恋、ときどき晴れ

主に『吉祥寺恋色デイズ』の茶倉譲二の妄想小説

話数が多くなった小説は順次、インデックスにまとめてます。

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インデックス 茶倉譲二ルート…茶倉譲二の小説の検索用インデックス。

インデックス ハルルートの譲二…ハルくんルートの茶倉譲二の小説の検索のためのインデックス。

手書きイラスト インデックス…自分で描いた乙女ゲームキャラのイラスト記事


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決意~その6~その10

2015-01-01 08:50:06 | ハル君ルートで茶倉譲二

ハルルートの譲二さんの話の続編
ヒロインと暮らすことができるようになったのに…
ヒロインの妊娠が発覚。春樹は離婚を認めてくれず、それでも二人を守ろうと譲二さんは
決意した

☆☆☆☆☆

決意~その1~その5の続き


決意~その6

〈譲二〉
 二人でクロフネの片付けをしている時に、美緒が話しかけてきた。

美緒「譲二さん、そろそろこの子の名前も考えないといけないよね」

譲二「まだ男か女かわからないんだよね」

美緒「うん。それに私、生まれるまではどちらか聞かないでおこうと思うの」

譲二「どうして?」

 美緒はうふふと笑った。

美緒「私、賭けをしてるの。その賭けに勝ったら教えてあげる。」

譲二「じゃあ、この子が生まれるまでお預けってこと?」

美緒「うん」

 美緒は謎めいた微笑みを浮かべた。

譲二「それじゃあ、名前は男の子と女の子、両方考えないといけないね」

美緒「そうなの。でも、男の子の方はもう考えているんだよ」

譲二「どんな名前?」

 美緒はとても嬉しそうに答えた。

美緒「あのね、譲二さんの『譲』の字をもらって、それで『ゆずる』って読むの。可愛いでしょ?茶倉譲」

譲二「…」

 一瞬、虚を突かれてしまった。

 俺の名前からとってもらえるのは嬉しいけど…この子は『茶倉譲』にはならない…。

 しかし、美緒は当然のように姓は『茶倉』になると思い込んでいるようだった。

 あまりに痛々しくて、訂正する気にはなれなかった。

譲二「俺の名前からとってもらえるのは嬉しいけど、いいの?」

美緒「だって…男の子はお父さんの名前からとりたいって思ってたもの」

 瞳をキラキラさせて美緒は言った。

美緒「それでね。女の子の名前は譲二さんにつけてもらいたいの。いい?」

譲二「じゃあ、とびきり可愛い名前を考えないといけないな」

美緒「慌てなくていいから、ゆっくり考えてね」

 美緒は幸せそうに俺の胸にもたれかかった。

 美緒はもしかしたら、子供は俺の子だと思い込んでいるんじゃないだろうか?

 なんとなくそんな気がした。


☆☆☆☆☆

 美緒の体を気遣い、胎児の成長を見守っているうちに、俺は自分も父親になっていく気がした。

 エコー写真と美緒のお腹を元気に蹴る感覚。

 気がつくとこの子は俺の子だと思いこんでいる。

 美緒の気持ちが移って来たのかもしれない。


☆☆☆☆☆

 ベッドの中で軽いキスと抱擁をしていた。

美緒「譲二さん…私を抱いてはくれないの?」

譲二「…だって、お腹に負担がかかるといけないだろ?」

美緒「もう安定期に入っているし、大丈夫なんだよ…」

譲二「そうかもしれないけど…。俺、夢中になって無理なこともしてしまうかも知れない…。
もし、それで何かあったらと思うと少し怖いんだ」

美緒「でも、ずっとしてないから…譲二さんが辛くない?」

譲二「俺? 心配してくれてありがとう。今までだって、美緒を抱けない時はたくさんあったから大丈夫だよ」

 美緒の頬にそっとキスした。


美緒「譲二さん…」

譲二「何?」

美緒「私…妊娠してから、譲二さんのことが一番好きになった…」

(え?)

 俺は驚いた。

 今、信じられない言葉を聞いた気がする。

美緒「一番好きなだけでなくて…今の私の心には譲二さんしかいないの」

 薄やみの中、美緒の真剣な瞳を見つめる。

譲二「…ほんとうに?」

 声が掠れてしまう。

美緒「本当だよ。譲二さんのことが…譲二さんのことだけが好きで好きでたまらないの」

譲二「…」

 言葉がでない。

 うれしくて、うれしくて…。

 美緒が俺のことだけを好きになってくれた。

 こんなに嬉しいことは生まれて初めてな気がする。

 今までどんなに思っても美緒への思いは決して報われない…そういうものだと思って来た。

 初めて…美緒と両思いになれた…。


美緒「…譲二さん?」

譲二「…ごめん…。あんまり嬉しくて、言葉が出なかった」

 お腹を圧迫しないよう気をつけながら、美緒を精一杯抱きしめた。

譲二「ありがとう…美緒」

 美緒の頭を胸に押し当てた。



 目から涙がにじみ出てくる。

 照れくさくて…薄やみの中とはいえ、彼女には今の顔を見られたくない。



☆☆☆☆☆

決意~その7

〈譲二〉
 子供が生まれるとあっては、美緒の両親にもちゃんと説明をしておかなければならない。


 美緒からは両親に、子供が出来たとだけメールで報告をしてあった。

 ハルとの離婚のメドが立ってから、ご両親には報告したいと思っていたが、ハルとのことはあれから全く進展がなかった。

 美緒も安定期に入ったことだし、ご両親には俺から簡単な事情を書いた手紙をだした。

 驚いた良子さんはメールをくれて、急遽日本に帰国すると連絡して来た。

☆☆☆☆☆

 佐々木夫妻がクロフネを尋ねて来た。

 朝から美緒も俺も緊張していた。2人に会うのは美緒の結婚式以来だった。

 臨時休業の札をかけたクロフネの店内に案内する。

良子「美緒、元気そうで安心したわ。赤ちゃんは順調に育ってるの?」

美緒「先日はお祝いの腹帯を送ってくれてありがとう。赤ちゃんはとっても元気で今もお腹を蹴ってるよ。」

佐々木「少しやつれたんじゃないか?」

美緒「つわりがひどくて…。でも譲二さんが労ってくれて、最近は普通に食べられるようになってるよ」

譲二「お二人には昔からお世話になっているのに、こんなことになってすみません」

 俺は佐々木夫妻に頭をさげた。

佐々木「あの手紙だけではよく事情がわからなかったが、どういうことだね?」

美緒「お父さん、私が…」

 俺は美緒を制した。

譲二「美緒さんと一生を共にしたいと思っています」

佐々木「しかし、春樹君とはまだ離婚していないんだろう?」

譲二「はい…。残念ながら、美緒さんの方から離婚請求はできないので、種村さんには離婚に同意してもらうようお願いしているのですが、断られ続けています」

佐々木「春樹君と離婚できないのに、君と暮らしているのは…、中途半端なままで美緒がかわいそうだ」

譲二「すみません。私が不甲斐ないばかりに」

美緒「譲二さん!」

佐々木「それはどういうことだね?」

譲二「美緒さんのことは種村さんと結婚するずっと前から好きで、お付き合いをしていたこともあります。
美緒さんが大学生の頃に婚約だけでもしたいとご両親に挨拶をしようと思っていたこともありました」

佐々木「それなのになぜ春樹君と美緒が結婚したんだね」

美緒「それはその時、私が譲二さんを裏切ってハル君と付き合いだしたからなの」

佐々木「…」

譲二「その時に美緒さんをちゃんとつなぎ止めておけなかった私の責任です」

美緒「譲二さんは悪くないよ」

佐々木「昔の話はまあいい。春樹君と盛大な結婚式まであげて、幸せに暮らしていると思っていたのに、なぜまたこんなことになったんだね?」

譲二「私が美緒さんをずっと諦めきれなかったからです」

佐々木「すでに春樹君の妻になっていた美緒を横恋慕したということかね?
 譲二君はもっと真面目な男だと思っていたが、どうも見損なっていたようだ」

譲二「…」

美緒「譲二さんは悪くない。私が譲二さんと一緒にいたいと思ったからハル君のところを出て来たの」

譲二「美緒。そんな君を追い返さなかったんだから、俺も同罪だよ…」

良子「お父さん、今2人を責めてもしかたがないわ。
人を好きになる気持ちはどうしようもないものだし。
それより、2人に聞きたいんだけど…、お腹の赤ちゃんはもちろん譲二君の子供なのよね?」

美緒「そうよ」

譲二「いいえ」

 二人の声がハモる。


佐々木「一体どっちなんだ?」

譲二「多分、種村さんの子供だと思います。
ただ、私の子供である可能性も少しですがあります」

佐々木「なんとだらしないことだ…。我が娘ながら呆れ返る」

 佐々木さんは大きくため息をついた。

譲二「どうか…。美緒さんとのお付き合いを認めて下さい。
種村さんと離婚できてもできなくても、美緒さんと子供の面倒は私が見るつもりです。
2人の将来を私にまかせて下さい。お願いします」

 俺は頭を深く下げた。

佐々木「美緒は…譲二君と生きていきたいのだな?」

美緒「はい。譲二さんとずっと一緒にいたいです」

佐々木「譲二君のことが好きなのか?」

美緒「はい。大好きです。」

佐々木「そんなに好きなら、なぜ春樹君と結婚した?
 結婚式ではあんなに幸せそうだったのに…。
どうせ、その時は春樹君が大好きだったからと言うんだろうけどな…」

美緒「…」

良子「譲二君、私たちは美緒の親だから、結局は美緒の味方になるわ。
春樹さんは法律の専門家だから、法律上のことではあなたたちは不利にしかならないと思うけど…。
私たちはあなたたちの味方よ。
何かあったら相談してね。
本当はもっと前に相談してくれていたらよかったんだけど…」

