北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ものが運べない時代がくる?

2017-06-22 23:58:56 | Weblog

 

 今日は仕事の関係で、物流のお仕事をしているAさんを訪ねました。

 Aさんは私よりずっと若いのに、北海道の物流の今後に対する確かな目と行動力をもっていて、問題意識を解決するための行動をどんどん起こしています。

 人口減少時代のこれからの物流への問題点を尋ねてみると、「トヨタがやって成功した"Just in time"方式、つまり、在庫を持たずに必要な時にもってくるというシステムがもう通じなくなるんです」と時代が変わったことを深刻に受け止めています。

「"Just in time"方式のために、地域で在庫を持たなくなりました。それと同時に巨大ショッピングセンターの進出で、地方の問屋さんが激減しました。そのために、ものはなくなったら持ってくれば良いという考え方が広がったのですが、それは道路が通行止めにはならないしいつでも運んでくれる人がいるという前提のシステムです」
「なるほど」

「北海道では、災害は稀だとしても冬期の吹雪によって二日間も通行止めになるなんてことがしょっちゅうあるのです。誰もモノを運べないとなると、地域の中で必要なものがあっという間に枯渇してしまいますよ。効率性だけを追求するシステムは、稠密な都会では成立しても、地方部の人口が点在するような北海道では、別なことを考えるべきだと思います」

 確かに北海道では、吹雪になると安全のために道路の通行止めを簡単にするようになりました。

 通行する車両の安全は確保できても、社会全体の経済を巡る観点では決して全体最適とは言えないのです。


          ◆  

 Aさんは、これからいよいよ物流のコストが上がってくると懸念を示します。

「国交省が、トラック運送業での運賃・料金の適正化を図るため、運送以外のコストを適切に収受しようと、標準貨物自動車運送事業約款を改正することになりました。今まではなんとなくドライバーがかぶっていた労働を明確に分けてコスト化するというのです」
「そうなんですか」

「ええ、現行の規定では、運送状の記載事項に『運賃、料金、燃料サーチャージ、立替金その他の費用の額』が含まれているのですが、『料金』『その他の費用』の内容についての細かな記載がありません。
 貨物の 『積込み又は取卸し』については、運送事業者が行うこととされていますが、そのコストについては約款に定めがないのです」
「それが変わるのですか?」

「はい、トラック運送業における書面化推進ガイドラインを改正して、必要な記載事項として『料金』を追加し、その例として示す料金を『待機時間料』、『積込み料』、『取卸し料』、『附帯業務料』などと整理されるようです。つまり今まで実質めり込んでいたこれらのコストを明らかにされていきます。これらが実現するのにはまだ時間がかかるかもしれませんが、こうした傾向だという事です。
 そうして物流コストが高くなると、特に北海道のように、モノが少なくてしかも遠いという地理的条件では特に厳しくなりますよ」

 物流のコストが高くなると、北海道の産品の質が良いと言っても価格で勝てないかもしれません。

「そのためにはどうしたらよいとお考えですか?」
「運送業者主体の非効率な配送システムから、業者が連携してトータルのコストを下げるようなシステムが必要です。ちなみに、私は『それは今必要ですか?』という荷物があると思うんです」

「今すぐに要らない荷物ですか?」
「はい、例えばコピー用紙なんかそうですね。(ちょっと足りなさそうだから注文しておこうっと)というくらいの荷物だったら、別に来るのが来週でも良い。しかし注文を受けたら、我々配送業者は指定の時間に届けようと必死になるわけです。こういう荷物だったら、配送日時指定に『来週でもいいよ』というカテゴリーを作って、それなら値段をグンと安くしてやるというサービスがあっても良い。そうなれば、配送業者は運ぶ荷物を、急ぐものといつでも良いものを組み合わせて効率的な配送計画を立てられるようになるかもしれません」


 地域の人口が減るとともに、物流を担う人口も減る。そうなるとコストも上がる。

 北海道が良いものを安く供給できる島であるためには、物流の勉強を疎かにしてはいけないようです。

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準備体操と助走は入念に

2017-06-21 23:36:41 | Weblog

 

