ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

プレトニョフ&東京フィルの『ペール・ギュント』

2016-04-29 00:25:16 | 東京フィル
先日(25日)サントリーホールで開かれた東京フィルハーモニー交響楽団「第879回サントリー定期シリーズ」公演を聴いてきた。指揮はミハイル・プレトニョフ。

【演目】
エドヴァルド・グリーグ/劇付随音楽「ペール・ギュント」
  語り:石丸幹二
  ソールヴェイ:ベリト・ゾルセット(ソプラノ)
  アニトラ:富岡明子(メゾ・ソプラノ)
  ペール・ギュント:大久保光哉(バリトン)
  女の子1:直野容子
  女の子2:肥沼諒子
  女の子3:紺野恭子
  泥棒:上野裕之
  仲介者:山下友輔
  合唱:新国立劇場合唱団
《19時00分開演 21時40分終演》(休憩1回)

東京フィルの2016〜2017年サントリーホールの会員になった。理由は6公演のうち3公演が演奏会形式で、それも『ペール・ギュント』『蝶々夫人』『イリス(あやめ)』と興味深い演目ばかりだったからである。

今回の演奏会形式は石丸幹二の語りは日本語、歌はノルウエー語(日本語字幕付き)ということで、イプセン原作の物語も解りやすい。前半はペール・ギュントの生い立ち、ソールヴェイとの恋などが語られていく。そして、後半は放浪の旅に出て、金を儲けては無一文になったペール・ギュントが故郷に戻り、ソールヴェイと再会して人生を終える、というもの。

石丸幹二は舞台俳優(歌手でもある)ということもあり、その朗読は表情豊かでありテンポも絶妙。またプレトニョフの指揮との間合いも阿吽(あうん)の呼吸で、石丸幹二の『ペール・ギュント』と言っても過言ではないぐらいのは適役だった。

歌手ではソールヴェイのベリト・ゾルセットが素晴らしかった。3曲しか歌わないのだが、清廉かつ包容力のある声質としっかりとした声量で観客を大いに魅了させた。ただ、他の出演者が少し控えめすぎたのがちょっと残念。

指揮のプレトニョフはおそらくこの作品をかなり手のうちに入れているようで、語り、歌手、合唱団、そしてオケを見事なまでに束ねていた。またコンマスの荒井英治もしっかりと弦および全体をもリードしていて、終演後に観客から盛大な拍手をおくられていた。

これまでに『ペール・ギュント』の組曲は何度か聴いているが全曲を聴くのは初めて。前半(1〜3幕)60分、後半(4〜5幕)80分という長丁場であったが、前半の途中で凡庸に感じる部分もあったが、変幻自在ながらも美しいグリーグの音楽とイプセンの詩的世界を堪能することができ、大変満足であった。『蝶々夫人』『イリス(あやめ)』も大いに期待したい。

スラットキン&N響の明るいブラームス

2016-04-26 14:13:50 | N響
先日(22日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団第1833回定期公演を聴いてきた。指揮はレナード・スラットキン 。語りは山口まゆ(女優)*。

【演目】(※はアンコール曲)
ベルリオーズ/歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲
武満 徹/系図(ファミリー・トゥリー)―若い人たちのための音楽詩(1992)*
  〜 休 憩 〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
《19時00分開演 20時50分終演》

開演に先立ち、熊本地震の犠牲者のためにバッハの「アリア」が演奏され黙祷。

1曲目。シェイクスピアの『から騒ぎ』をベースにしたオペラの序曲。オペラそのものを観たことはないが、この曲を聴くのはおそらく3度目。ベルリオーズらしい賑やかな曲調で聴いていてまったく飽きない。

2曲目。谷川俊太郎の詩集『はだか』から選んだ詩に武満徹が曲をつけている家族をテーマにした曲。ただ、武満の音楽はあくまでも詩を引き立てるための伴奏に徹していて、さほど面白いとは思えない。海外の音楽家に人気のある武満の良さというのが私には理解することができない。ただ、この曲は郷愁を感じさせるもので、そこそこ理解はできるが、どこに良さがあるのかまではやっぱりわからない。なお、朗読の山口まゆはおそらくこうした舞台は初めてであったと思うが緊張しながら、暗記した詩をしっかりと朗読した。あっぱれ!

3曲目。指揮者がアメリカ人ということがあるからかもしれないが、ブラームス特有の重厚的な感じの演奏ではなく、ブラ1にしてはかなりバラエティに富んだ演奏に思われた。第1楽章はとにかく弦を響かせるようにして、ブラームスらしさを表していたが、第2楽章や第3楽章は木管と弦のアンサンブルを室内楽的にして、全体のトーンを落とすような感じだった。しかし、第4楽章では、出だしこそスローテンポだったにもかかわらず、途中からはアップテンポに変えていき、後半は金管を思いっきり響かせて、重厚というよりも華麗な展開で締めくくった。ブラームス(曲)の解釈は人(指揮者)それぞれだが、こうした明るいブラ1も悪くない。

オペラ『アンドレア・シェニエ』@新国立劇場(3日目)

2016-04-21 22:16:44 | オペラ
昨日(20日)新国立劇場・オペラ劇場で公演された『アンドレア・シェニエ』(3日目)を観に行ってきた。音楽はウンベルト・ジョルダーノ。演出・美術・照明はフィリップ・アルロー。指揮はヤデル・ビニャミーニ。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。主な出演者は下記の通り。

