一昨日(29日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団の第731回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮はエリアフ・インバル。独唱メゾソプラノはイリス・フェルミリオン、テノールはロバート・ギャンビル。
【演目】
マーラー/亡き子をしのぶ歌
〜休 憩〜
マーラー/交響曲「大地の歌」イ短調
《19時00分開演、21時05分終演》
最初に苦言を。N響B定期もそうなのだが、この日の都響もチケットはほぼ完売にもかかわらずサントリーホールには空席が目立つ。所用や体調不良などの理由で来れない定期会員もいるだろうし、演目のマーラーが嫌いだから来ないという人もいるだろう。しかし、こうしたチケットを無駄にしない対策を主催者は真剣に考えるべきではないだろうか。
例えば、会員が電話などで連絡すれば、その席は予め登録した学生や支持会員などに半額で売ることができるシステムとかできないだろうか。そうすれば、主催者の収入は少し増えるだろうし、チケットの有効利用にもなる。こんなことはオーケストラ関係者なら解っているだろうが、そろそろこうした対策を実行するべきである。
1曲目。イリス・フェルミリオンの歌声には力強さがあり憂いがある。私はドイツ語がまったく理解できないが、それでも彼女の情感たっぷりな歌い方から、何処か町外れの野原みたいな所で近くの山々を眺めながら、亡き子を偲び歌う母親のような姿を思い浮かべてしまった。ブラヴァ〜!
2曲目。過去にこの「大地の歌」を2回ライブで聴いているが、2回ともテノールの歌声がよく聴こえなくて不満だった。しかし、その理由がどことなく解った。それはマーラーがテノールの歌声をオケのなかに埋没させてしまおうという意図があるのではないかと思ったのである。
つまり、マーラーはメゾソプラノを引き立てることによって、女性への敬愛の念を表したかったのではないだろうかと。ということで、第1楽章はテノールとオケが序章を粛々と歌いあげていった。ちなみに、この日の都響は弦のトップがほとんどダブル首席編成。やる気が漲っている。
第2楽章。1曲目をしっかり歌い上げたイリス・フェルミリオンの歌声に疲れはない。疲れがないどころか、水を得た魚のように揚々としている。加えて、3月いっぱいで退団する本間正史のオーボエが優しい音色が客席を魅了していく。グレートです。
第3楽章と第4楽章では、いかにも西洋人が好むであろう中国風な旋律が随所に出てくるが、それを都響の木管陣が見事な独奏やアンサンブルを披露する。本間と同じく今月いっぱいで退団する堂阪清高のファゴットからは大地に根をおろした木のようなしっかりした音色が響いてくる。寺本義明のフルートも冴えまくり、ホルンの西條貴人は極上の音色を轟かせる。そして、第5楽章ではコンミス(四方恭子)の独奏のあとにピッコロ(小池郁江?)が清らかにさえずりわたる。また、それをコントラバスが支える。見事な連携プレイだ。
そして、第6楽章ではフェルミリオンが悲しみの歌声が静まりかえった場内を彷徨していく。そして、それに続く、ハープ、マンダリン、チェレスタがこの曲のテーマである「永遠」や「惜別」をさりげなくフォローしていく。もう言葉にならない・・・。
私は自他とも認めるマーラー音痴だが、この日のインバル&都響のマーラーはこれまで聴いてきたマーラーとは異なる新鮮さを覚えた。というのも、マーラー音楽につきまとう厭世感とか孤立感といった宗教的な哲学をかなり削ぎ落していて、純粋に西洋音楽と東洋音楽を融合させようとしたマーラーの交響曲を聴かせてくれたからだろう。といっても、こんな勝手な解釈うんぬんも、おそらく後世に受け継がれるぐらい素晴らしい演奏をした都響というオーケストラがあったからである。文句なしの名演だった。
【演目】
マーラー/亡き子をしのぶ歌
〜休 憩〜
マーラー/交響曲「大地の歌」イ短調
《19時00分開演、21時05分終演》
最初に苦言を。N響B定期もそうなのだが、この日の都響もチケットはほぼ完売にもかかわらずサントリーホールには空席が目立つ。所用や体調不良などの理由で来れない定期会員もいるだろうし、演目のマーラーが嫌いだから来ないという人もいるだろう。しかし、こうしたチケットを無駄にしない対策を主催者は真剣に考えるべきではないだろうか。
例えば、会員が電話などで連絡すれば、その席は予め登録した学生や支持会員などに半額で売ることができるシステムとかできないだろうか。そうすれば、主催者の収入は少し増えるだろうし、チケットの有効利用にもなる。こんなことはオーケストラ関係者なら解っているだろうが、そろそろこうした対策を実行するべきである。
1曲目。イリス・フェルミリオンの歌声には力強さがあり憂いがある。私はドイツ語がまったく理解できないが、それでも彼女の情感たっぷりな歌い方から、何処か町外れの野原みたいな所で近くの山々を眺めながら、亡き子を偲び歌う母親のような姿を思い浮かべてしまった。ブラヴァ〜!
2曲目。過去にこの「大地の歌」を2回ライブで聴いているが、2回ともテノールの歌声がよく聴こえなくて不満だった。しかし、その理由がどことなく解った。それはマーラーがテノールの歌声をオケのなかに埋没させてしまおうという意図があるのではないかと思ったのである。
つまり、マーラーはメゾソプラノを引き立てることによって、女性への敬愛の念を表したかったのではないだろうかと。ということで、第1楽章はテノールとオケが序章を粛々と歌いあげていった。ちなみに、この日の都響は弦のトップがほとんどダブル首席編成。やる気が漲っている。
第2楽章。1曲目をしっかり歌い上げたイリス・フェルミリオンの歌声に疲れはない。疲れがないどころか、水を得た魚のように揚々としている。加えて、3月いっぱいで退団する本間正史のオーボエが優しい音色が客席を魅了していく。グレートです。
第3楽章と第4楽章では、いかにも西洋人が好むであろう中国風な旋律が随所に出てくるが、それを都響の木管陣が見事な独奏やアンサンブルを披露する。本間と同じく今月いっぱいで退団する堂阪清高のファゴットからは大地に根をおろした木のようなしっかりした音色が響いてくる。寺本義明のフルートも冴えまくり、ホルンの西條貴人は極上の音色を轟かせる。そして、第5楽章ではコンミス(四方恭子)の独奏のあとにピッコロ(小池郁江?)が清らかにさえずりわたる。また、それをコントラバスが支える。見事な連携プレイだ。
そして、第6楽章ではフェルミリオンが悲しみの歌声が静まりかえった場内を彷徨していく。そして、それに続く、ハープ、マンダリン、チェレスタがこの曲のテーマである「永遠」や「惜別」をさりげなくフォローしていく。もう言葉にならない・・・。
私は自他とも認めるマーラー音痴だが、この日のインバル&都響のマーラーはこれまで聴いてきたマーラーとは異なる新鮮さを覚えた。というのも、マーラー音楽につきまとう厭世感とか孤立感といった宗教的な哲学をかなり削ぎ落していて、純粋に西洋音楽と東洋音楽を融合させようとしたマーラーの交響曲を聴かせてくれたからだろう。といっても、こんな勝手な解釈うんぬんも、おそらく後世に受け継がれるぐらい素晴らしい演奏をした都響というオーケストラがあったからである。文句なしの名演だった。