譲二「すみません。ありがとうございます」

 2人はホテルを取っているからと帰っていった。

 佐々木さんは日本にいるうちにハルとも話をしてくれると約束してくれた。

 ハルが佐々木さんの説得に応じてくれるかはわからないが、強い味方を得て、俺の肩の荷が少し軽くなった。

☆☆☆☆☆

 


美緒「譲二さん、お父さんたちに真剣にお願いしてくれてありがとう」

譲二「そんなの…。当たり前じゃない。俺は美緒のご両親にどうしても許してもらいたかったんだから」

美緒「それと、お父さんがいっぱい失礼なことを言ってごめんね」

譲二「ちょっ、ほら泣かないでよ」

譲二「元は俺が悪かったんだし、俺がだらしなかったからこういうことになったのは事実なんだし…」

美緒「ごめんなさい…」

 美緒をそっと抱きしめた。

 




☆☆☆☆☆

決意~その8

〈譲二〉
 二日後の夜、佐々木夫妻を招いてクロフネで食事会をした。

 美緒が食べられそうなものを中心にメニューを組み、佐々木夫妻に喜んでもらえるよう腕を振るった。



 前回会った時は俺に厳しいことを言っていた佐々木さんだったが、今日は一転して上機嫌で、ビールを俺にも飲めと盛んに注いでくれる。

佐々木「譲二君、美緒をよろしく頼むよ。
あの子は優しい子だから、すぐ自分を責めてしまう。
今のような宙ぶらりんな状態だと精神的にも辛いと思うんだ。」

譲二「はい。分かっています。美緒さんのことをしっかり支えていきます」

佐々木「次来られるのは美緒の子供が誕生したときだな…」



〈美緒〉
 お父さんと譲二さんが仲良くお酒を酌み交わしていてホッとした。

 もしかしたら、お父さんは譲二さんのことを誤解して、ずっと許してくれないのではないかと心配していたから。

 ぼんやりそんなことを考えていた私にお母さんが囁いた。

良子「美緒、お父さんに感謝しないといけないわよ」

美緒「うん。譲二さんのこと許してくれてよかった」

良子「それだけじゃないの…。
今日春樹さんに会いに行ったんだけど…。
お父さんは春樹さんに『美緒と譲二君が迷惑をかけて済まなかった。許してくれ』って、最初から最後まで謝り通しだったのよ…」

美緒「え? そうだったの?」

良子「お父さんはなんだかんだ言ってもあなたが大切だから、あなたのためなら何でもしてくれるわ。
春樹さんにも、『気持ちが収まらないのはよくわかるが、どうか娘を解放してやって欲しい』って頭をさげていたの」

美緒「お父さん…」

 譲二さんと楽しそうに話しているお父さんの横顔を見つめる。

良子「だからね。お父さんに感謝しないとだめよ。
もちろん、春樹さんがそれで離婚に同意してくれるかどうかは分からないけど…。
お父さんは精一杯のことをしてくれたのよ」

☆☆☆☆☆

 2人が帰った後、譲二さんにもその話をした。

譲二「そうなんだ。美緒の親父さんにはお世話になりっぱなしだな…。
俺ももう一度、ハルに頼んでみるよ…」

 譲二さんの穏やかな目を見つめていると、気持ちが安定して安らかになっていく。


〈譲二〉
 美緒は大きなお腹を持て余し、何をするのも少し辛そうだ。

 そんな美緒がとても愛しい。

 今日は茶倉の家で親族会議がある。

 主に茶堂院グループの今後の方針を話し合うのと親睦を兼ねた会なのだが、俺はそろそろここで美緒とのことを発表しようと決意していた。

 本来なら美緒も一緒に連れて行くべきだが、『他人の子を孕んだ人妻を生涯の伴侶に選んだ』という告白はかなり物議を催すはずで、どんな批判を浴びるかもわからず、そんなところへ身重の美緒を連れて行くわけにはいかなかった。

 美緒には『夕方までには帰れると思うし、遅くなりそうだったら電話するから』と話して出かけた。
 
☆☆☆☆☆

 俺の告白はやはり波乱を呼んだ。

 そうでなくても、若い頃から茶堂院グループを離れて、流行らない喫茶店のマスターをしていることを心よく思わない親戚は少なからずいたからだ。

親戚A「そんな血のつながらない子供が、将来茶堂院グループを乗っ取ったらどうするんだ」

親戚B「譲二君はグループ内の資産や相続の権利は放棄してくれるんだろうね」

 俺は茶堂院グループでの資産の権利などすべて手放してもいいと思っていたし、そう発言しようとして兄の紅一に止められた。

 兄貴は傾きかけた茶堂院グループを立て直した俺の実績をみんなに思い出させ、俺の取り分は血のつながりに関係なくその家族のために使われるべきだと主張した。

紅一「子供はまだ生まれてもいないんですよ。今はDNA鑑定で親子関係も調べられますし、茶倉の籍に入れるかどうかは、それが分かってから決めれば十分でしょう」

 兄貴の言葉でその場は収まり、会食が始まった。

譲二「兄貴、ありがとう。助かったよ」

紅一「俺もお前の話を聞いて驚いたが…。
そうか、美緒さんはお前のところに帰って来てくれたんだな」

譲二「ああ。やっと俺のことを思ってくれるようになった。少し遅かったけどな…」

紅一「遅くはないだろ? まだ、人生は長いぞ」

譲二「そうだな」

紅一「それで…美緒さんの旦那は別れてくれそうにないのか?」

譲二「今のところはね。もう少し粘ろうとは思ってるけど…」

紅一「法律的なことで問題がでれば、うちの顧問弁護士に相談すればいい。
確か相手は弁護士だっただろ?」

譲二「ああ、ありがとう。しかし、昔なじみでもあるから、なるべく法律的なことで争うこと無く済ませたいと思っている」

紅一「お前は自分のこととなると、本当に不器用だな…」

 


☆☆☆☆☆

決意~その9

〈春樹〉

 譲二さんと美緒のことを調べさせている探偵から連絡が入った。

探偵「先日お話しした茶堂院グループの親戚の集まりというのが、どうやら今日あるらしいです。
茶倉さんの方が今しがた出かけたので、尾行中です。茶倉家の方に向かっています。」

春樹「1人で出かけたんですか?妻は?」

探偵「奥さんはクロフネに残っておられました。手を振って見送っていましたから…」

春樹「わかったありがとう。親戚の集まりということはしばらく帰ってこないんだろうね?」

探偵「はい。毎回、夕方までかかるようです」

春樹「それでは、君はそのまま茶倉氏を張っていてくれないか? 家に帰るそぶりが見えたら携帯に連絡して欲しい」

探偵「わかりました」


 俺は事務に「しばらく出かけるから」と声をかけて事務所を後にした。

 先日、美緒の両親が尋ねて来たのには驚いた。

 父親の佐々木さんは始終低姿勢で謝ってくれて、こちらの方が恐縮した。

佐々木『種村さんには本当にご迷惑をおかけして済みませんでした。
本当にできの悪い娘です。
それでも、親バカだと思われるかもしれませんが、娘には幸せになって欲しいのです。
そのためにも、娘は好きな男と一緒にさせてやりたい。
自分勝手なお願いだとは思いますが、どうか娘と離婚して娘を自由にしてやってください…』

 その佐々木さんの『娘は好きな男と一緒にさせてやりたい。』という言葉が引っかかった。

 美緒が一番好きなのは俺ではなかったのか?

 俺と別れたいがために美緒は父親に『譲二さんのことが好きだ』とでも言ったのか?

 それとも、別れて暮らしている間に美緒の心に変化があったのか?

 美緒の本当の気持ちを確かめたいという気持ちが募った。

 美緒とは家を出て行ってすぐの時に話したきりだ。

 あの時は俺のことが一番好きだと言っていた。

 その『一番好きな』俺の子供を宿しながら、譲二さんの方を好きになったとはとても納得できない。



 クロフネについた。

 臨時休業の札が出ている。

 ドアを開けるとチャイムの音がして、懐かしい美緒の声がした。

美緒「すみません。今日はマスターが出かけていてお店はお休みな…」


 美緒はあっけに取られたように俺を見つめた。

 髪をポニーテールにして、譲二さんのものだろうざっくりしたTシャツを着てジーンズを履いている。

 お腹はかなりふっくらしていたが、懐かしい美緒のすがただった。

春樹「久しぶりだね…。会いたかった…」

 凍り付いたように動けない美緒を抱きしめる。

 思わず腕に力が入ったみたいで、美緒はもがいて逃れようとした。

美緒「…ハル君、…苦しい…離して」

春樹「ごめん。大丈夫?」

 俺が手を離すと、美緒は少し微笑んでいった。

美緒「うん。大丈夫だよ。強く抱きしめられるとお腹が圧迫されて苦しいの」

春樹「お腹、随分目立つようになったね」

美緒「うん。もう28週で、8ヶ月目に入ったから」

春樹「この子は俺の子なんだろう?」

 その言葉に美緒は恐れるように目を見開いた。

美緒「まだ…わからないよ。生まれてみないと…」

春樹「そうなの? 譲二さんは俺の子みたいに言ってたよ」

美緒「…ハル君の子の可能性が大きいけど…、譲二さんの子供の可能性もある…」

 美緒のお腹の子は俺の子だとずっと思い込んでいたから、譲二さんの子という可能性もあるというのは大きな衝撃だった。

 譲二さんの子供が俺の子として籍にはいる…そういう可能性もあるのか…。

 譲二さんが必死に美緒を離婚させて、子供ごと自分のものにしようとしている理由が一つわかった。

 俺は心を落ち着けて美緒に尋ねた。

春樹「美緒、君に聞きたいことがある」

美緒「なに?」

春樹「以前もらった手紙や前に会った時、美緒は俺のことが一番好きだと言ったよね。その気持ちに今も変わりはないの?」

美緒「…ハル君…。ごめんなさい。
あの時はハル君のことが一番大好きだったことは間違いない。
でも、今は譲二さんのことが好きなの。
妊娠がわかって、譲二さんに労ってもらっているうちに譲二さんのことが大切に思えるようになったの」