 妻が「麻婆豆腐が食べたくて材料を買ってきたけど、作ってくれない?」と言うので、本当に久しぶりに料理の腕を振るいました。

 夕食の時に突然「作って」と言われたので、初めは(うーん、面倒くさいなあ)と思ったのですが、いざ材料を切り始めるとやっぱり面白くなってくるものです。

 実際に台所に立って料理をすると、包丁の切れ味が悪いのにも気がつくし、調味料が足りなくなっていることにも気が付きます。

 動き始めると体が覚えていてどんどん動けるのですが、動き始めるまでのリアクションが遅くなってきたのかな。


          ◆ 


 真冬のワカサギ釣り以来、春先は海釣りばかりやっていて、(やっぱり食べられる魚釣りは楽しいな)と思うようになりました。

 ようやく暖かくなって渓流でのフライフィッシングの季節が到来したものの、初めは(食べずにリリースする魚釣りに戻れるかな)とちょっと心配でした。

 しかし実際に川に出てみると、やはり魚との知恵比べは時間を忘れる楽しみがありました。

 風をさえぎる物のない海釣りに比べて、緑の林に囲まれて川の流れが時に静かに時に豪快に流れる音を聞いていると、それだけで遠くまで来た甲斐があったと思えます。

 
          ◆   

 川に出てみて、魚に反応の良かったフライがボロボロになって残りの数が少ないことに気づき、巻いておくことにしました。

 ところが、これまた道具立てをそろえるのがちょっと面倒くさいと思ったのに、用意をしていざ巻き始めるとこれまた時間を忘れる面白さでつい没頭してしまいます。

 始めると面白いことに取り掛かるときのエネルギーが弱くなっているのか、それともやりたいことが多すぎて頭がなかなか切り替えられないのか。

 最近、事を始めるための助走が少し長く必要になってきたかもしれません。

 歳を取ったら準備体操は入念に。脳も準備体操がいるのかもね。

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エゾシカ問題の轍を踏むな

2017-06-20 23:38:54 | Weblog

 先日、エゾシカを研究している方とお話をする機会がありました。

 エゾシカは、今や増えすぎて農業被害はもちろんのこと、アニマルアタックと言って、道路に飛び出してくるシカのために車両の損傷やシカを避けようとして対向車線にはみ出した結果交通事故で死亡するといった悲しい事故も誘発し、大きな社会問題になっています。

 北海道の適正なシカの数は10万頭と聞いたことがありますが、ピークだった平成22年度の推定生息数は66万頭にもなりました。

 そしてそれらがにじみ出てくる林縁部の農地では農業被害も甚大で、特に人口が減って高齢の農業者にとっては離農せざるを得ない大きな原因にもなっています。

 ただ歴史を振り返ると、明治以前は本当にたくさんのエゾシカがいた記録が残されていますし、アイヌの人たちの主要な獲物であったということも残されています。

 エゾシカは肉や毛皮をもたらしてくれる、アイヌの人たちにとっては特別な存在でした。エゾシカはアイヌ語で「ユク」と呼ばれ、これには「獲物」という意味もあったのだそう。

 シカにちなんだ地名としては、かつて「鉄道員(ぽっぽや)」という映画撮影の舞台となり、また昨年は大きな豪雨災害を受けた幾寅(いくとら)が有名です。

 これは、幾寅の街のすぐ脇を流れる「ユクトラシュベツ川」が地名の由来で、アイヌ語では"yuk-turasi-pet" で「鹿・それに沿って登る・川」といった意味なのだそうですよ。

 
         ◆   


 さて、明治期に入ると北海道に和人が入り込み、エゾシカの乱獲が始まります。

 1873年から1878年にかけての6年間で捕獲されたエゾシカの総数はなんと57万4千頭にもなり、年間で6万頭から13万頭が捕獲されたことになります。

 その多くはシカ皮を輸出したり角は中国へ、肉は缶詰にしてアメリカへ輸出されたのだとか。

 その結果シカは大きく数を減らしたところへ1879年に異常な豪雪が北海道を襲い、多数のエゾシカが死に、まさに絶滅寸前まで追い詰められました。

 エゾシカの生息数が激減した結果、オオカミが今度は家畜を襲うようになり、開拓使は毒餌などによるオオカミの捕殺を行い、結果として1890年までにオオカミは絶滅したと考えられています。

 そこで開拓使はエゾシカ保護に動き、1890~1900年にかけて禁猟としたものの、豪雪や密猟で数はなかなか戻らず、その後1920~1956年にかけても禁猟が続きました。

 戦後、この禁猟の措置と同時に、オオカミが絶滅していたこと、また平野部の森林が農耕地化されたことなどが功を奏し、エゾシカは数とともに分布を拡大させました。

 農業・林業被害は禁猟が解けても1975年度の5千万円までは大きな増減もなく推移していましたが、1976年度に1億円を超えて以降急速に増加します。農業被害は1988年度に10億円を超え、1996年度には50億円でピークとなりました。

