ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

大野和士&都響の『第九』

2011-12-27 21:57:58 | 都響
昨日(26日)、サントリーホールで行われた東京都交響楽団の都響スペシャル『第九』公演を聴きに行ってきた。指揮は大野和士。チケットは完売。

ブラームス/アルト・ラプソディ――ゲーテ「冬のハルツの旅」による
  ~休 憩~
ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調「合唱付き」

  ソプラノ:天羽明惠
  アルト:小山由美
  テノール:市原多朗
  バリトン:堀内康雄
  合唱:東京オペラシンガーズ
《19時00分開演、20時50分終演》

1曲目。まあ良かったといえば良かったのだけど、2曲目のことを考えると、正直なところ無くても良かったのかもしれない。

2曲目。今年の聴き納めになる。オケの編成は16型。合唱団は男女併せて80名ぐらい。4人のソリストは指揮台のすぐ側で歌うというオーソドックスなスタイル。

第1楽章。大野和士の指揮は慎重かつ繊細にスタートするものの、すぐに自分のリズムを掴んだかのように躍動感にあふれていく。それに引きづられるかのように、オケの音もドイツ的な厳格かつ実直な色合いを帯びていく。

第2楽章。いわゆるティンパニー協奏曲と呼ばれる楽章であるが、ティンパニー以上に目立ったのが木管アンサンブルの素晴らしさ。特にホルン→ファゴット→オーボエと繋ぐ箇所などはこれまで聴いた第九のなかでももっとも美しい響きに聴こえてきて、自分の肉体のなかの細胞が踊っているのを感じるぐらいだった。

第3楽章。ここでは成長著しい都響の弦が穏やかに流れる悠久の川のような音色を奏でていく。そして、ここでも木管陣のアンサンブルは見事で鳥肌ものというか究極の音色が奏でられる。もうここまで素晴らしい演奏を聴いてくると、第4楽章の歌などいらないなあ、ここで終わりにして帰りたいなあ、合唱もピアノかパイプオルガンで代用してくれないかなあ、などととんでもない不謹慎なことを考えはじめてしまった。だが、これがまさか現実になるとは思わなかった。

第4楽章。低弦の響きが弱い。地の底から伝わってくるような響きがない。加えて、それまでとても安定していたトランペットがハレーションを起こしたかのように音が割れてくる。そして、4人のソリストの歌声もバリトンを除いては勢いも冴えも感じられない。また合唱団は明晰な歌声で上手いと思うのだが、第九ならではの歓喜という感情が私の胸に十二分に届いてこなかった。

終演後、数多くの観客が残り一般参賀が2回も行われたようだが、私は早々に立ち去ってしまった。今回の都響の第九は第3楽章までがあまりにもパーフェクトだったので、第4楽章の変容が私には残念でならない。タラレバになるが合唱団がP席を埋め尽くすような200人以上いればなあとか、ソリストの歌声にもう少し張りがあればなあとか、という思いが脳裏を横切ってしまった。こんな聴き方は邪道であることは百も承知だが、ただ第九には人それぞれの思いがあってもいいのではないだろうか。

特別な思いで聴いたN響の『第九』

2011-12-23 12:33:10 | N響
昨日(22日)、NHKホールで行われたNHK交響楽団「第9」演奏会の初日公演を聴きに行ってきた。指揮はスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。

  ソプラノ:安藤赴美子
  アルト:加納悦子
  テノール:福井敬
  バリトン:福島明也
  合唱:国立音楽大学合唱団
《19時00分開演、20時20分終演》

スクロヴァチェフスキは御歳88歳。この日の会場で彼より年長の人はいたのだろうか・・・。出演者、観客を含めて指揮者がおそらく最年長という『第九』を聴くのは初めてである。ただし、上に上があるもので、朝比奈隆は確か92歳で『第九』のタクトを振っている。しかし、ひょっとするとスクロヴァチェフスキはそれを上回るかもしれない。