 ここに来てから、薄々そんなことではないかと思っていたのだが、改めて美緒の口からその言葉を聞くとかなりショックだった。

春樹「そうなんだ…。それは…あの時に無理に俺が奪い返しておけば、美緒の気持ちは変わらずに済んだのかな?」

美緒「それは…わからないよ。
譲二さんのところに来ると決めた時、すでに譲二さんのことを好きになっていたのかもしれないし…。
自分の気持ちに気づいたのがいつかというだけだと思う」

春樹「美緒は…母親になって強くなったね」

美緒「そう?」

春樹「うん。なんだかたくましいよ…。もう、気分が落ち込んだりとかはしてないの?」

美緒「うん。それは大丈夫だよ。この子のためにしっかりしなきゃと思っているから…」

春樹「そうなんだ…」

 俺は美緒をそっと抱き寄せた。

春樹「美緒…」

美緒「なあに?」

春樹「譲二さんに可愛がってもらえよ…」

美緒「うん。ありがとう、ハル君。…そして、ごめんなさい」

 俺たちはしばらくの間、抱き合っていた。

 できることなら…このまま無理矢理にでも連れて帰りたかった。



 「コーヒーでもいれようか」という美緒の言葉を断って、俺はクロフネを後にした。

 心の中には涙が流れ続けていた。


★★★

 ハル君の目に映るヒロインには、最初可愛らしいマタニティでも着せようと思ってた。
 でも、これだけ体格差のある背の高い男性の服は華奢な女性には十分マタニティになるのと、譲二さんの服を着た方が譲二さんのものになってしまった感がでるので、譲二さんの服を着ているという設定にしてみた。


☆☆☆☆☆

決意~その10

〈譲二〉
 夕方、思っていたよりは早く家に帰ることが出来た。

 クロフネのドアを開けて入ると、カウンターにぼんやりと美緒が座っていた。

譲二「ただいま」

美緒「お帰りなさい…」

譲二「どうしたの? ぼんやりして…。体の具合でも悪いの?」

 美緒の額に手をあてる。特に熱はないようだ。

美緒「譲二さん…。もしかしたら、私、離婚できるかもしれない」

譲二「それは…どういうこと? まさか、俺の留守の間にハルが尋ねて来たの?」

美緒「うん」

 俺の心臓の鼓動が激しく打った。

 やはり美緒も一緒に連れて行くべきだったろうか?

 ハルに、ハルに何かされていないか?

譲二「ハルは? なんて言っていたの?」

美緒「ハル君に『この子は俺の子か?』って聞かれたから、『譲二さんの子供の可能性もある』って言ったの」

譲二「うん」

美緒「それから、ハル君は『今も俺のことを一番好きか?』って聞いたから、『今は譲二さんのことが好き』って言ったの。
そうしたら、『譲二さんに可愛がってもらえよ…』って」

譲二「そうなんだ」

美緒「それって、譲二さんと一緒になることを許してくれたってことだよね」

譲二「そんな風に取れるね…。ねえ、美緒」

美緒「なに?」

譲二「ハルに…その…何もされなかった?」

美緒「少し抱きしめられただけだよ」

譲二「それだけ?」

美緒「うん」

 少し安堵したが、まだ心の中の疑念がとけたわけではない…。

 俺だったら、抱きしめるだけでなく、キスだってするかもしれない…。

 もしかしたら、それ以上のことだって…。

 ああ、もっと早くに帰ってくれば良かった…。

 いや、美緒を信じなくてどうする。

 今の美緒はハルになにかされたようには見えない。

譲二「ハルが離婚に応じてくれるといいね」

美緒「うん」

 そっと美緒を抱きしめた。

☆☆☆☆☆

 数日後、ハルから離婚届が送られて来た。ハルの欄には名前と印鑑が押してある。

 俺はハルに電話した。

春樹「もしもし」

譲二「ハル? 譲二だけど」

春樹「ああ…」

譲二「離婚届が届いた。ありがとう」

春樹「俺は譲二さんのために離婚するんじゃないですよ。
美緒を幸せにしたいから離婚するだけです。
譲二さんにお礼を言われる筋合いはありません」

譲二「…それでも、ありがとう」

春樹「譲二さんも俺と立場が逆だったら…同じことをしたでしょ?」

譲二「ああ…たぶんな」

春樹「それじゃあ、仕事中ですから」

 電話が切れた。

 ハルと…もう昔のように仲良く語り合えることは二度とないのだろう…。


決意~その11へ続く


決意~その1~その5

2014-12-27 08:05:36 | ハル君ルートで茶倉譲二

ハルルートの譲二さんの話の続編
クロフネで
ヒロインと暮らし始めて1ヶ月が経った

☆☆☆☆☆

『帰港』の続き



決意~その1

〈譲二〉
美緒が俺の所に来てくれてから一ヶ月がたった。

楽しそうにクロフネを手伝ってくれて、精神状態も安定していた。

ところが、この2、3日、時々ぼんやり考え込んでいる事がある。

そんな時、「どうしたの?」と尋ねても、曖昧に笑って誤魔化されてしまう。

夜もひどく怯えたように抱いて欲しがる。

もしかして、もうハルのことが恋しくなってしまったのだろうか?

ハルのところへ帰りたいと言われるのが怖くて、美緒を問い詰めることができなかった。

ハルに最後にいわれた言葉が頭から離れない。

春樹『俺は美緒を諦める気はありませんから…。ジョージさんだって同じでしょう?』

春樹『だから、その時々に美緒がどちらを選ぶかというだけのことです』



☆☆☆☆☆

 そんなある朝、美緒が思い詰めたような顔で「ちょっと出かけたい」と言った。

譲二「どこへ?」

 何気無く尋ねたのだが、赤い顔をして答える。

美緒「ちょっと気になることがあって…。昼までには帰れると思うから…」

 どこに行くかは教えてもらえないまま、美緒は出かけて行った。

 訳がわからない。まさか、ハルを訪ねて行ったとか…。

 悶々としていたが、どうしようもない。




 昼になり、ランチのお客さんで忙しくしていると、青ざめた顔の美緒が帰ってきた。

譲二「お帰り…。どうしたの?」

美緒「ちょっと気分が悪いので、二階で休んでいてもいい?」

譲二「ああ、いいよ。大丈夫?」

美緒「疲れが出ただけだから、心配しないで…横になっていたら治るから…」

譲二「後でココアでも持って行ってあげるね」




 ひと段落して、客足が途絶えると急いで二階に上がった。

 美緒は自分の部屋ではなく、俺の部屋のベッドに横になっていた。

譲二「気分はどう?大丈夫?」

美緒「…譲二さん」

 美緒はいきなり抱きついてきた。

譲二「どうしたの?」

美緒「お願い…私を抱いて…」

 驚いた。

 俺と暮らすようになってからは、昼間から抱いて欲しがることなどなかったからだ。

譲二「体調が悪い訳じゃなかったの?」

美緒「うん。体調は悪くないよ」

譲二「悩みごとなら、俺にちゃんと話してよ」

美緒「…」

譲二「一緒に暮らし始めた頃に約束したじゃない。隠し事はしないって…。
もし、俺と暮らすのが嫌になって…ハルのところに戻りたくなったとしても、ちゃんと話してくれるって…。
ハルのところに戻りたくなったのじゃないの?」