 1998年度以降、北海道庁では「道東地域エゾシカ保護管理計画」を策定し、やがて2000年度には「エゾシカ保護管理計画」を策定して計画的管理に努めていて、平成22年度以降、5年間にわたる緊急対策期間を経て、推定生息数は47万頭にまで減ったという調査がなされています。

 しかしこの対策も、増えすぎてしまったシカに対して大きな対策費を打ってこその成果です。

 しかもこの間、メスジカを二年間休猟にしたことが爆発的増加に追い打ちをかけたという研究者もいます。

 エゾシカ問題は、対策が後手に回った結果、後の世代に大きな負債を残したものと評価されるのではないでしょうか。


          ◆  


 翻ってわが道路舗装の問題です。

 こちらも適切なタイミングで補修や修繕を行っていれば軽微な予算で機能を保持することが可能なのですが、目先の予算がないという理由で問題を先送りしていないでしょうか。

 軽微な段階の傷みを軽んじることで、補修すべき痛みの範囲は横に広がり、しかも舗装の上層部だけではなく基層や路盤というより深いところにまで痛みは広がります。

 目先のことにとらわれると後の世代の負債が増えるというエゾシカの教訓。
 同じ轍を踏むことはないはずです。もっと声を上げていきましょう。

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自分だけのものじゃないので~道路をシェアする気持ち

2017-06-19 23:56:29 | Weblog

 

 いよいよ陽気が良くなってきて、自転車で通勤をする人が増えてきました。

 しかし、軽車両は道路の左側を走るように、という指導が効いていて、本当に道路の左側を走る人がいる反面で、バスレーンの左でバスがすぐ後ろを走っていても一向に気にせず平気で自転車の速度で走っている人がいます。

 バスが後ろにいることに気が付かないのかもしれませんが、逆に私だったらバスが来ていないかを確認しながら走ります。

 後ろでバスが追い付いてきたならば、一時的に歩道を走ってバスをやり過ごすところです。やりすごしたらまたバスの後ろを走ればよいのです。

 バスの方も、せっかくバスレーンを走っていながら速度は自転車に合わせてゆっくりと走ります。

 乗客の中にはイライラが募っている人も大いに違いありません。

 軽車両が車道を走るべき、という原則は分かりますが、TPOに応じた臨機応変な対応をして、狭いスペースしかない車道をシェアするようにしたいものです。

 もう少し周りを見渡す余裕と、互いに譲りあう「シェアする気持ち」を日頃の暮らしの中で実践したいものです。

 
          ◆  


 全国で市町村合併の動きが進んでいたときに、ある県の自治体の合併の話がテレビで放映されていました。

 ところがその自治体合併は、お互いに隣接する町同士仲が悪いために、皆隣の町とではなく、一つ飛ばした向こうの自治体と飛び地合併をするという構想になっていました。

 するとその番組を見ていたある外国人記者の方が、「日本人は、自分が誰かの邪魔になっているという想像力がないのですか」と嘆いていて、それがとても印象的でした。

 自分が誰かの邪魔になっているなんてちょっと不安で怖いものですが、そういう想像力と周辺を俯瞰する情報収集力って必要なんだと思いますね。

 

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日本の未来は彼らの肩に

2017-06-18 23:55:55 | Weblog

 

 今日は年中生の孫が通う幼稚園の運動会がありました。

 会場は農試公園にある「ツインキャップ」という屋内運動施設なので、たとえ外が雨でも全然平気な施設です。

 婿さんが車で迎えに来てくれて、それで会場に向かいましたが、出発時間がやや遅れたためか、駐車場はほとんど満車状態で、最後の数台と言うところでようやく入ることができました。

 会場の座席は事前の調整によって、まるで相撲の桟敷席のようにほぼ畳一枚ほどのスペースが各家庭に割り振られています。

 今回の我々はわりと後ろの方だったので、ワカサギ釣り用に椅子を持ち込んで後ろの方で着席で見ることができました。

 ただ我々の後ろには三脚を据えたビデオ撮影のお父さんたちがずらりと並んでいて、自分たちの子供姿をレンズに収めようと血眼です。

 席の真ん中くらいでちょっと立って眺めていようものなら後ろから「すみません、前の方、座っていただけませんか」という声が飛んできます。お父さんたちは必死なのです。


 さて、孫が通う幼稚園は子供たちの数が多いのですが、開会式は年長の子供たちによる男子の太鼓、女子のポンポンダンス、両方によるカラーガードと、のっけから錬成度を見せてくれます。