第1楽章。スクロヴァチェフスキの指揮ということで、普段はまろやかにしてシルキーなN響の弦が剛直というほどはないが、実直にして硬質な音色を奏でる。楽団員の顔も普段より少し強張っているように見える。その緊張感の中からかホルンやトランペットも直球勝負のようなダイレクトな響きを伝えてくる。そして、ファゴットからはリズミカルなテンポが奏でられる。このファゴット陣は最後までそのテンポを崩すことがなく、この日の演奏では文句なしのMVPだ。

第2楽章。緩徐楽章だがここでもスクロヴァチェフスキの手は緩まない。そして、ここではティンパニーがゴム鞠のような弾む音色が心地よい。ただし、木管陣のアンサンブルは冴えが感じられなかった。

第3楽章。出だしの第2ヴァイオリンとヴィオラによる主題が立体感に満ちていて素晴らしい。それに加えて、第1ヴァイオリン、チェロ、コンントラバスも美しい音色を奏でていく。ここに来てN響らしい柔和にしてシルキーな音色を聴けるようになる。そして、徐々に最終楽章への秒読みとなり、聴き手のこちら側も緊張してくる。

第4楽章。楽章が始まってもソリストは登場しない。おおよそ5分ぐらいして演奏中に下手側から打楽器陣3人と共に登場。

バリトンの福島明也は少し上ずったところもあったが迫力度は満点。テノールの福井敬はいつもながらの安定感で聴いていて気持ちよい。女性陣の2人(安藤赴美子、加納悦子)は素晴らしかった。2人とも先日の新国立劇場の『ルサルカ』に出演していたが、昨日はもう水を得た魚のようにピチピチ(年齢ではない)した張りのある声で魅了させてくれた。

今年の国立音楽大学合唱団は第3楽章まで誰1人として微動だにしなかった。毎年1~2人は落ち着きのないヤツがいるものだが、今年は1人1人の自覚がしっかりしていたのだろう。私のちょうど2列前の席に座っていた合唱指導のお二人の先生(田中信昭、永井宏)もその点は満足ではなかったのではないだろうか。

終演後、間髪を入れず2階席や3階席から「ブラボー!」(1階席には誰もいなかった)は残念だ。いまだに残響を楽しめない愚かな音楽ファンが多くいることが信じられない。N響も他のオケと同じように、開演前にもっと注意を促すアナウンスをするべきである。

最後に、やはり今年の『第九』は特別だった。第4楽章の合唱が始まると自然と目頭が熱くなった。というのも、私には合唱団の後ろにある白い反響板に三陸の静かな海、野原と化してしまった町、まだ瓦礫と骨組みだらけの市街地などの光景が次々と浮かんだきてしまったのである。それはまるでオケと合唱団が三陸の地で歌っている映像のようにすら見えてしまった。

『第九』は生きる歓びの歌である。しかし、昨日はどうしても追悼と祈念の思いで聴かざるをえなかった。

都響のショスタコ・プログラム

2011-12-21 14:00:57 | 都響
昨日(20日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第727回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮はエリアフ・インバル。ヴァイオリンはジュリアン・ラクリン。

【演目】(※はアンコール曲)
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
※バッハ/サラバンド
~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第12番ニ短調「1917年」
《19時00分開演、21時00分終演》

先日のN響定期公演のときも書いたが、昨日の公演もチケットは完売にも関わらず空席が目立った。開場前にはホール前に胸に「チケットを求む」という人が何人もいた。ところが、客席はN響ほどではなかったにせよ空席が目立ち、2階左右の補助席も遅れてきた客が1人座るだけだった。

チケットが完売することは主催者側としては嬉しいことだが、ただ4席も5席も並んで空席ができる状態はあまり喜ばしいことではない。主催者側からすれば定期会員がチケットを知人などに譲ればいいだけと思うだけかもしれないが、急用だったり急病でチケットを譲れない人もいる。主催者側はそうしたチケットを学生などに譲渡するサービスを行うとかできないものなのだろうか。