美緒「そんなことないよ…」

譲二「ちょっ、美緒!」

 美緒の目から涙が溢れている。

 俺はしっかり抱きしめると、囁いた。

譲二「何があったの?教えて?」

美緒「…」

 チャイムが鳴り、客の入る気配がした。

 俺は後ろ髪を引かれながらも、「後で来るからね」と言って一階に降りた。


その2へつづく


☆☆☆☆☆

決意~その2

〈譲二〉
 夕方、客足が途絶えると、今日はもう店を閉めることにした。

 ミルクティーとサンドイッチを作ると二階へあがる。

 美緒は昼間と同じように涙を流したままベッドに横たわっている。

譲二「お腹が空いたろ?」

美緒「…ううん」

譲二「朝から何も食べてないだろ?何か口に入れないと」

 美緒はミルクティーを一口飲み、サンドイッチを一口齧ると「もういい」と言った。

 美緒の額にそっとキスして、額と額をくっつける。

譲二「どうしたの?昼にも言ったけど、悩みごとは俺に全部話して?
俺には解決出来ないことでも、話すだけで随分楽になるよ。」

美緒「譲二さん…私を抱いて…。めちゃくちゃにして…」

譲二「本当にどうしたの?」

 ずっと昔にもこんな風に言われたことがあったな…と思い出した。

 美緒に優しくキスをした。

 美緒が求めてくるので、深いキスを何度も繰り返す。

 そして彼女を丹念に抱いた。

 俺に抱かれる間も美緒は静かに涙を流していた。

 彼女の涙を口づけて吸い取る。



譲二「ねえ、美緒。そろそろ俺にも訳を話して?」

美緒「…譲二さん…ごめんなさい…」

 そういうとまた涙をながす。

 俺は胸騒ぎを感じて言った。

譲二「一体どうしたの?」

美緒「ごめんなさい…私…妊娠してるの…」

譲二「え?!それは!」

美緒「6週だって…多分ハル君の子供だと思う…」

 美緒の言葉に衝撃を受けた。

 俺たちは一応避妊していたし、妊娠の週数からハルの子であるのはほぼ間違いがないだろう。



 泣きじゃくる美緒を抱きしめながら、俺は決心した。

 美緒もこの子も決して手放さない。

 法律上でもこの子はハルの子になるだろうが…それでも何としても美緒と2人で育てよう。

 俺の子では無いかもしれないが、美緒の子だ。

 美緒の子は大切に育てたい。

その3へつづく


☆☆☆☆☆

決意~その3

〈譲二〉
 一週間後、産婦人科の診察に出かけた。

 前回の診察では胎児の心拍が確認できていないということで、一週間後に来なさいと言われたのだという。

 クロフネを臨時休業にして、俺も付き添う。

 美緒はひどく恐縮していたが、俺は1人でいかせたら、子供を下ろしてしまうのではないかとそちらを心配していた。

 妊娠が分かったことで美緒の精神状態はまた悪化していた。

 軽いつわりも始まり、かなり神経質になっていた。


☆☆☆☆☆

 美緒がついた産婦人科はまだ新しい病院だった。

 明るい待合室には可愛らしい絵やイラストが架けてあり、何人かの妊婦さんがいた。

 俺はなんだか場違いな気がして居心地が悪かった。

看護師「種村さん、どうぞお入りください」

 アナウンスを聞くと、「ああ美緒はやはりハルの妻なのだ」と現実を突きつけられた。

 美緒の主治医は40歳くらいの女医さんで、優しそうな人だった。

 診察室に通された後、美緒は隣の部屋に入り内診された。

医師「今7週です。順調に育ってますよ。心拍も確認できました」

 ディスプレイで俺にもエコー写真を見せてくれる。黒い空洞の中に蛹のようなものが見えた。

 診察室に戻って来た美緒は青ざめている。

美緒「下ろすとしたらいつまでに決断したらいいですか?」

譲二「!」

 女医さんはそれまでの柔和な表情を強ばらせた。

医師「22週以内です。しかし、一度下ろすと母体をかなり傷つけることになりますし、先のことを考えるとお勧めできません。
産めない事情でもおありですか?」

 最後の言葉は俺に向かって言われた。

譲二「いえ…そんなことはありません。
…それで、先生。少し教えて欲しいのですが、この子が受胎したのは正確にはいつ頃ですか?
 7週というのは7週間前なのですよね?」

医師「7週というのは奥さんの最終月経の日から数えたものです。ですから実際の着床は…」

 手元のカレンダーを見ながら、この辺りという日付を教えてくれた。

 それは美緒が俺のところへ来た頃だった。

(ということは俺の子という可能性も0ではないのか…)

医師「着床時期がそんなに重要ですか? 」

譲二「いえ、そういうわけでは…。ありがとうございました」

医師「心拍も確認できましたし、そろそろ母子手帳をもらっておいて下さい。
安定期にはいるまでは重いものを持ったり、激しい運動は避けて下さい。
タバコやアルコールも禁止です。詳しいことはここに書いてありますから、よく読んでくださいね。次の診察は…」

 帰りは二人とも会話が無かった。

 今、美緒は何を考えているのだろう。

 子供を下ろせるのはいつまでかと聞いた時には驚いた。クロフネに帰ったら、2人でよく話し合わないと…。



☆☆☆☆☆
 美緒と向かい合って話し合う。

譲二「出来た子を下ろすなんて考えなくていいからね。2人で育てよう…」

美緒「そんなことを言っても、ハル君の子供だし。
出生届けも出さないといけないし…。
そうしたらこの子の父親はハル君になるんだよ」

譲二「出産までには間があるし、それまでにハルと離婚できれば、実子ではなくても俺の養子にはできるだろ?」

美緒「ハル君が離婚を承知してくれるとは思えない」

 確かに、ハルは『美緒の夫であることをやめるつもりはない』と言っていたし、自分の子供が出来たとなればなおさら離婚してはくれないだろう。

 しかし、俺はそれでもハルに頼んでみるつもりだった。

 俺が身を引いて美緒がハルともとの鞘におさまるという選択肢もあったが、俺はそれを一顧だにしなかった。

譲二「ハルと話し合って、離婚を認めてくれるよう頼んでみるつもりだ…。」

美緒「そんなこと…」

譲二「やってみなければわからないだろ?」

美緒「でも」

譲二「俺はお腹の子ごと美緒を自分のものにしておきたい。
…それに…、先生に着床時期を聞いたけど、俺の子供だという可能性もわずかだけどあるんだ…。
そんな子を下ろさせるわけにはいかないよ」

美緒「譲二さん…ごめんなさい…」

譲二「美緒が謝ることなんか無いよ…。美緒が悪いわけじゃないんだから…」

 美緒をしっかりと抱きしめた。

 もう、決して美緒を手放したりはしない。決して…。


その4へつづく
☆☆☆☆☆

決意~その4

〈譲二〉
 夕方、意を決してハルに連絡を取った。

 8時過ぎなら、事務所で会ってくれるという。

 夜、美緒を1人にするのは気がかりだったが、何としてもハルと話をつけなければならない。

 少し早いが美緒をベッドに寝かせた。

美緒「遅くなりそうなの?」

譲二「わからない…。でも、しっかりハルと話し合ってくるから、心配しないで。
表の鍵は俺がかけて出るから誰か訪ねて来ても出なくていいよ。
店への電話も取らなくていいからね」

美緒「分かった」

譲二「ゆっくりお休み…」

 美緒の額にそっと口づけた。



☆☆☆☆☆

 ハルの事務所を訪ねるとハルは1人で待っていてくれた。

譲二「時間を取ってくれてありがとう」

春樹「今頃なんの用ですか?」

 俺は思い切って単刀直入に答えた。

譲二「実は…美緒が妊娠した」

春樹「え!! それはもしかして俺の子供なんですか?」

譲二「はっきりは分からないが、その可能性が高い…」

 ハルは少し考えて言った。

春樹「それなら…、美緒を俺のところに返してくれるんでしょうね?」

譲二「いや…。美緒も子供も俺が面倒を見たい」

春樹「そんな! 法律上も実質的にも俺の妻と子供なんですよ!」

譲二「それは…分かっている。それでも俺に譲って欲しい…美緒と離婚して欲しいんだ」

春樹「そんな虫のいい話、聞けるわけはないでしょう」

譲二「もちろん、勝手な話だとは分かっている」

春樹「それに、今更離婚しても子供は譲二さんの子供にはなりませんよ」

 ハルは冷たく言い放った。

譲二「それも分かっている。しかし、改めて美緒と結婚できれば、家族になることはできる」

春樹「そんなこと…。俺が許すと思っているんですか?」

譲二「俺たちだけなら、一生不倫のままでもでもいいと思っていた…。
しかし、子供が出来れば別だ…。生まれて来る子にはなんの罪も無い…。
その子には普通の家庭を用意してやりたい」

春樹「なら、譲二さんが諦めれば済むことじゃないですか?
 戸籍を汚すことも無く、俺たち親子3人で暮らすことができる」

 俺を見つめるハルの目には俺への憎しみが籠っていた。



☆☆☆☆☆

 話は結局平行線のままに終わった。

(美緒になんて話そう…)

 やはり…俺が身を引くしか無いのだろうか?

 しかし、今の美緒の精神状態は不安定なままだ…。

 俺と別れてハルのところへ帰らなければならないと思ったら、思い詰めて何をするかわからない。

 無茶をして流産しようとするかもしれない…。



 一抹の不安がよぎる。

 それとも…喜んでハルと元の鞘に収まるだろうか…?

 …とにかく、安定期に入るまでは美緒の気持ちを不安にさせることは避けなければ…。


☆☆☆☆☆

 寝室を覗くと美緒はすやすやと眠っていたので、俺はシャワーを浴びて来た。

 パジャマに着替え、美緒の横に潜り込むと美緒は眠たそうに俺にしがみついて来た。

美緒「譲二さん…お帰りなさい…」

譲二「ごめん…。起こしちゃった?」

美緒「ううん。よく寝たから大丈夫だよ…。ハル君はなんて言ってた?」

譲二「うん…。なかなか一筋縄ではいかなかったよ…」

美緒「そう…。やっぱり…」

譲二「でも、また日を改めてお願いしに行こうとは思ってる。きっと悪いようにはならないよ」

美緒「ごめんね。譲二さんばかりに辛いことをさせて…」

譲二「そんなことないよ。俺は美緒が側にいてくれるだけで嬉しいから…」

 俺は美緒の額にキスをした。

譲二「さあ、もうお休み。しばらくこうしてあげるから」

 美緒は大人しく俺にしがみついて目をつぶった。




☆☆☆☆☆

 美緒のつわりは日に日にひどくなった。

 量を食べられないばかりか、大抵のものが食べられなくなって、ゼリーのような口当たりのいいものか、小さく切った果物のようなものしか食べようとしない。

 お客がいない時はクロフネのソファーで休ませ、お客が入ると厨房に置いた椅子に座らせるようにした。

 極力1人にはしないようにして、美緒の気分が落ち込まないように気を配った。

 夜は俺に抱いて欲しがった。

 しかし、普通にセックスするわけにもいかないので、キスしたり抱きしめたりして過ごした。

 美緒はまたしても小さな子供のようになっていた。



☆☆☆☆☆

 春樹とはあの後も電話や事務所で話し合ったが平行線なのは変わらなかった。

 俺は慰謝料を払ってでも美緒を離婚させたいと思ったが、それを口に出すことはなかった。

 それを言えば春樹は返って意固地になるだろう…。

 ハルが欲しいのはお金ではなくて美緒なのだから…。


その5へつづく
☆☆☆☆☆

決意~その5

〈譲二〉
 美緒の衰弱が激しいので、次の検診日にも俺は付き添った。

美緒「ごめんね。私のためにクロフネをお休みにさせてばかりで…」

譲二「そんなことないよ。今は美緒の体の方が大事なんだから。
それにもう少ししたらつわりは終わるんだろ?」

美緒「だと思うんだけど…。」



☆☆☆☆☆

 胎児は順調に育っていたが、美緒の体重の減りがひどく貧血もあったので点滴を受けた。


医師「できれば、入院して一週間ほど安静にした方が安心なのですけどね…」

 しかし、美緒が俺と離れるのを不安がったので、入院はしないで済むように頼んだ。

譲二「家ではなるべく安静にさせますし、消化のよいものを少しずつでも食べさせますから…。
私は妻の側でいつもいることができる仕事なので、体調も気をつけてやることができます。」

