ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

広上淳一&N響のバーンスタイン生誕100年コンサート

2018-01-19 14:21:03 | N響
先日(12日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団による第1876回定期公演を聴いてきた。指揮は広上淳一。演目は下記の通り。ヴァイオリンは五嶋龍。

【演目】
バーンスタイン/スラヴァ!(政治的序曲)
バーンスタイン/セレナード(プラトンの「饗宴」による)
  〜 休 憩 〜
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調
《19時00分開演、20時55分終演》

今年はレナード・バーンスタイン生誕100年。私は彼が亡くなる2年前にニューヨークでNYフィルを指揮するのを聴いたことがあるが、その踊るように指揮ぶりは今だに瞼に焼きついている。

広上淳一は直接のバーンスタイン門下ではないが、1987年にバーンスタインがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演に来た時にアシスタントに就き薫陶を受けたそうである。

1曲目。初めて聴く曲。たった4分間の曲なのだが、なんか異様に凝縮されている感のある曲。ジャズ&ミュージカル色が強い曲だが、気品と威厳にも満ちていて気持ちがいい。広上淳一の楽しい指揮ぶりにN響の面々も珍しく1曲目からノリノリの演奏。

2曲目。五嶋龍は一般的な協奏曲を引きたがらないようである。前回聴いた時も武満徹の「ノスタルジア」で今回はバーンスタインの「セレナード」である。伴奏は弦楽と打楽器のみで、演奏方法も一般的な協奏曲スタイルと異なり、どことなく対峙的かつ先鋭的である。全5楽章30分余の曲だが、かなりエキセントリックにして難解な曲を五嶋は完全暗譜で演奏。この曲に対する入れ込みが感じられた。

3曲目。バーンスタインが好きだったというショスタコーヴィチ第5番。この曲に関しては日本(および韓国、中国)ではこの作品の副題に「革命」とする場合があるが、これはどうやら宣伝用に作られたもので楽譜にはそのよう表記されていないらしい。ではなぜそのような表題をつけたかといえば、おそらく戦後の日本の共産主義運動と関連するのであろうし、この曲をソビエト政府が高かく評価していたからであろう。ただし、この名曲に対する解釈はいろいろである。

広上淳一のタコ5はかなりスローテンポ。一瞬ドキッとしたがこれがいわゆる解釈の違いなのかと感じる。そして、ロシア人指揮者が奏でる時のような「前へ、前へ」というような爆演ではなく、あくまでも協調性のある滑らかさを求めているかのようである。つまりこれが『革命』=「解放された歓喜」という解釈ではなく、ショスタコーヴィチが持つ裏の顔ともいうべき「強制された歓喜」なのかもしれない。それでも、最終楽章に入ると広上ダンスがビシビシと決まり始め、普段はあんなに身体を揺らすことのないN響の弦が稲の穂の如く畝る畝る。そのピュアにしてハイテンションな音色を引き出す広上は素晴らしい。おそらく今の日本人指揮者でN響からあれだけの音を引き出せる人は他にはいないだろう。

当日もらったプログラムの中に「2018−19定期公演予定」が書かれているページがあり、そこには12月はシャルル・デュトワの名が載っている。しかし、訂正折り込みには「12月定期公演の指揮者は現在調整中」とあった。例のセクハラ問題の影響なのだろうが、もしデュトワが回避するならば、3公演のうち1つは広上淳一にお願いするべきである。今や彼こそがN響を一番理解する日本人指揮者であり、ナンバー1は日本人指揮者だと思うからである。

広上ダンス炸裂の京響

2017-09-21 13:44:29 | その他
先日(18日)サントリーホールで開かれた広上淳一と京都市交響楽団による「第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサート」を聴いてきた。演目は下記の通り。

【演目】
武満徹/フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
    〜5人の打楽器奏者とオーケストラのための〜
  〜 休 憩 〜
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調
※チャイコフスキー/組曲第4番から 第三曲「祈り」
《18時00分開演、20時30分終演》

1曲目。実はこの曲は5年前にN響で聞いている。その時も指揮は広上淳一だったが、会場がNHKホールということで少し様相が違うし、音の聴こえ方も違っていた。また、前回の聴いた時はやたら祭儀的というか呪術的な音楽の印象を受けたが、今回はいわゆる現代音楽であり、副題にあるよう打楽器奏者だけでなくオーケストラのための演奏でもあった。

2曲目。先日ミューザ川崎で東響のこの「ラフマニノフ/交響曲第2番」の演奏を聴いた時に、知人に「今度京響がやりますよ」と聞かせれて、チケットを買った次第なので、さしたる期待感もなく行ったのである。しかし、深く反省。いや〜、痺れました。泣かされました。これまでにこの曲は何回いや十数回は聞いている。そのなかで文句なしに最高だったのは2010年のパーヴォ・ヤルヴィ&シンシナティ響だが、今回の演奏はそれに勝るとも劣らない素晴らしいもので、日本のオケが演奏したなかでは一番である。