 玉入れが入らなかったり、途中で泣いちゃう子がいるのはご愛嬌としても、まだ言葉もままならないような子供たちを相手にして、よくこれだけ統率のとれた動きができるようにしたものかと感心してしまいます。

 組体操や創作ダンスなどは本当にしっかりとしていて、偶然隣に座ったおばあさんなどは「すばらしいですねえ~、ホント、涙が出てきちゃいます」と感激していました。

 私も、子供たちの真剣に取り組む姿に涙が出そうになりました。

 この子たちがこれからの日本の社会を背負うのかと思うと、もっと年寄りは彼らの道を開いておいてあげなくちゃ、と言う気持ちが強くなりました。

 頑張れ子供たち、頑張れ年寄り!


          ◆  

 ところで今日は父の日ということで、子供たちからお酒のプレゼントがありました。 
 
 超辛口のお酒は今日のちょっと暑い夜にぴったりでした。ありがとう。

 

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眼鏡を買い占める

2017-06-17 23:58:17 | Weblog

 

 昨日のシーズン初の渓流歩き。

 古いフライはすぐに水に沈んでしまうので、頻繁にフライをメンテナンスしたり交換して魚を狙います。

 ところがフライを交換しようとして、針の穴にティペットという細い釣り糸がなかなか通りません。

 原因は、遠視が進んできて手元の細かいところが良く見えないせい。

 こんなときのために、とベストには百円ショップで買った携帯用の老眼鏡が忍ばせて…ある…はずなのですが…、あれれ?ないぞ?

 しまったー!

 ワカサギ釣りのときに別のツールボックスに移してそれっきりだったようで、手元に老眼鏡がありません。

 どうしようもないので裸眼で一生懸命に糸通しをしましたが、随分と時間がかかってしまいました。

 改めて目の衰えを感じた釣行でもありました。


           ◆  


 そこでこれではたまらないと、今日は百円ショップへ行ってケース付きの老眼鏡を買い占めに行きました。

 残念ながら度数の合うものが二個しかなかったのでその二個を買い占めです。

 老眼鏡なんて、高いものをアウトドアに持参するのはとってもリスキーです。

 だから壊れても良くて安くて使えるものが良いのです。

 次回からはこれをベストに入れて、渓流の中でも安心作業です。

 補わないといけない、自分の身体の至らない部分が増えてきましたな。
 

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本日、初渓流。足もとがおぼつかないぞー

2017-06-16 22:33:53 | Weblog

 

 先週のキャンプでは釣りができなかったので、ちょっとストレスがたまり気味。

 今日はちょっと休暇を取って、イワナの住む川へと向かいました。

 昨日は雨だったようで道路が少しぬかるんでいましたが、さほどのこともなく川の水も増水したり濁ったりもしていません。コンディションは上々です。

 9時過ぎからいよいよ入渓。最初のうちは(虫の飛び方がイマイチだなあ)と思ったのですが、そのうち陽が差して気温も上りはじめ、虫も飛び始めました。

 そのうち上流へ向かって投げたフライに一匹がヒット。今シーズン最初の獲物は20センチのイワナちゃんでした。ボウズを逃れて「いやあ、お久しぶり」と声をかけたくなりました。

 ずんずんとポイントを狙いながら川を遡上してゆきましたが、案外魚の方は渋くて、難しい釣りに。

 一緒に行った妻の方は、食ってはくれるもののアタリがなかなか取れずにバラシ専門。なかなか釣果に結び付きません。

 
 川を歩いていて、今日は結構バランスを崩すシーンが多くて困りました。大転倒一歩手前もあったりして、気が抜けません。

 足腰が弱っているのか、はたまた川歩きをもう少し繰り返せば歩き方を思い出すでしょうか。


 
          ◆  

 お昼頃に、25センチのイワナをゲットして、さらに帰りがけに20センチを一匹。今日は三匹でしたが大満足。

 妻の方は20センチのニジマスを一匹釣り上げてご満悦。二人ともなんとかボウズを免れました。

 