医師「そうですか…。ご主人がいつも側にいらっしゃるのなら…まあ大丈夫でしょう。
つわりも今がピークでしょうから徐々に収まって来ると思います。
 戻しても少しはお腹に残りますから、気にせずに食べられるものを食べて下さいね。
脱水になるのが一番怖いですから、水分は必ず取って下さい。
お白湯にレモン汁を絞ったものを入れて飲むのもおすすめです。」

譲二「分かりました。水分の補給には気をつけるようにします」

医師「種村さん、優しいご主人でよかったですね」

 女医さんはにっこりと美緒に微笑んだ。




☆☆☆☆☆

 ネットでつわりの時の食事レシピを検索して、美緒のためのメニューを考えた。

 意外にもサンドイッチを欲しがったので、作ると少しずつだが食べられるようになった。
それでも、時々は戻していたみたいだ。

 美緒のことだけ考え、美緒のためだけに過ごす毎日。

 俺は生き生きと毎日を過ごしていた。
 


☆☆☆☆☆

 美緒のお腹はだんだん目立ってきた。

 2人で買い物に出かけた時など、傍目には幸せそうな夫婦にみえるだろう。

 夕食後2人でくつろいでいる時に美緒が声をあげた。

美緒「あ!」

譲二「どうしたの?」

美緒「今、お腹の赤ちゃんが動いたの。…あ、また」

 美緒は俺の右手を取るとお腹を触らせる。

美緒「ほら!」

譲二「…んー、なんかよくわからないな…」

美緒「もう少し触ってて、…ほら!」

譲二「あ!」

 今度は俺にもわかった。

譲二「本当だ。すごく元気なんだな」

 2人で顔を見合わせて微笑んだ。

 美緒が愛おしくなって、そっと抱きしめた。

 この頃、美緒は母性愛が目覚めて来たようで、とても穏やかな顔をしている。

 そして、妊娠してから以前にも増して美しくなった。

 肌のキメは細かく、つわりのせいでおもやつれした顔は少し上気している。

 お腹の子供ごと美緒を抱きしめながら、この子が俺の子なら言うことは無いのにと思う。

 ああ、こんなことになるなら…もっと以前に無理矢理ハルから奪っておけば良かった…。

 ハルと結婚してしまう前に…。

 後悔してもどうにもならないけど…。


決意~その6~その11へつづく



帰港

2014-12-21 09:08:37 | ハル君ルートで茶倉譲二

ハルルートの譲二さんの話の続編
突然クロフネに現れた
ヒロイン。もうハルくんのところへは帰らないという。

☆☆☆☆☆

焦燥~その5~その7の続き




帰港~その1

〈譲二〉
美緒が俺の隣りで眠っている。

あまりの嬉しさに暗闇の中、本当にそこにいるのか、何度もさぐってしまう。

もちろん、美緒はまだ人妻のままだし、ハルは弁護士なのだから、法的な措置をとるなどして、何としても美緒を取り戻そうとしてくるだろう。

先はバラ色とはとても言えないのに、俺の心は湧き上がる喜びで満たされている。

あれから8年、いや9年か…。

美緒が俺の元を去ってから、彼女と一夜を過ごすことはなかった。

もちろんクロフネに戻ってからは彼女と逢瀬を重ねることはあったが、いつも慌ただしい別れが待っていた。

こんな風に美緒が俺の隣りで眠るなんてことはなかった。

あまりの嬉しさに今夜は眠れそうもない。

そして、俺の目からは温かい涙が、滲み出ている。

俺って情けない男だよなぁ。

でも今は、この喜びにただただ浸っていたい。


〈春樹〉
美緒が俺を捨てて、譲二さんの元へ行ってしまった…。

どうして…。

美緒が残した置き手紙をもう一度読み返した。


『大好きなハル君へ

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

私がハル君を好きな気持ちは昔も今も変わりません。

それだけは信じてください。

でも、私の心の中にはもう一人の男性が住んでいます。

大学時代にハル君と再会して、ハル君の元へ走った時、私の心に迷いはありませんでした。

ハル君のことが大好きだったからです。

譲二さんのことも好きでしたが、ハル君への気持ちには叶わなかったからです。

今もその選択には間違いはなかったと思っています。

でも、私の心が不安になったり弱まった時、私の心は譲二さんを求めてしまうのです。

私の心が小さく小さく縮こまって、傷ついた動物のようになった時、船が港に帰るように譲二さんの元へ帰りたくなるのです。

一番大好きなのはハル君。私が色々世話をしてあげたいのもハル君。

でも、私が必要としていたのは譲二さんなのです。

そのことについ最近やっと気がついたのです。

我儘を言ってごめんなさい。たくさん傷つけてごめんなさい。

許してくださいとは言いません。

一生恨んでくれて構いません。

でも、私は譲二さんの元へ行きます。

ごめんなさい。
                              美緒』

何度読んでも納得できない。

俺たちが過ごして来た年月はなんだったんだ…。

俺たちが重ねてきた愛には何の意味もなかったのか?!美緒。



〈譲二〉
明け方、少しまどろんでいたようだ。朝の光で目を覚ます。

俺の傍らには愛する美緒が眠っている。確かめるように彼女の髪を優しく撫でた。

夢じゃなかった…。

また、身体の底から喜びが湧き上がってきた。

美緒「…う…うん」

美緒が可愛い声をあげて寝返りを打った。

俺は彼女を背中から抱きしめた。


☆☆☆☆☆

帰港~その2

〈譲二〉
 春樹がクロフネにやってきた。

 覚悟はしていたが、胸の動悸は止まらない。

春樹「譲二さん。美緒と2人だけにしてください。」

 美緒が少し不安げに俺を見た。

 俺は微笑んで少し頷いた。

譲二「俺がいたのではだめなのか?」

春樹「これは俺たち夫婦の問題なんです。譲二さんには関係ない」

譲二「分かった…。ただ美緒ちゃんを責めないで欲しい」

春樹「俺がそんなことをするわけないでしょう」

 そこまで言われては立ち去らないわけにはいかなかった。

 美緒を安心させるため微笑んだ。

譲二「俺は二階にいるから2人の話が終わったら呼んでくれ」



☆☆☆☆☆

 美緒が俺の部屋に来た。

美緒「ハル君が譲二さんと2人で話がしたいって…。私は自分の部屋にいるね」

 美緒の頬には薄っすらと涙の後があった。

俺はそんな美緒を抱きしめて額にキスをすると、階段を降りた。



 ハルがソファーに座ってぼんやりしていた。

譲二「コーヒーでも飲まないか?」

春樹「いいえ、いいです」

譲二「俺が飲みたいから付き合ってくれ」

春樹「それなら…」

 コーヒーをいれ、ハルと自分の前に置いた。

春樹「譲二さん。何て言って、美緒を誘惑したんですか?」

譲二「信じてもらえないかもしれないが、俺から誘惑したわけじゃない」

春樹「…」

譲二「二週間位前、急な仕事でハルが午前様になった日があったろ?」

春樹「どうしてそれを?」

譲二「夜の10時過ぎに美緒ちゃんから電話がかかって来た」

春樹「まさか…あの携帯には俺の番号しか入ってないのに…」

譲二「俺の携帯じゃなくクロフネの電話にかかって来た。
クロフネの番号は語呂合わせになっているから、そらで覚えていたんだろう」

春樹「その時に誘惑したんですか?」

譲二「誘惑なんかしていない。ハルの帰宅が遅くなるというだけで、パニックになってすすり泣いていた。
俺と話しているうちに落ち着いてきたから、もう休むように言っただけだ」

春樹「それだけで、どうして美緒が譲二さんのところに家出するんですか?」

譲二「俺にもわからない…。だが、考えられるとしたらそれしかないんだ。
美緒ちゃんと話してみて、かなり精神的に脆弱になっているなとは思った。
ハルと喧嘩したわけでもなく、ハルが遅くなるのもメールと電話で連絡をもらっていて、それであんなに取り乱していたから…」

春樹「俺が美緒を誰にも会わせないようにして閉じ込めたせいですか?」

譲二「そういうわけでもないと思う。ハルと結婚した直後から美緒ちゃんはかなり不安定だったから」

春樹「俺と結婚したせいとでも言いたいんですか?」

譲二「いや…。俺が美緒ちゃんを諦めきれなかったせいかもしれない。
もっと前にハルを好きな美緒ちゃんを俺が自分のものにしたからかも…」

春樹「…」

譲二「とにかく、俺とお前の間で美緒ちゃんの気持ちが揺れ続けたことで、美緒ちゃんの精神はかなりすり減ってしまったのかもしれない」

春樹「かもしれないばかりじゃないですか…」

譲二「そうだな…。でもとにかく美緒ちゃんは自分から俺のところに来た。
そして、俺のところにいたいと言った。今はかなり落ち着いている…。
そんな美緒ちゃんをハルに引き渡すわけにはいかない」