1曲目。ジュリアン・ラクリンは今年2月のN響で聴いているが、そのときの印象はあまりにも繊細すぎて今ひとつだったが、昨日は人が変わったような繊細にしてダイナミズム。40分間、楽章間の休み以外はずっと弾きっぱなしという難曲を見事に奏であげた。

第1楽章、ラクリンのヴァイオリンは重たい低い音を悠々と響かせていく。それはモノトーンにして単調な眠りを誘うような旋律かもしれないが、私にはどことなく彼なりの震災に対する哀悼の意を表しているように思え、胸が締め付けられた。第2楽章はセンセティブにしてダイナミズムな音色を四方八方に放ち、第3楽章のカンデツァはもう圧巻。そして、第4楽章では客席全体を完全に息を飲み込むような緊張感に漲らせた。ブラボー!

2曲目。ショスタコーヴィチほど時の体制に翻弄された音楽家はいないのではないだろうか。「1917年」と表題が付けられているように、この曲は明らかにソビエトの「十月革命」を題材にしている。そして、作曲者自身も「レーニンを偲ぶもの」と言っているようにレーニン賛辞の曲でもある。しかし、果たしてそうであろうか。

ショスタコーヴィチは交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」で革命賛辞の曲をすでに書いている。ところが、この交響曲第12番は表層的には革命を賛辞になっているものの、どことなくアイロニーが込められているような気がしてならない。こうした政治的および作者的背景があるから、どうしてもオケが大音響をあげて音楽的には素晴らしくても、なぜか虚無感が残ってしまう。まあ、それがショスタコーヴィチたる音楽の宿命なのかもしれないが・・・。

演奏としては木管のファゴットや金管のトロンボーンなどが素晴らしかった。また、打楽器陣が大奮闘。特にこの曲の要ともいうべき大太鼓と小太鼓の2人の思いっきりの良さが際立っていた。それに導かれたわけではないだろうが、最後はとても情熱的なフィナーレで終わり、それと共に「ブラボー」の嵐が沸き上がった。ただ、私のなかには虚無感が漂ってしまい、拍手もどことなく虚ろ虚ろであった。やはりそれがショスタコーヴィチたる作曲家の所以なのかもしれないが・・・。

ソリスト木管金管を陰で支える打楽器奏者

2011-12-15 16:54:25 | N響
昨日(14日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1717回定期公演を聴いてきた。指揮はシャルル・デュトワ。ピアノはニコライ・ルガンスキー。

【演目】
ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番ハ長調
  ~休 憩~
バルトーク/オーケストラのための協奏曲
《19時00分開演、21時00分終演》

年末だからなのか、それともプログラムのせいなのか、完売のはずなのにかなり空席が目立った。N響定期会員のおじさん・おばさんたちよ、来場できないなら誰かにチケットを譲りなよ、と声を大にして言いたい。

1曲目。この日は前回のような出来ではなく、最初からデュトワとN響の関係性が見事に表れていた。ただ、部分的には少し粗さもあったが、リズムやテンポは小気味良かった。

2曲目。この曲はどちらかというと情熱的に弾くピアニストが多いと思うが、ニコライ・ルガンスキーは第1楽章は沈着冷静、まるで研究者がピアノと楽譜を分析するかのように弾いていく。そして、音色は上品だった。

ところが、第2楽章に入るやいなや自分の思いというか魂をピアノに託していく。そして、その音色はエレガントにして気高かった。

そして、第3楽章のアレグロでは高速回転の演奏を次々と披露していき、オケも彼に引きづられるかのようにノリノリになっていく。終曲部分ではソリスト、指揮、オケが三位一体となり、ダイナミックにしてテクニカルな音色を奏であげ、この曲のもつ魅力をいかんなく発揮してくれた。ブラボーです。