京響を聴くのは久しぶり(4年ぶりぐらい?)だと思うが、弦楽器の懐の深い音色には驚いた。こんな奥行きのある弦の音を出せるオケはそうそうない。京響ということもあるかもしれないが京町屋のうなぎの寝床を連想してしまう涼しげにして爽やか、それでいて奥深い音色を発するのである。ラフマニノフというとどうしてもアンニュイであったりデカタンスな感じになりやすいのだが、広上淳一が弦パートに求める音色はアメリカ的というか開放感に満ちた音色だった。またそうした土壌の上を木管金管陣が素晴らしい演奏を重ねていく。なかでも目立ったのはクラリネットの小谷口直子だったが、私はその彼女を上手く支えたファゴット(中野陽一朗)に耳が点になってしまった。

いまや関西では飛ぶ鳥を落とす勢いでチケットも完売になることが多いという京響だが、意外にも東京での公演は少ない。札幌交響楽団や山形交響楽団は年1回の東京公演を行なっているのだから、京響も毎年1回は公演してはどうだろうか。サントリーもそれぐらい器量のある支援をするべきである。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」@NHK音楽祭

2017-09-12 10:45:57 | N響
先日(9日)NHKホールで開かれているNHK音楽祭のNHK交響楽団「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)を聞きに行ってきた。音楽はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。ステージ演出は佐藤美晴。主な出演者は下記の通り。

ドン・ジョヴァンニ:ヴィート・プリアンテ
騎士長:アレクサンドル・ツィムバリュク
ドンナ・アンナ:ジョージア・ジャーマン
ドン・オッターヴィオ:ベルナール・リヒター
ドンナ・エルヴィーラ:ローレン・フェイガン
レポレッロ:カイル・ケテルセン
マゼット:久保和範
ツェルリーナ:三宅理恵
合唱:東京オペラシンガーズ
《15時00分開演、18時35分終演》休憩1回

このオペラ、基本的に主役はドン・ジョヴァンニとレポレッロであるが、今回の舞台は演奏会形式というせいもあるかもしれないが、一体誰が主役なのと思うぐらい脇役陣の歌声が素晴らしかった。

舞台には指揮台の左右には長椅子が置かれていて、出演者はその前で歌うのだが、それ以外にもオケのバックの空間やオケの中に入って歌ったりとかなり動きがある。また照明を多様して、小道具を用いたりと小芝居ながらも小洒落た演劇的要素を入れている。この演出がオケの音色と上手く融合していて、下手に仰々しいオペラを見るより快感である。演出の佐藤美晴はグッドジョブだ。

出演者では前述した通り脇役陣が素晴らしい。なかでも騎士長役のアレクサンドル・ツィムバリュクとオッターヴィオ役のベルナール・リヒターの艶やかにして伸びのある歌声は白眉であった。この2人、日本ではまださほど有名ではないようなので、機会があれば新国立劇場に登場してもらいたい。それにしても、こういう若手有望株を連れてくるパーヴォ・ヤルヴィは大したものである。

さて、そのヤルヴィが指揮するオケだが、モーツァルトの優美な旋律をごくごくオーソドックスに演奏する。それゆえにモーツァルトを聴くと眠くなる私は、この日も前半は時にウトウトしてしまう。しかし、後半になるとヤルヴィはかなりドラマティックさを求めるかのように音色に緩急を加えていく。そして、比較的小編成の12型対向配置のオケが芝居同様に躍動感ある清々しい音色を奏であげていた。


フェドセーエフとN響@ミューザ川崎

2017-05-26 11:17:15 | 海外オーケストラ
昨日(25日)ミューザ川崎で開かれた明電舎創業120周年記念「N響 午後のクラシック」を聴いてきた。指揮はウラディーミル・フェドセーエフ。ピアノはボリス・ベレゾフスキー。

【演目】(※はアンコール曲)
ショスタコーヴィチ/祝典序曲
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
  〜 休 憩 〜
リムスキー・コルサコフ/スペイン奇想曲
チャイコフスキー/幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
※ハチャトゥリアン/バレエ組曲「ガイーヌ」より「レズギンガ舞曲」
《15時00分開演、17時00分終演》

開演前というか会場に向かう時、川崎からミューザ川崎に行く通路の上でフェドセーエフは和やかに家族と思われる人たちと川崎の町並みを楽しんでいた。84歳の余裕というか、緊張のほぐし方をよく知っているなあと、思わざるをえなかった。