春樹「…美緒は俺にずっと謝ってました。
そして、手紙でも…さっきも…俺のことが一番好きだといいました」

譲二「…そうだろうな…」

春樹「そんな美緒を諦めることが出来るわけないじゃないですか。
なぜ一番好きな俺ではなく、譲二さんを選ぶんですか?」

譲二「俺にもよくわからない…」


 しばらく沈黙が続いた。


春樹「俺は…美緒の夫であることをやめるつもりはありませんから。
そして、不貞をした側の美緒からは離婚を請求することはできません」

譲二「美緒ちゃんはずっとハルの妻のままなんだな…」

春樹「そういうことになりますね」

譲二「それは…俺に対する復讐なの?」

春樹「そんな風にとってもらってもかまいません。
俺は美緒を諦める気はありませんから…。
譲二さんだって同じでしょう?」

譲二「…ああ」

春樹「だから、その時々に美緒がどちらを選ぶかというだけのことです」

譲二「…いつかまた俺を捨てて、ハルのところにいく日が来ると思ってるんだな…」

春樹「もちろんです」

 春樹は挑戦的な視線を投げると踵を返して出て行った。



☆☆☆☆☆

春樹が去った後、美緒を思い切り抱きしめた。

譲二「本当に俺でいいの?」

美緒「譲二さんでないとだめなの」

譲二「でも、美緒はずっとハルの妻のままなんだよ…。」

美緒「うん…」

譲二「だから…、俺たちの子供は欲しくても持つことができないんだよ…」

美緒「それでもいい…」

譲二「今は良くても、年取った時に寂しくなるよ」

美緒「譲二さんは嫌なの?」

譲二「俺は…、美緒がいてくれるなら子供を持てなくても構わない。
美緒が来てくれなくても一生結婚しないつもりだったし…」

美緒「それなら、私も大丈夫…」

譲二「美緒……もし年取って子供がいなくて寂しくて、誰かを恨みたくなったら…、俺を恨むんだよ」

美緒「譲二さん!」

譲二「一番初めに種をまいたのは俺なんだから…」



 何年も夢見て来た愛する人を両手で抱きしめるのはなんと甘美なことだろう。

 しかし、その甘さには一握りの苦みがまじっている。


『帰港』おわり

続きは『決意』~その1~その5です。


焦燥~その5~その7

2014-12-14 09:00:05 | ハル君ルートで茶倉譲二

ハルルートの譲二さんの話の続編
ヒロインはハルくんと結婚し、幸せに暮らしているはずなのに、なぜか時々譲二さんを訪ねてくる。ヒロインのことを一生思っているから、こういう関係はもう止めようと告げる譲二さん。
しかし、クロフネでヒロインと抱き合っている姿をハルくんたち三人に目撃されてしまった。
☆☆☆☆☆

焦燥~その1~その4の続き


焦燥~その5

〈美緒〉

電話を切った後、譲二さんに言われた通り、通話履歴を削除した。

(譲二さん…)

 携帯電話を抱きしめる。

 これはハル君と電話とメールで繋がっている。

 でも、それだけじゃなく今譲二さんとも繋がることができた。

 この電話の向こう側に譲二さんがいる。

 譲二さんに電話をかけてから切るまでの会話を何度も反芻する。

 私の心の中に安堵と温かい気持ちが込み上げて来た。

 譲二さんは小さな子供の頃から私の守護者だった。

 お腹が空いたらサンドイッチを食べさせてくれ、雷が鳴れば抱きしめて守ってくれた。

 お母さんと喧嘩した時には「仲直りできる魔法のお薬だよ」って金平糖を食べさせてくれたっけ。

 大きくなってからも、満員電車の中で庇ってくれたり、クロフネでは私の好きなメニューを考えたり、いつも私のことを気遣ってくれた。

 私が辛い時には抱きしめて「大丈夫だよ」と言ってくれた。

 ハル君との間で気持ちが不安定になってからも、私は譲二さんに抱きしめてもらうことで、いつも安心感をもらってた。

 譲二さんとセックスをしたかったわけじゃない。抱きしめてもらいたかったんだ…。

 そして今も…。ハル君が帰って来ないと分かって不安に苛まれた気持ちがこんなにも安定している。

 譲二さんの声を聞いただけで…。

(私にとっての譲二さんて…)

 辛かったり、苦しかったりするときにはいつも譲二さんを求めて来たんだ…。

 それに今やっと気づいた。

 ハル君は一番好きな人で、それは昔も今も変わらないけど…。

 船が港に必ず戻るように、私の心はいつも譲二さんに戻っている…。

 それがどういうことなのか、今はまだ心の整理が着かないけど…。



 私は携帯を抱きしめたまま、いつの間にか眠っていた。


春樹〉
 仕事をやっと切り上げることが出来た。

 時計を見ると午前2時をまわっている。

(美緒は、まさかまだ起きて待っているということはないだろうが…)

 急いで事務所に鍵をかけると家に戻った。

 玄関を開けてリビングに入ると煌煌と電気がついている。

 2人分の食事の皿にラップがかけてあり、そのテーブルに突っ伏すようにして美緒が眠っていた。

春樹「美緒…そんなところで寝てたら風邪引くよ」

 前後不覚で眠っている美緒を抱き起こした。

 携帯を抱きしめたまま眠っている。

(俺からのメールを待っていてくれたのか…)

 あまりの可愛い行為に愛しさが込み上げて来た。

 美緒を抱き上げるとベッドに連れて行く。

 美緒を横たえそっと布団をかける。柔らかい唇にそっとキスをすると、美緒はパッチリと目を開けた。

美緒「ハル君…」

春樹「ずっと俺を待っていてくれたんだね。
テーブルのところで眠っていたからベッドに運んだよ」

 美緒は俺にしがみついた。

美緒「ハル君。会いたかったよ…」

春樹「昼に会ったばかりじゃないか」

美緒「それでもさみしかった…」

春樹「ごめんね。これからはこんなことがないようにするから…」

美緒「ううん。お仕事が忙しい時はお仕事を優先してくれたらいいから。私のわがままでハル君に無理させたくない…」

春樹「無理じゃないよ。俺にとっての一番は美緒なんだから…」

美緒「ありがとう」

 美緒は顔を俺の胸に埋めてしがみついたままだ。

 まるで小さな子供のような美緒を抱きしめ、髪を優しく撫で続けた。



☆☆☆☆☆

焦燥~その6
〈美緒〉
譲二さんと電話で話した日以来、譲二さんのことが頭から離れない。

譲二さんの思い出がずっと浮かんで来る。


小さな私を抱っこしたり、サンドイッチをくれたじーじ。

雷の鳴る中、タコの滑り台の中で私を抱きしめてくれたじーじ。

失恋して涙を流すじーじ。…私はじーじを元気づけてあげたかった。

転んで膝を擦りむいた私に絆創膏を貼ってくれたじーじ。

高校時代、クロフネでココアやエッグノックを作ってくれたり、色々な相談にのってくれた譲二さん。

そして…、私を好きだと告白して、無理やり私を抱いた譲二さん…。

それから、譲二さんと私は3年間恋人として過ごした。

私を恋人にしたやり方はひどく乱暴だったけど…、その後はいつも優しく、いつも私のことを考えてくれていた。

そして、私をとても愛してくれた…。

それは、別れてからも…今も同じ。

そんな譲二さんを私は裏切ってしまった…。

(譲二さん…ごめんなさい。)

ハル君と結婚した後、私の気持ちが不安定になったとき、譲二さんに何度も頼ってしまった。

自分勝手な私の我がままにいつも応えてくれた…。私をなじることもなく、いつでも受け入れてくれた…。

(ああ…譲二さんに会いたい。会って抱きしめてもらいたい…)

譲二さんへの思いは日に日に募っていった。
 


〈譲二〉
 今日は夕方になっても客が全く入らない。

(少し早いけど…もう閉めてしまおう)

 気楽な商売だな…と自嘲気味に思う。

 実家の企業経営からは手を引いたが、相談役ということで役員には名を連ねている。

 その報酬と7年間茶堂院グループで働いた収入はほとんど使うこと無く貯まっている。

 だから、こんな殿様商売がしていられるんだな…。

 この先死ぬまで俺は1人でクロフネのマスターをしているんだろう。先代マスターのように…。



 チャイムが鳴った。

譲二「すみません。今日はもう閉めるので…」

 そこにはスーツケースを提げた美緒が立っていた。

譲二「!」

美緒「来ちゃった…」


 

 俺は慌てて美緒の元に駆け寄った。

 


 