 
 ところが帰り際に急に空が暗くなったかと思った瞬間、ザーっとものすごい雨が降り出しました。

 妻はカッパを持参していましたが、私は油断して車に置いてきてしまい、ずぶ濡れ。

 野外ではいざというときの装備は忘れてはいけませんね。

 
 釣りをしていると時間の立つのを忘れます。川の中であっという間に6時間を過ごしました。北海道のグリーンシーズンの幸せ満喫です。


  【むーん、針に糸が通らない…』

 
  

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東北大震災・津波災害復旧現場の現実

2017-06-15 23:56:56 | Weblog

 

 今日は北海道土木技術会の総会があり、総会後の講演会で仙台の深松建設の代表取締役社長である堀松努さんの東北大震災の復旧に関するお話を聞きました。

 新聞やテレビでは、暗い部分の話題はほとんど出てきませんが、復旧活動の中では写真にも写せず文章にもできないような辛く苦しい状況が山のように押し寄せてきた、と言います。

 そもそも人命救助や救援のために自衛隊が出動してきても、津波によって山のようながれきが道路を塞いでいては移動もできません。

 こうしたに山のように震災と津波後にすぐ道路のがれきを横に寄せる作業を道路啓開と言いますが、これができて初めて救援活動ができますが、その道路啓開を行うのは地元の建設業者です。

 多くの遺体も目に入りますし、心を痛めることも多く、作業を行った作業員の中にはその後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む人も少なくないと言います。

 しかしそれでも誰かがやらないと前に進めないのが災害対応。消防団や青年団などの地域組織も数ありますが、大型機械を操って復旧の作業をできるのは建設業者しかいないのが現実です。

 実は震災前の仙台地方では地域の建設事業が減ってきていて、もうすぐ何社もが潰れてなくなるのではないか、という危機感が押し寄せてきていたのだそう。

 深松さんは、「本当に地域に建設業者がいなかったらどうなっていたか」と言いつつ、「東北での復旧は30兆円ですが、これが東南海津波だったら90兆円、首都直下型地震津波ならば230兆円が必要と言われています。本当に震災が起きた時への備えを考えて対応しておいてほしい」とも。

 震災で一番困ったことは数多くあったそうですが、なかでも燃料の不足にはほとほと困り果てた、と言います。

 機械があって人がいても、燃料がないとなにもできません。ガソリンスタンドには一般の市民が長蛇の列を作っていて、一応役所から優先的に燃料をもらえるお墨付きももらっていたのですが、「実際にはそういう長蛇の列に割り込んで燃料をもらうことができませんでした」と振り返ります。

 深松さんは、東北大震災から得られた教訓として、
①家族の一週間分の食料
②車の燃料は常に満タンに
③家族との待ち合わせ場所の確認
 …という三つを真剣に備えてほしいと言います。

 我が家でも水や食料や燃料の備蓄を改めて考えることにしました。


          ◆  


 最後に深松さんは、「それでも良いこともありました」と数少ない良い変化について話してくれました。

 それは、被災した若い子たちのなかに、あの災害から復旧復興を果たしたのが建設産業だという事を目の当たりにして、建設業に就職してくれたことでした。

「そういう活躍を目の当たりにした人の心には、我々の存在意義が強く残ります。地域に大事な産業として頑張りましょう!」

 いざと言う時にこそ、秘めた力が試されます。我々も防災意識を高めましょう。

 

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余市のオチガビ(OcciGabi)ワイナリーを訪ねる

2017-06-14 21:39:28 | Weblog

 小樽で挨拶回りをしたついでに余市まで車を走らせて、オチガビワイナリーさんを訪ねました。

 今年の11月に、私の所属する日本都市計画学会の全国大会が札幌で開催されるのに合わせて、エクスカーションと呼ばれる研修小旅行の計画をする必要があり、その視察先の一つとして、こちらのオチガビワイナリーさんにお願いをしようと考えたのです。

 オチガビワイナリーでは、専務の落希一郎(おち・きいちろう)さんにお話を伺く事ができました。

 落さんは、「日本のワインづくりは世界のワイナリーを見て歩いていないから、世界の標準と全く違うことになっている」と苦言を呈します。

 世界のワイン先進国では、小さなワイナリーを数多く作って、それぞれがブランド力を形成し、製造販売は少量にしてその一本の値段を高くするような戦略で経営を成り立たせているのだと。

 それが日本では、海外からのブドウやワインを仕入れてそれに地域の名前を付けたワインとして売るビジネスに成り下がっている。

 国では『酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律』に基づいて、平成27年10月に、『果実酒等の製法品質表示基準』を制定し、これで、地域名を名乗るときはその地域で収穫されたブドウが85%以上使われていることとするなど、地名の表記をより厳格なものにシフトしました。

