昨日(26日)、サントリーホールで行われた東京都交響楽団の都響スペシャル『第九』公演を聴きに行ってきた。指揮は大野和士。チケットは完売。
ブラームス/アルト・ラプソディ――ゲーテ「冬のハルツの旅」による
~休 憩~
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調「合唱付き」
ソプラノ:天羽明惠
アルト:小山由美
テノール:市原多朗
バリトン:堀内康雄
合唱:東京オペラシンガーズ
《19時00分開演、20時50分終演》
1曲目。まあ良かったといえば良かったのだけど、2曲目のことを考えると、正直なところ無くても良かったのかもしれない。
2曲目。今年の聴き納めになる。オケの編成は16型。合唱団は男女併せて80名ぐらい。4人のソリストは指揮台のすぐ側で歌うというオーソドックスなスタイル。
第1楽章。大野和士の指揮は慎重かつ繊細にスタートするものの、すぐに自分のリズムを掴んだかのように躍動感にあふれていく。それに引きづられるかのように、オケの音もドイツ的な厳格かつ実直な色合いを帯びていく。
第2楽章。いわゆるティンパニー協奏曲と呼ばれる楽章であるが、ティンパニー以上に目立ったのが木管アンサンブルの素晴らしさ。特にホルン→ファゴット→オーボエと繋ぐ箇所などはこれまで聴いた第九のなかでももっとも美しい響きに聴こえてきて、自分の肉体のなかの細胞が踊っているのを感じるぐらいだった。
第3楽章。ここでは成長著しい都響の弦が穏やかに流れる悠久の川のような音色を奏でていく。そして、ここでも木管陣のアンサンブルは見事で鳥肌ものというか究極の音色が奏でられる。もうここまで素晴らしい演奏を聴いてくると、第4楽章の歌などいらないなあ、ここで終わりにして帰りたいなあ、合唱もピアノかパイプオルガンで代用してくれないかなあ、などととんでもない不謹慎なことを考えはじめてしまった。だが、これがまさか現実になるとは思わなかった。
第4楽章。低弦の響きが弱い。地の底から伝わってくるような響きがない。加えて、それまでとても安定していたトランペットがハレーションを起こしたかのように音が割れてくる。そして、4人のソリストの歌声もバリトンを除いては勢いも冴えも感じられない。また合唱団は明晰な歌声で上手いと思うのだが、第九ならではの歓喜という感情が私の胸に十二分に届いてこなかった。
終演後、数多くの観客が残り一般参賀が2回も行われたようだが、私は早々に立ち去ってしまった。今回の都響の第九は第3楽章までがあまりにもパーフェクトだったので、第4楽章の変容が私には残念でならない。タラレバになるが合唱団がP席を埋め尽くすような200人以上いればなあとか、ソリストの歌声にもう少し張りがあればなあとか、という思いが脳裏を横切ってしまった。こんな聴き方は邪道であることは百も承知だが、ただ第九には人それぞれの思いがあってもいいのではないだろうか。
ブラームス/アルト・ラプソディ――ゲーテ「冬のハルツの旅」による
~休 憩~
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調「合唱付き」
ソプラノ:天羽明惠
アルト:小山由美
テノール:市原多朗
バリトン:堀内康雄
合唱:東京オペラシンガーズ
《19時00分開演、20時50分終演》
1曲目。まあ良かったといえば良かったのだけど、2曲目のことを考えると、正直なところ無くても良かったのかもしれない。
2曲目。今年の聴き納めになる。オケの編成は16型。合唱団は男女併せて80名ぐらい。4人のソリストは指揮台のすぐ側で歌うというオーソドックスなスタイル。
第1楽章。大野和士の指揮は慎重かつ繊細にスタートするものの、すぐに自分のリズムを掴んだかのように躍動感にあふれていく。それに引きづられるかのように、オケの音もドイツ的な厳格かつ実直な色合いを帯びていく。
第2楽章。いわゆるティンパニー協奏曲と呼ばれる楽章であるが、ティンパニー以上に目立ったのが木管アンサンブルの素晴らしさ。特にホルン→ファゴット→オーボエと繋ぐ箇所などはこれまで聴いた第九のなかでももっとも美しい響きに聴こえてきて、自分の肉体のなかの細胞が踊っているのを感じるぐらいだった。
第3楽章。ここでは成長著しい都響の弦が穏やかに流れる悠久の川のような音色を奏でていく。そして、ここでも木管陣のアンサンブルは見事で鳥肌ものというか究極の音色が奏でられる。もうここまで素晴らしい演奏を聴いてくると、第4楽章の歌などいらないなあ、ここで終わりにして帰りたいなあ、合唱もピアノかパイプオルガンで代用してくれないかなあ、などととんでもない不謹慎なことを考えはじめてしまった。だが、これがまさか現実になるとは思わなかった。
第4楽章。低弦の響きが弱い。地の底から伝わってくるような響きがない。加えて、それまでとても安定していたトランペットがハレーションを起こしたかのように音が割れてくる。そして、4人のソリストの歌声もバリトンを除いては勢いも冴えも感じられない。また合唱団は明晰な歌声で上手いと思うのだが、第九ならではの歓喜という感情が私の胸に十二分に届いてこなかった。
終演後、数多くの観客が残り一般参賀が2回も行われたようだが、私は早々に立ち去ってしまった。今回の都響の第九は第3楽章までがあまりにもパーフェクトだったので、第4楽章の変容が私には残念でならない。タラレバになるが合唱団がP席を埋め尽くすような200人以上いればなあとか、ソリストの歌声にもう少し張りがあればなあとか、という思いが脳裏を横切ってしまった。こんな聴き方は邪道であることは百も承知だが、ただ第九には人それぞれの思いがあってもいいのではないだろうか。