☆☆☆☆☆

焦燥~その7
〈譲二〉

美緒「来ちゃった…」

 俺は慌てて美緒の元に駆け寄った。

譲二「一体どうしたの? ハルと喧嘩でもしたの?」

美緒「ううん…。でも、手紙を置いて出てきちゃった…」

 俺は混乱しながら尋ねた。

譲二「それは…どうして?」

美緒「どうしても譲二さんの側に居たかったから…」

 嬉しい気持ちと戸惑いをいっぺんに感じながら、美緒を抱きしめる。

譲二「だからって…、ダメじゃないか…こんな時間から人妻が他所の男のところに来るなんて…」

美緒「お願い! 譲二さん。私をここに置いて。クロフネの手伝いも何でもするから…お願い」
 美緒は必死に俺に縋り付く。

譲二「俺は構わないけど…。美緒ちゃんの部屋もそのままにしてあるし…。今夜は泊まって行けばいい…。でも、ハルが迎えに来たら…」

 美緒は激しく首を横に振る。

美緒「そうじゃないの! 私はもうハル君のところには帰らない。だから、譲二さんの側にずっと置いて欲しい」

譲二「…」

 そんなことを言っても、それは今だけのことなのだろうと俺は思った。

 というより、美緒を自分のものにできると思って、そうならなかった時のことを恐れた。

譲二「とにかく、荷物を部屋に持って行ってあげるよ…。それだけ?」

美緒「はい。あ、この小さなカバンは私が持ちます」

 2人で二階に上がる。

譲二「夕ご飯は食べた?」

美緒「いいえ」

譲二「じゃあ、一緒に食べよう。何が食べたい?」

美緒「譲二さんのナポリタンが食べたい」

譲二「わかった」

 俺は荷物を美緒の部屋に運び込んだ。

美緒「でも、寝るのは譲二さんと一緒に寝たい…」

譲二「俺と? だって、一緒に寝たら美緒に手を出してしまうかもしれないよ?」

 冗談めかして言ったが、美緒は真剣な顔をしている。

美緒「それでも構わない…。ハル君のところにはもう帰らないし…。譲二さんの側で寝たいから…」

 俺は思わず美緒を抱きしめた。

譲二「なんで…、なんでそんな可愛いこというの? 本気にしちゃうよ…」

美緒「本気だよ…」

 俺は美緒の唇にキスを落とした。

 柔らかくて可愛い唇。

 止まらなくなって、何度も何度も繰り返し、繰り返すたびに熱いものになっていった。

☆☆☆☆☆

 夕食をとりながら、もう一度美緒の真意を確かめた。

譲二「ねえ、美緒。本当にずっと俺のところにいるつもりなの?」

美緒「うん。もうハル君のところには戻らない」

譲二「でも…、ハルのことが好きなんだろ?」

 否定をして欲しくて、聞いてみる。

 しかし…

美緒「ハル君のことは大好き」

 やっぱり…。

美緒「でも、今の私には譲二さんが必要なの。


ハル君と結婚してから私はずっと不安な気持ちと戦ってた…。


どうして不安なのかよくわからなかった…。


でも、気づいたの。


譲二さんといる時にはその不安から解放されるって…。


好きな人のところではなく、自分に必要な人と一緒にいるべきだって思った。


…ごめんなさい。譲二さんには失礼な言い方だよね」



譲二「俺といたら安心できるの?」

美緒「うん。譲二さんの側でないとだめなの。それにやっと気づいた」

譲二「そっか…」



 とても複雑な気持ちだ…。

 俺の側にいたら安心できるというのはとても嬉しいことだけど…。

 でも、俺を好きだから一緒にいたいと言って欲しかった。

 それは俺のわがままなんだろうか…。

譲二「美緒はこの間も電話をかけてくれたよね。あの時もそうだったの?」

美緒「あの時に気づいたの。私には譲二さんが必要なんだって」

譲二「そうなんだ」

美緒「譲二さんの側にずっと置いてもらってもいい?」

譲二「俺は…。美緒がそうしたいなら構わない。むしろ嬉しいくらいだ」


☆☆☆☆☆

 その夜、ベッドの中で抱きしめ合う。

 柔らかな美緒の唇にキスをする。

 一度キスするとまた止まらなくなってしまった。

 この十数年、美緒を思い続けて来た気持ちは抑えられない。

 美緒はきっと俺が抱きしめて眠るだけで満足してくれたのだろうと思う。

 しかし、俺はどうしても自分を抑えることが出来なかった。

 こんなことをしちゃダメだ…明日になったら彼女はまた去っていくかもしれないのに…。

 そう理性は囁くのに感情の抑制は効かなかった。

 もう、何があっても美緒を放すまい。ハルにはもう返さない。

 思いが募っていて、抱き方はどうしても、くどくなってしまう。

 ハルと結婚してからも、美緒とは何度か交わったが、今日はいつにも増して丹念に愛してしまう。

 美緒は何度もいかされて放心状態になっている。

 それでも俺は彼女を抱くのを止めることができなかった。

 柔らかくて桜色の美緒の肌、美しい曲線を描いた首筋、ぷるんとして甘い唇、汗ばんだ手のひら、シーツに広がる髪…。

 そのすべてを目で耳で肌で感じていたい。

 


 

〈美緒〉

 今までも時々譲二さんには抱かれてきたけど、今夜の譲二さんはいつもより強引だ。

 私が「感じすぎて苦しいからもう許して」と言ったのに譲二さんは止めてくれなかった。

 快感の波は終わりかと思ってもまた打ち寄せて、私を翻弄しながら攫っていく…。

 海の上の小舟のように譲二さんにただ身を委ねていた。

 


 

『焦燥』おわり。

 


続きは『帰港』です。





焦燥~その1~その4

2014-12-11 08:05:26 | ハル君ルートで茶倉譲二

ハルルートの譲二さんの話の続編
ヒロインはハルくんと結婚し、幸せに暮らしているはずなのに、なぜか時々譲二さんを訪ねてくる。ヒロインのことを一生思っているから、こういう関係はもう止めようと告げる譲二さん。
しかし、クロフネでヒロインと抱き合っている姿をハルくんたち三人に目撃されてしまった。
☆☆☆☆☆

秘め事~その6~その9の続き



焦燥~その1

〈譲二〉
 美緒と抱き合っている姿を春樹たちに見られてから、2ヶ月が経った。

 あれから美緒とは一度も会っていない。

 メールでもしたいと思うが、そんな危険なことはできない。

 一護たちはあれから2、3週間に一度のペースでクロフネに集まっている。

 春樹も2、3回は来た。

 そして、みんなの前では何事もなかったように振る舞っていた。

 春樹と一緒に美緒が来ることはなかったが、そのことについて春樹の前では不自然なほどに話題には出なかった。


☆☆☆☆☆

 今日もタケとりっちゃん、リュウが来ている。

譲二「一護たちも来るのか?」

剛史「ああ、もうすぐ来るんじゃないかな。ハルはわからないけど」

理人「マスター、美緒ちゃんとは本当のところどうなの?」

譲二「どうって…、前に説明した通りだよ。」

理人「でも、あれから美緒ちゃんはクロフネに来なくなったよね。」

譲二「ハルが俺のことを疑ってるから、もうここには来ささないだけだろ」

理人「昼間にも来てないの?」

譲二「ああ、来てない。りっちゃんは美緒ちゃんと連絡を取り合っているんじゃないのか?」

理人「それが…あれからメールをしても返事が来ないんだよね。電話をかけても取ってもらえないし…」


 俺は驚いた。美緒は理人とは女友達のように頻繁にメールのやり取りをしていたはずだったからだ。


譲二「りっちゃんが知らないなら、美緒ちゃんがどうしているのか知る手だてはないな…」

理人「僕も心配になって、ハル君に聞いてみたんだよね。
でも、ハル君は『美緒は元気にしてるよ』としか言ってくれないし、それ以上聞こうとしたらちょっと睨まれて、まるで僕が美緒ちゃんを狙っているような顔をされたんだよね。」

剛史「ハルもこの頃少しおかしくないか?」

竜蔵「おかしいってどこが?」

剛史「なんか余裕がないっていうか…、一護が一番仲がいいからアイツに聞いた方がいいかもな」



〈美緒〉

 午後のけだるい時間、部屋には私の喘ぎ声だけが響いている。

 お昼休みに帰ってきたハル君に抱かれている。

 ハル君も私も服を着たままだ。

 いつもと違って変な感じがして、すごく感じてしまう。
 
 果てた後、ハル君は優しくキスをしてくれた。

春樹「ごめんね。逸ってしまって…」

美緒「ううん。とても感じちゃった…」

 ハル君は大切なものを扱うようにもう一度キスしてくれた。

春樹「今日もなるべく早く仕事を終わらせて、夕方には帰ってくるから」

美緒「無理しないでね。」

春樹「あ、見送らなくてもいいよ。疲れただろ?」

 けだるい体を横たえたままの私を残して、ハル君は仕事に戻っていった。


☆☆☆☆☆

 譲二さんに抱きしめられた姿をハル君に目撃されてから、ハル君は私を家になるべく閉じ込めておくようになった。

 携帯も取り上げられて、ハル君が管理している。

 結婚してからは、譲二さんと特にメールのやり取りはしていなかったから、たとえ調べても何も出て来なかったろう。

 それで疑いを解いてくれたかどうかはわからないけど、ハル君は仕事から早く帰って来るようになった。

 そして、夕食を食べ一緒にお風呂に入り、私をゆっくりと抱く。

 昼食もほとんど毎日家に戻って食べる。

 そして今日のように時々は昼にも私を抱く。

 大好きなハル君に抱かれるのは私にとってうれしいことだから、何も不満はなかった。

 前のような気持ちの落ち込みもなく、ハル君を家で待つだけの生活が続いている。

 そして、携帯はハル君の携帯と事務所の電話番号しか入っていないものを新しく渡された。

 アドレスももちろんハル君しか入っていない。

 ハル君からはまめにメールが入って来るからそれでよかった。


☆☆☆☆☆

 ゆっくりと起き上がって服の乱れをなおした。

 あれから譲二さんとは会ってはいない。

 りっちゃんたちにも会っていない。

 2日に1度はりっちゃんとメールをし合っていたのにりっちゃんは心配しているだろう。

 譲二さんは…。

 譲二さんもきっと心配しているよね。

 最後に会ったときの譲二さんの言葉を思い出す。

譲二『俺は美緒ちゃんのことを一生好きでいると言ったろ?』

譲二『7年ぶりに美緒ちゃんに会った時、俺は一目で美緒ちゃんの虜になった。
だから、今でも…そしてずっとこれからも俺は美緒ちゃんのものだと思ってくれていいよ。』

 (譲二さん…)

 私は結局、譲二さんを傷つけて苦しめるだけの女なのだろうか?