 この基準の適用は平成30年10月からだそうですが、これが適用されると実際の産地のブドウが少なくて、これまでの「○○ワイン」と地域の名前が付いたワインが作れなくなるかもしれません。

 落さんの見立ては、「都市と地方の格差が大きくなる中、地方を活性化させるためには地域の価値を上げる必要があって、その流れのように思います。地域のブランドが価値を持つようになれば、日本ワインよりは北海道ワインが、北海道ワインより余市ワインが、余市ワインよりオチガビワインがより地域を限定させた付加価値を持つようになるのだと思います」とのこと。

 ワインを、『高付加価値化させられる大きな可能性のある六次産業』としてしっかりした考え方を持ち、実践されています。

         ◆   

 落さんは、東京外語大学を中退後にドイツへ向かい、そこでドイツ国立ワイン学校へ入りワインづくりを勉強しました。

 帰国後は、叔父さんが北海道ワインを経営していたとのことでそこで働きましたが、やがて独立して新潟でワイナリー事業を始め、「カーブドッチ・ワイナリー(CAVE D'OCCI WINERY)」を軌道に乗せました。

 そしてこのワイナリーを息子さんに譲った後は、「自分の残りの人生でやりたいことをやろう」と、ここ余市で「オチガビ(OcciGabi)ワイナリー」という新しいワイナリー事業を始めました。

 ワイナリーは余市町の山間で、谷を埋めて緩やかな斜面地を作ったところにブドウが植えられていますが、実は新潟で事業をしていたときから、リスクヘッジのためにこちらにワイン用のブドウを植えていたもので、それを利用して新しいワイナリーを作ることにしたのだそう。

「本州よりは北海道がワインづくりに向いているのですか?」と訊くと、落さんは「とにかく大面積の土地が安く手に入るところでなくてはワイナリーはペイしません。となると、本州ではそんな安い土地がないので、可能性があるのは北海道だけですね」とおっしゃいます。

 そして、「北海道が産物を安く買いたたかれるだけの農産地になってしまっていてはダメなんです。六次産業化して、農産物の産地近くで製造して販売することが一番地域が潤うビジネスで、そこを狙わないといけないのです。しかしそれを進めることには、なぜか行政も実に消極的なように見えます」とも。

         ◆ 

 

 落さんは、ワイナリーの建物前の庭を美しく飾っています。「庭造りは全部私の仕事です。特にバラが好きですね」

「美しい庭はビジネスの助けになりますか?」
「もちろんです。美しい風景はメディアが取り上げてくれますからね」

 
 最後に一言、実に基本的なことを聞いてみました。

「ところで、オチガビワイナリーのオチガビとはなんなのですか?」
「ははは、オチは私の名前の落、そしてガビは、妻の名前が"雅美"なのでガビなんですよ」
「あ、なあるほど!」

  
 今日は美しいワイナリーの風景とともに、美味しいランチもいただきました。

 北海道のワインの大きな可能性を感じる一日でした。   

 
 

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怖い、怖ーーーい話

2017-06-13 23:59:31 | Weblog

 

 そのとき私は、好きな彼女の上着を持って坂を下っていました。

 坂の下では若い男女がバレーボールをしています。私の彼女は六人制バレーの後ろにいて、相手からのサーブを受けようとしてボールを大きく弾いてしまいました。

「下手だなー」と笑うと彼女も笑いながら、「ボールが強いのよ」と笑います。その弾けるような笑顔がなんとも魅力的です。

 

 彼女のちょっと恥ずかしそうな笑顔に、僕に寄せる好意も見てとれて、(この人が彼女で良かった)と心からの幸せを感じました。

 そして手にした上着を渡そうとすると、相手側のコートにいた一人が私の後ろに近寄ってきて、こう声をかけてきました。

「あら、私の上着ね、ありがとう」

 振り向くと、さっきの弾けるような笑顔とは違う女性が私の方へ近寄ってきて、上着を受け取ろうとします。

 その時初めて私は、(ああ、僕の付き合っている彼女はこの人だったんだ…)と気が付きました。

 (さっきの女性に見せた僕の笑顔は、この人にどう見えたのだろう…)と思って言葉が出なかった…ところで目が覚めました。

 (夢か…)

 しかしこの後の展開を考えると、とっても怖くなってしまいました。

 ここで夢が覚めて良かった。

 夢オチというなかれ、とにかく怖い夢でした。 

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