3曲目。前回の定期公演ではボロボロだった木管陣も今回は要所要所でしっかり決めてくれた。なかでも、もっとも重要であろうファゴット(水谷上総)が力強い音色を上げていた。こうした木管や金管を目立たないながらも、引き立てていたのが打楽器のいくつのパートを受け持った竹島悟史だ。彼は一流のマリンバ奏者でありピアニスト。N響では小太鼓、ドラ、シンバル、鐘、トライアングルなどなんでもござれと八面六臂の活躍をしている。そして、彼のいいところは協奏曲などの演奏後、ソリストへ真っ先に惜しみない拍手をしていることだ。この日も前半のピアノ協奏曲では、彼が一番大きな拍手と笑顔をおくっていた。

早くNHKホールでの「開演前の室内楽」が復活して、竹島が叩くマリンバを聴いてみたい。

ヴァイオリニストが可哀想だったN響定期

2011-12-12 21:29:51 | N響
先日(16日)NHKホールでNHK交響楽団の第1716回定期公演を聴いてきた。指揮はシャルル・デュトワ。ヴァイオリンはリサ・バティアシュヴィリ。

【演目】
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
  ~休 憩~
バルトーク/歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)
   青ひげ公:バリント・ザボ
   ユーディト:アンドレア・メラース
《19時00分開演、21時05分終演》

リサ・バティアシュヴィリはグルジア出身の若手ヴァイオリニスト。N響とはこれまでに2004、2006、2009年と3回共演しているが、私は初めて聴く。使用楽器は日本音楽財団から貸与されたストラディヴァリウスのエングルマン(1709年製)。

1曲目。ソリストが可哀想になるぐらい、ひどいオケの出だし。特にホルンの音色は悲しいものがあった。これまで黙っていたが、今回は毒を吐かせてもらう。N響はホルン・セクションをテコ入れするべきである。この日のようなホルンの音色を出しているようでは、いつまでたっても世界の一流オケにはなれない。以前は金管がいろいろと言われていたが、菊本和昭が入ったことによって一気に引き締まった。ところが、ホルンは松崎裕が定年で辞めてからは、歯が抜けたような状態になっている。ホルンは難しい楽器であることは重々承知しているが、とにかくホルン・セクションの大改革を望む。

というわけで、ホルンの出だしのヅッコケが響いたために、リサ・バティアシュヴィリのヴァイオリンも冴えない。ノリが悪い。加えて、木管のアンサンブルもどことなく不協和音で、ブラームスのわりには重厚感もなければ、かといって爽快感がある音色が伝わってくるわけでもない。どちらかといえば、虚脱感というか浮遊感な音色が漂ってくるだけで眠くなってしまう。いずれにしろ、こうした演奏は彼女の責任ではなく、一にも二にもオケに責任がある。リサ・バティアシュヴィリさん、今度は違う日本のオケと共演してくださいね。

2曲目。1曲目とはまるで別人のように、オケは引き締まった演奏。休憩時間にデュトワに「喝!」とでも言われたのだろうか。ただし、演奏を引っ張ったのはオケではなく、2人の独唱ソリストだった。

物語の口上を述べるバリント・ザボの声が魅惑的だった。バス特有の張りと奥深い声が物語への誘いを告げていく。そして、お城に導かれたユーディト役のアンドレア・メラースが美しいソプラノの歌声を響かせる。ここで私の脳裏にはちょっと不気味なお城の姿が浮かびあがってくる。そして、重たそうな7つの扉が次々と開かれていく。

「青ひげ公の城」は青ひげに招かれたユーディトが7つの扉をあけていくお話なのだが、それは結局男と女の駆け引きという心理劇である。つまり、7つの曲からなりたっているオペラというか組曲でもある。

プログラムによるとこの2人は「青ひげ公の城」を十八番にしているということなので、衣装はつけてなくとも、大きな動作をすることがなくとも、身の振り方や顔の表情でユーディットと青ひげ公を見事に演じていく。願わくば少しぐらい照明のアレンジを加えてもらいたかった。