アンドレア・シェニエ:カルロ・ヴェントレ
マッダレーナ:マリア・ホセ・シーリ
ジェラール:ヴィットリオ・ヴィテッリ
ルーシェ:上江隼人
密偵:松浦 健
コワニー伯爵夫人:森山京子
ベルシ:清水華澄
マデロン:竹本節子
マテュー:大久保 眞
フレヴィル:駒田敏章
修道院長:加茂下 稔
フーキエ・タンヴィル:須藤慎吾
デュマ:大森いちえい
家令/シュミット:大久保光哉
合唱:新国立劇場合唱団

先週ここで観た『ウェルテル』はこれまで観た新国立劇場オペラのなかでも最悪と言っても過言ではないぐらい妙味のないオペラだった。いくら新制作だからにしても、あらゆる面でオーソドックスというか保守的で、眠りたくなるというよりもアクビが出る呆れた出来で、もう二度と上演はして欲しくない。

それに対して『アンドレア・シェニエ』は2005年、2010年に続く再々演ということもあるが完成度は高く、『ウエルテル』で「カネ返せ!」と思った怒りを払拭するぐらい素晴らしかった。お話はフランス革命さなかの悲恋物語。舞台美術は回り舞台の上にギロチンの刃を連想させる全てが斜めになっている装置。これが場面ごとに転換していき、見事なまでの背景イメージを作り上げていく。この計算された舞台美術は絶妙絶好だった。

出演者ではタイトルロールを演じたカルロ・ヴェントレはテノールの歌声は素晴らしいものの、演技力というか表現力が稚拙。同様に相手役のマッダレーナのマリア・ホセ・シーリも似たよったりだった。一方でアルフレードのアントニオ・ポーリは歌声はセーブされているものの、演技力は抜群で革命戦士ぶりをしっかり表現していた。彼と端役諸氏およびその他大勢を演じた合唱団、ダンサー、子役なくしては感動はなかったかもしれない。

指揮のヤデル・ビニャミーニは先日のネトレプコ・コンサートでタクトを振った人だが、緩急自在の指揮ぶりは見事で、東京フィルから情感豊かな音色を引き出していた。また、終局の二重唱『きみのそばにいるよ』では主役2人に的確な指示を送っていて、彼はおそらくこのオペラをかなり熟知していると思えた。余談だが、休憩時間にヨーロッパ・オペラに精通している知人に話を聞いたところ、このオペラは日本ではあまり上演されないが、ウィーンやミュンヘンではよく上演されていて『忠臣蔵』のようなポピュラーな演目だそうである。

冒頭にも書いたが『ウェルテル』のような新作の愚作よりも、こうした良作は何度でも上演すべきであろう。ただ、もう少し魅力的なキャスティングはしてもらいたい。

久しぶりの快演だった都響

2016-04-11 21:33:07 | 都響
先日(7日)サントリーホールで開かれた東京都交響楽団第804回定期演奏会Bシリーズを聴いてきた。指揮はフランソワ=グザヴィエ・ロト。

【演目】
シューベルト(ウェーベルン編曲)/ドイツ舞曲 D820
R.シュトラウス/メタモルフォーゼン〜23の独奏弦楽器のための習作
  〜休 憩〜
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調《英雄》
《19時00分開演、21時00分終演》

客席はまるで歯が抜けたように空いていた。完売のはずのP席は2割余が空席。プログラムのせいか、それともこのところ精彩のない演奏が続いていたせいだろうか。

以前の都響の演奏には、謙虚さのなかにも華やかさがあった。ところが、最近の演奏は貪欲さはあるものの少し驕りが見え隠れしていた。それゆえに、一時とても応援していた都響だったのに、この半年間はすっかり熱が冷めてしまった。新しい音楽監督との相性が良くないのだろうか。それともインバルとの絆が強すぎたせいだろうか。

ところが、この日はそんな精彩を欠いていた都響が蘇った演奏会だった。

1曲目。弦は12型。初めて聴いた曲なので、よく解らなかったが、弦の引き締まり方がとてもいい。

2曲目。弦はヴァイオリン10人、ヴィオラ、チェロ各5人、コントバス3人、トータル23人の弦楽奏。そして、曲は首席だけではなくいろいろな奏者がソロパートを受け持ちながらアンサンブルするという構成。それゆえに、普段はソロとして聴くことのない人たちの音色がしっかりと聴こえてくる。個人的に印象に残ったのはヴァイオリンでは双紙正哉と山本翔平の2人、ヴィオラでは鈴木学、チェロでは古川展生と江口心一の2人、コントラバスでは池松宏の計6人だった。コンマス(矢部達哉)は小編成にもかかわらず、1曲目および3曲目の時より体を動かしすぎでちと目立ちすぎではないだろうか。

3曲目。12型の編成。個人的にはベートーヴェンの交響曲のなかでもこの「英雄」はさほど好きな曲ではないが、とても爽快な演奏で驚き。というのも、フランソワ=グザヴィエ・ロトの指揮は明快、明晰、明瞭だ。彼の頭の中にはフォルテとピアノしかないと思うぐらい、とにかく音の強弱がはっきりしている。それは古典的な演奏なのか、それとも革新的な演奏なのかはちょっと理解しがたいところがあるが、刺激的であることに間違いなく、ロトは都響の新たな一面を引き出したようである。これを機に、P席の観客が戻ってきて、次回公演では満席になるとことを願ってやまない。