さて、1曲目。ショスタコーヴィチが1954年(私が生まれた年)の革命記念日のために作ったという曲。初めて聞くがいかにも体制賞賛を仰々しくしている音楽だが、聴いていくうちに何か手抜きというかどことなくチープ。ショスタコーヴィチらしさは全くといっていいほどなく、まあ適当に盛り上がる曲を作りましたという感じだった。

2曲目。ボリス・ベレゾフスキーは剛腕な演奏をするピアニストで、時にその凄さに驚かされるが、この日の彼は真逆で粗っぽさだけを露呈する演奏。チャイコフスキー国際コンクールで優勝したのだから、粗さは目立ってももう少し、心に残る何かが欲しかった。

3曲目。スペイン奇想曲は何度か聴いているが、フェドセーエフが指揮をすると音楽がスペインというより中央アジア的に聴こえるのが不思議。コンマス(篠崎史紀)の奏でる哀愁あるメロディも、パープ(客演)の音色もどことなく情熱的というより牧歌的。

4曲目。「フランチェスカ・ダ・リミニ」はおそらく初めて聴く。チャイコフスキーというと6つの交響曲と3つのバレエ音楽のイメージがあるが、これはそれらとは全くことなる音楽。幻想曲と題しているだけあって、ファンタジックかつドラマティックでとても興味深い。チャイコフキー自身はこの曲について「迫力のないつまらない作品」と評しているようだが、なかなか味わいのいい音楽で、もっともっと演奏されていいのではないだろうか。

そして、この日の白眉はアンコールの「レズギンガ舞曲」。スネアドラムを叩かせたら日本一と思う竹島悟史がフェドセーエフとアイコンタクトしながら激しい音色を場内に轟かせ、それに合わせてオケがワイワイと演奏してみんなで音楽を楽しんでいる。聴いていて羨ましくなる時間だった。演奏後、フェドセーエフは竹島を指揮台近くまで連れてきて、2人して聴衆および楽団員の拍手喝采を浴びていた。

フェドセーエフは残念なことに次のシーズン(2017~2018)にN響を振る予定はないが、もしその次シーズンに来れるようなら、今度は「レズギンガ舞曲」だけでなく『ガイーヌ』組曲を取り上げてもらいたい。

オペラ『オテロ』@新国立劇場

2017-05-01 10:05:24 | オペラ
先日(22日)新国立劇場・オペラ劇場で公演された『オテロ』(千秋楽)を観に行ってきた。音楽はジュゼッペ・ヴェルディ。演出はマリオ・マルトーネ。指揮はパオロ・カリニャーニ。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。主な出演者は下記の通り。

オテロ:カルロ・ヴェントレ
デズデーモナ:セレーナ・ファルノッキア
イアーゴ:ウラディーミル・ストヤノフ
ロドヴィーコ:妻屋秀和
カッシオ:与儀 巧
エミーリア:清水華澄
ロデリーゴ:村上敏明
モンターノ:伊藤貴之
伝令:タン・ジュンボ
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
《14時00分開演、17時00分終演》休憩1回

ストーリーはオテロがヴェネツィアに凱旋。市民たちは大歓迎する。しかし、オテロの部下である騎手のイアーゴは、副官に抜擢されたカッシオに嫉妬するあまり、オテロに「カッシオとあなたの妻・デズデモーナは不倫している」と囁く。その後もイアーゴは次々と策略を立てていき、オテロとデズデモーナの仲は悲劇的な関係となっていく。

舞台は50トンの水を用いてヴェネツィアの運河を再現。その中央にあるオテロの館の部屋が場面ごとに転回する。それ以外は大掛かりな屋台崩しがあるわけではない。それでも、水を張った舞台というだけでそれなりの緊張感を感じるし、冒頭の松明の火、火玉、落雷などの視覚的効果を狙った演出も舞台を引き締める。

出演者ではやはりタイトルロールを演じたがカルロ・ヴェントレの歌声の抑揚は素晴らしかった。ただ、それに伴う演技が幾分単調気味でオテロがデズデモーナをどう思っているのかがよく解らなかった。一方で、イアーゴ役のウラディミール・ストヤノフは歌声もピカレスク的な表情も素晴らしく影の主役を見事に演じた。ブラボー!。そして、そのイアーゴに翻弄されるカッシオ役の与儀巧も心優しい男を好演。デズデーモナ役のセレーナ・ファルノッキアは美しいソプラノの歌声を聴かせてくれるもののもう少し存在感がほしかった。

パオロ・カリニャーニはオペラ指揮の第一人者ということもあり、東京フィルから熱い演奏を引き出すとともに、出演者たちにとても気分良く歌わせていた。来年の開場20周年記念公演『アイーダ』も彼が振る。これは是非とも観に、そして聴きに行きたい。