この曲のクライマックスは第5の扉を開けたときの、バンダ(トランペットとトローンボーンの8人)とパイプオルガンが鳴り響くところだが、今回はそのパンダがパイプオルガンの前に並んだので、広大な領土を象徴する音色は壮大にして圧巻だった。ただ、第6の扉なのときの木管はもう少し思いっきり歌ってほしかった。

結果的に2人のソリストに救われた演奏会であったが、N響木管陣にとっては大きな課題が残った演奏会だった。

『こうもり』@新国立劇場

2011-12-08 12:00:46 | オペラ
昨日(7日)新国立劇場・オペラ劇場でオペレッタ『こうもり』を観てきた。音楽はヨハン・シュトラウスⅡ世。指揮はダン・エッティンガー。演出はハインツ・ツェドニク。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。出演者は下記の通り。

  ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:アドリアン・エレート
  ロザリンデ:アンナ・ガブラー
  フランク:ルッペルト・ベルクマン
  オルロフスキー公爵:エドナ・プロホニク
  アルフレード:大槻孝志
  ファルケ博士:ペーター・エーデルマン
  アデーレ:橋本明希
  ブリント博士:大久保光哉
  フロッシュ:フランツ・スラーダ
  イーダ:平井香織

  合唱:新国立劇場合唱団
  バレエ:東京シティ・バレエ団

上演時間 1幕 60分 休憩 25分 2幕3幕 95分
《18時30分開演、21時35分終演》

舞台美術(オラフ・ツォンベック)はオペレッタ風のちょっと安上がりな舞台に見えるが、かなり巧妙に考えられている。第1幕は額縁舞台にマンガチックな書き割りの家。第2幕は透明なガラス張りのような部屋。第3幕もこれまた書き割りによる監獄なのだが、これらがすべて反響板の役目も果たしている。そして、第2幕と第3幕後半ではこの書き割りが外されて、舞踏会のシーンが繰り広げられ、きらびやかな照明(立田雄士)がアールデコ調の舞台および衣装を華やかにする。演出はところどころに日本語のセリフを散りばめて、人によってはチープっぽく思えるかもしれないが、喜劇的展開のテンポを崩すことなく軽快でかなり楽しめた。

出演者は男性陣はこうした演出意図や舞台美術を理解しているようで、歌と共にコミカルな味をだしていて好感がもてた。主役級の2人であるアイゼンシュタイン役のアドリアン・エレートとアルフレード役の大槻孝志の2人は透き通った歌声もよく通っていて適役。フランク役のルッペルト・ベルクマンもファルケ博士役のペーター・エーデルマンも好演だった。

一方で女性陣はひ弱なキャスティングと言わざるをえない。ロザリンデ役のアンナ・ガブラーは歌声はいいにしても、演技力に難があり芝居全体を彼女に引き寄せるような魅力がない。アデーレ役の橋本明希もチャーミングな演技力はいいのだが、残念ながら他の出演者に比べて声量が弱く、またコロラトゥーラも客席にしっかり届いてこなかった。

あと、ダン・エッティンガーが指揮する音楽はあまりにも実直で生真面目。軽快さはあるもののシュトラウスならではの優雅さや華麗さがない。まあオペレッタなのだからこれでいいのかもしれないが、有名なワルツぐらいはもう少しクリスマス気分な音色を味わいたかった。

いろいろ最多鑑賞ベスト3

2011-12-07 00:01:19 | Weblog
今年もあちらこちらで「◯◯ベスト10」とか「◯◯ベスト3」といった発表が始まりました。そこで私も「今年」ではなく「これまで」見聞きしてきた芸術関係の最多鑑賞ベスト3をちょっと考えてみた。(随分強引な前書きだなぁ・・・)

