ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

今回は熱くなかったルイージ&N響

2017-04-23 00:26:32 | N響
一昨日(21日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1859回定期公演Cプログラムを聴いてきた。指揮はファビオ・ルイージ。ピアノはベアトリーチェ・ラナ。

【演目】(※はアンコール曲)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15
※バッハ/パルティータ第1番〜ジーグ
  〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第4番ホ短調
《19時00分開演、20時50分終演》

1曲目。ベートーヴェンのピアノ協奏曲というとよく演奏されるのは第3〜5番。第1〜2番を聴く機会は少ない。冒頭のイントロ部分はまるでハイドンの交響曲のようで、まだベートーヴェン色はない。続くピアノ・ソロもかなり単調でモーツァルトの延長線上でしかない。しかし、それが第2楽章以降になると、徐々にハツラツにして華麗な音色に変わっていく。このあたりにその後のベートーヴェンの片鱗を垣間見るならぬ垣間聴くことができる。ただ、それでも情熱というか熱情を感じることはできない。そういう意味において、奏者のベアトリーチェ・ラナは楽譜に忠実に弾いていたのだろう。ということで、若いラナの実力がどのようなものを推し量れることはできない。せめて第3番か第4番を弾いてほしかった・・・。

2曲目。ファビオ・ルイージはドラマチックな曲を得意としているので、ブラ4のような内包的というか精神的芸術性のある曲が得意なのか少々不安があった。そして、その不安は第1楽章にもろに表れた。穏やかにしてかなりスローなテンポで始めたが、木管と金管のアンサンブルは多元的というか全く立体感がなくバラバラ。それでいて弦の音をかなり抑えて、その粗さをまるで際立てるのような作り。これはN響の奏者たちの問題ではなく、おそらくルイージの指示によるものであろう。でなければ、あんなアンバランスな構成は学生オケでもしないと思う。ということで、第1楽章が終わったところで、周囲の人たちから咳払いでなくため息が数多く聞こえた。私も帰ろうかなあ、と思ったぐらいである。しかし、第2楽章に入るとルイージはオケの主体を弦に移行させて、調和のとれた音楽を形成していった。そして、第3楽章に入るといつものN響サウンドと変わることのない団結力のある音色が築き上げていき、アタッカで入った第4楽章も木管のアンサブルがよく、最後は聴衆からもブラボーの声が飛ぶほどの演奏で完結した。しかし、私としてはどういう意図を持って演奏されたか解らなかった第1楽章の不満が最後まで残ってしまった。




ルイージ&N響はやっぱり熱い

2017-04-16 23:53:54 | N響
昨日(15日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1858回定期公演Aプログラムを聴いてきた。指揮はファビオ・ルイージ。ヴァイオリンはニコライ・ズナイダー。

【演目】(※はアンコール曲)
アイネム/カプリッチョ 作品2(1943)
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲ホ短調
※バッハ/サラバンド
  〜 休 憩 〜
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」
《18時00分開演、20時05分終演》

1曲目。初めて聴く。ナチスドイツ時代に作られた作品だが、非常に自由かつ快活な作品でちょっと驚き。ただ、途中から睡魔が襲ってくるような単調な部分もある。

2曲目。正直とても聞き飽きている曲である。しかし、身長は2メートルはあろうかという巨漢のニコライ・ズナイダーが奏でるメンコンはアメンボかミズスマシの如く水面をスラスラとなめらかに奏でられ、時には3回転ジャンプをするような躍動感も加わり、これまで聴いてきたメンコンとは一味も二味も違った。次回は是非とも骨太のブラームスかブルッフの協奏曲を聴いてみたい。

3曲目。ファビオ・ルイージといえば、オルフの「カルミナ・ブラーナ」(2014年1月)を思い出す。あの時の情熱的というか狂乱的な指揮ぶりとそれに応えた合唱と演奏はは今でも脳裏に焼きついている。あの時は終演後も拍手が鳴りやまず定期公演では珍しく“一般参賀”まであった。あれから3年余。ルイージの指揮は当時より数倍も切れ味が鋭くなり、オケを煽動かつ先導していく。それに応えるべく木管は旋律を緩急自在に奏であげ、金管は一糸乱れない咆哮を何度も繰り広げ、そして、弦は縁の下の力持ちとなっていた。特にコントラバスは素晴らしかった。

終演後の客席からの怒涛の拍手とブラボーの嵐。加えて楽団員たちもルイージに盛大かつ熱狂的な拍手を送っていた。今回は“一般参賀”はなかったものの、観客および楽団員たちが彼をとてもリスペクトしていることが証明された公演だった。今週のC定期のブラームスの4番が楽しみである。