場はイエローカードだ。観客の多くは終演後の予定を組んでいる。レストランを予約していたり、友人と待ち合わせをしていたりする。そんなことは主催者も解っているはずなのに、このような掲示をするというのはセンスを疑うというか、誠意を疑うというか、人を欺く行為である。こんなデタラメの掲示のために、いつまでも拍手をしたくても席を立たざるをえなかったお客さんもいたはずである。今後はこんな掲示は絶対に止めてもらいたい。

なお、この日はNHKによるテレビ収録が入っていて、放映は9月の予定らしい。