コンサートで最も多く聴いている交響曲ベスト3は『チャイ5』『幻想』『ブラ1』。あと、多そうなのは『第九』『ベト7』『悲愴』あたりだろうか。

多く観ているオペラベスト3は『ラ・ボエーム』『椿姫』『魔笛』、だと思う。『トリスタンとイゾルテ』も多いような気がする。

バレエは観劇数がさほど多くないので、単純にお気に入りベスト3として『ボレロ』『くるみ割り人形』『ジゼル』、かな。

何度も観ているミュージカルベスト3は『レ・ミザラブル』『コーラスライン』『オペラの怪人』、だと思う。

それにしても、我ながらミーハーな鑑賞ベスト3である・・・。

『ルサルカ』@新国立劇場

2011-12-01 00:15:04 | オペラ
一昨日(29日)新国立劇場・オペラ劇場でオペラ『ルサルカ』を観てきた。音楽はアントニーン・ドヴォルザーク。演出はポール・カラン。指揮はヤロスラフ・キズリンク。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。出演者は下記の通り。

  ルサルカ:オルガ・グリャコヴァ
  イェジババ(魔法使い):ビルギット・レンメルト
  王子:ペーター・ベルガー
  ヴォドニク(水の精):ミッシャ・シェロミアンスキー
  外国の公女:ブリギッテ・ピンター
  森番:井ノ上了吏
  皿洗い(料理人の少年):加納悦子
  第一の森の精:安藤赴美子
  第二の森の精:池田香織
  第三の森の精:清水華澄
  狩人の声:照屋 睦
  合唱:新国立劇場合唱団

上演時間 1幕 60分 休憩 25分 2幕 45分 休憩 20分 3幕 50分
《18時00分開演、21時25分終演》

あらすじは大体このようなものである。人間になりたいと願う水の精ルサルカは森の奥に来た王子に見初められる。そして、お城で結婚式をすることになったが、彼女は喋ることも出来ず、水の精ということもありいろいろと“冷たい”。そのために、王子は来賓の女性(外国の公女)に手を出そうとするが、こちらもすったもんだでフラれる。王子は改心して、再びルサルカに会うために森の奥に入るが、結局は・・・。王子にとっては悲恋どころではない、とんでもないストーリーである。w

今回のプロダクションは2009年にノルウェー国立オペラ・バレエ劇場が制作した舞台装置・衣裳・小道具を拝借して上演されている。つまり、ノルウェー版である。そして、日本ではほとんど上演されたことがないオペラということあってか、残念ながらいろいろと粗が目立った舞台だった。

まず第一に舞台装置は森や水を幻想的にうまく表しているが、ただかなり角度のきつい傾斜舞台のために、出演者たちの誰もが演じるのに苦労していた。特に、女性陣のほとんどの歌が正面見であまり動きがないのである。

タイトルロールのオルガ・グリャコヴァは6月の『蝶々夫人』で清楚な役柄を見事に演じたが、今回は迷える妖精をうまく演じているとはいえない。というのも、3~4度出てきたアクの強いヴィブラートを使った歌い方はこの役にあっていないからだ。こうした歌い方は彼女自身によるなものか、演出的意図なのか解らないが、いずれしろ幻想的な舞台には似合わない。そもそも、彼女の少し硬質なソプラノがこの役に適しているとも思えず、再演のときはできればもう少し柔和なソプラノ歌手にした方がいいと思う。一方の王子役のペーター・ベルガーは第1幕では綺麗なテノールを聴かせてくれるのだが、こちらも話が進むにつれてヴィブラートを使うようになり興ざめしてしまった。

演奏の東京フィルだがやはり不慣れな曲のせいもあるだろうが、今ひとつ統一感がない。特に木管の響きが自信なさげで弱々しい。これは指揮者うんぬんの話ではないだろう。

ということで、ほとんと日本初演のようなオペラなために、全体の完成度としては残念ながら高いといえない。ただし、ドヴォルザークの音楽は美しいので、いろいろな問題点を改善したならば、再演は可能ではないだろうか。

最期に余談になるが、舞台下手側の壁紙が剥がれているのがとても気になった。これがもし意図的な演出だったらいったい何だったのだろうか。もし、単なるミスだったら舞台スタッフは問題である。

なお、この日はNHKが収録を行っていた。