 あんなに思ってくれている譲二さんを捨てて、ハル君と一緒になった。

 そして、今も自分だけハル君に愛されて…譲二さんを捨てようとしている。

 譲二さんの心は縛り付けたまま…。

(譲二さん、ごめんなさい)


☆☆☆☆☆

焦燥~その2

〈譲二〉
 ハルたちのことを一護に聞いてみた。

一護「ハルは俺のことも少し警戒しているみたいなんだ。
とにかく、美緒を囲い込んで、家からあまり出さないようにしているらしい。
昼飯も食べに帰ってるみたいだし、夕方もなるべく仕事を切り上げて家で過ごしているみたいだ。」

譲二「そうか…」

一護「あ、それと美緒の携帯、取り上げてハルが持っているみたいだぜ」

譲二「そうなのか?」

一護「理人がメールしても返事がないだろ? そういうことらしい」


 春樹に家に閉じ込められたままだという美緒のことを考えた。

(まさか、ハルに虐待されているということはないよな…。ハルのことだから、いくらなんでもそれはないだろう)

 きっと、他の男から守るために囲い込んで、愛しているのだろう…。

 そして、それは美緒の一番望んでいたことでもあるはずだ…。

 だから、美緒のために喜んでやるべきなのだ。

 それなのに…、この心の苦しさはなんなんだろう。

(『美緒ちゃんが幸せになるのが一番』だなんて偉そうなことを言ったくせに…)

 美緒と抱き合っているところを春樹に目撃されたとき、このまま2人が別れてしまえばいいと密かに思っていたのじゃないか?

 そうしたら、美緒を取り戻すことができる…と。

 でもそれがかないそうもないから、こんなに苦しんでいるのかもしれない。


〈美緒〉
 ハル君の好きなメニューの下ごしらえをした後、ぬるめのお風呂を沸かしてパックをしながらゆっくり入る。

 お風呂の後はスキンケアをして、眉を整え、ハル君のために薄化粧をする。

 ハル君が帰ってきた時、一番奇麗な私を見てもらいたいから。

 時計を見ながら、夕食の準備を始めた。

 お風呂の温度も少し上げておこう。

 ハル君のために。


〈春樹〉
 美緒と譲二さんが抱き合っているのを目撃して、俺は反省した。

 自分では美緒をちゃんと相手してやっていると思っていたが、仕事にかまけて向き合っていなかったのかもしれない。

 美緒を失うのは耐えられない。

 だから、美緒を家に閉じ込め、俺だけが相手するようにした。

 昼も家に帰り、夕方も仕事を早く終わらせ、美緒の相手をする。

 美緒の今までの携帯は取り上げ、アドレスに俺しか載っていないものを渡した。

 美緒の携帯を調べたが、特に譲二さんとメールのやり取りをしていたわけでは無いようで少し安心した。

 譲二さんが言ったように本当に慰めていただけなのかもしれない。

 それでも譲二さんが美緒のことを未だに好きなのは(本人が以前言ったような妹としてでなく)間違いないと確信していた。

 だから、2人を絶対に会わせてはならない。

 美緒を愛することでいっぱいいっぱいな俺と違って、大人の余裕で美緒をかっさらって行きそうな恐ろしさを譲二さんには感じる。

(俺は…未だに高校時代のことを根に持っているんだろう)

 俺が一番愛する女性、それも俺を好きでいてくれた女性を既成事実を作ることで奪って行った譲二さん。

 あの時の驚きと屈辱、悲しみを忘れることは一生ないだろう。

 例え、今美緒が俺のものだという事実があったとしても。


譲二〉
 俺は苦しみながらも、以前とは違っていた。

 以前であれば、この焦燥から逃れるために酒に溺れていただろう。

 しかし、今は敢えて酒を飲まないようにしている。

 これからどうするべきか、しらふの頭で考えたかったからだ。

 もう既に地獄のような苦しみは何度も経験した。美緒に会えず、美緒が他人の妻である状態、これ以上辛いことはないだろう。

 だから、俺はもう何も恐れることは無いはずだった。

 ハルから美緒を奪って恋人にしていた時代の方が「いつ美緒を失うか」と絶えず恐れていたのだから…。


☆☆☆☆☆

焦燥~その3

〈美緒〉

携帯が鳴る。

ハル君からだ。

急いで取ると、優しいハル君の声がした。

春樹「美緒?」

美緒「うん。なあに?」

春樹「悪い。夕方には帰るつもりだったのに急な仕事が入って少し遅くなりそうなんだ…。ごめんね」

美緒「夕食は家で食べるんでしょ?」

春樹「ああ、どんなに遅くなっても帰ってから食べるから…。美緒は先に食べておいてね。遅くなったら、先に寝てくれていいよ」

美緒「ううん。起きて待ってる。ハル君の顔を見てから眠りたいから…」

春樹「…。無理しちゃだめだよ。それと戸締りはしっかりしてね。愛してるよ、美緒」

美緒「私も愛してる」


 電話が切れた。

 楽しい気持ちが急に寒々としたものになる。

 既にセッティングされたテーブルの上を見た。

(私もハル君が帰って来てから一緒に食べることにしよう)



 じりじりと時計を眺めるだけの時間が過ぎて行く。

 すでに10時を過ぎてしまった。

 メールの着信音。

 急いで確認した。

『ごめんね

美緒、ごめんね。どうしても今日中には帰れそうも無い。
だから、やっぱり先に寝ていて。
どんなに遅くなっても家には帰るから。

             愛しているよ  春樹』



 堪えていた涙が次から次へと溢れて来る。

(バカだ、私。ハル君は浮気をしたわけでも何でもないのに…。

大変なお仕事が入っただけで、それもちゃんと報告してくれる。

明日には会えるし、ハル君が私のものだということには変わりはないのに…。)

 それでも、どうしても1人でいるのに耐えられなくなって、携帯を取り、数字を打つ。

 昔からよく知っている、そらで覚えている番号。

 クロフネの電話番号。



☆☆☆☆☆

焦燥~その4

譲二〉
 珍しく夜の10時過ぎに電話が鳴る。

 それもクロフネの方の電話だ。なかなか鳴り止まない。

 いぶかしく思いながら、階下へ降り受話器をとった。

譲二「もしもし?」

???「…」

 すすり泣くような声が聞こえる。

譲二「もしもし?」

???「…」

譲二「…もしかして…。美緒ちゃん?」

美緒「…うっ、うん…」

譲二「いったいどうしたの? こんな時間に…」

美緒「…譲二さん…」

譲二「ハルと喧嘩でもしたの?」

美緒「…ううん…」

譲二「じゃあ…。ハルの仕事が忙しくてひとりぼっちなのかな?」

美緒「…うん」

譲二「ハルから連絡はないの?」

美緒「…ううん。夕方に『遅くなる』って電話があって。さっきメールで『今日中には帰れない』って」

譲二「そっか…。それで寂しくなって俺に電話してくれたんだね…」

美緒「うん」

 美緒はまるで幼い子供に戻ったようだった。

 昔、公園のタコの滑り台の中で、雷に怯えて俺にすがりついた小さな女の子を懐かしく思い出した。

譲二「それじゃあ…。しばらくこうして話をしていよう。もう1人じゃないから大丈夫だよ」

美緒「うん」

譲二「あれから…。美緒ちゃんに会えなかったから心配していたんだ。
りっちゃんに聞いても様子がわからないし、一護が『ハルに家に閉じ込められているらしい』とだけ教えてくれた。
…元気にしていた?」

美緒「うん。元気だったよ」

譲二「それならよかった。ハルも大事にしてくれているんだろ?」

美緒「うん。とても…大事にしてくれてるよ…」

 また嗚咽が聞こえる。

譲二「ちょ…、美緒ちゃん? 大丈夫?」

美緒「…ごめんなさい。
私…、あれからハル君に大切にされて幸せに暮らしていたのに、ちょっとハル君の帰りが遅くなっただけで取り乱してしまって…」

譲二「…美緒は気持ちが不安定になっているから仕方が無いよ。
それは前から分かってた。
俺のところへ来たり、こんな風に電話をしてくれる時には、美緒の気持ちが不安で揺れているんだなって…、俺には分かるから」

美緒「ごめんなさい。譲二さんにはいつも慰めてもらって…。
私は譲二さんに何もしてあげられないのに…」

譲二「そんなことないよ。美緒ちゃんの顔を見たり、声を聞いたり、それだけで俺は元気がでるから。
今だって美緒ちゃんに電話をかけてもらって、すごく嬉しいと思ってる。」

美緒「譲二さん…」

譲二「だからね。こんな風に相談に乗るだけだったら、いつでも電話して来てくれていいんだよ。
もちろんクロフネの営業中は長電話はできないと思うけど…。
それでも俺の声を聞きたくなったら、電話をかけてくれていいよ」

美緒「譲二さん、ありがとう。」

譲二「少し落ち着いた?」

美緒「はい」

譲二「よかった。いつもの美緒ちゃんに戻ったみたいだ。」

美緒「ふふふっ」

譲二「ああ、今どんな可愛い顔で笑ったか目に浮かぶよ…。」

美緒「そんな…、可愛い顔だなんて…。私もう28ですよ」

譲二「十分可愛いよ。年なんか関係ない。美緒ちゃんは美緒ちゃんだ」

 ああ、いつまでもこんな風におしゃべりしていたい…。しかし…、

譲二「もう落ち着いたならそろそろ電話を切るよ?」

美緒「え? でも…」

譲二「『でも』じゃないよ。人妻が他の男に電話していい時間帯じゃないだろ?」

美緒「うん…」

譲二「ハルだって仕事が予定より早く終われば直ぐにでも帰って来るよ?
ハルが帰って来た時、俺と電話していたらまずいでしょ?」

美緒「わかった…」

譲二「通話履歴はちゃんと消しておくんだよ? わかった?」

美緒「うん」

譲二「じゃあね。おやすみ」

美緒「おやすみなさい」

 受話器を置いてホッとした。

(よかった。少なくともハルに大切にされていることは分かった。)

 それにしても、美緒の精神がいかに脆弱なバランスの上に保たれているのかが伺われた。

ハルがいつも通りの時間に帰って来れなくなっただけで、あんなに取り乱すとは…。

 ああ、美緒。諦めようとしてもやっぱり思いが募る。

 久しぶりに声を聞いて嬉しくてたまらない。

(酒断ちをしていて正解だったな…)

 以前のように深酒をしていたら、泣きじゃくる美緒を攫いに家までいったところだろう。

 そうしたら、俺はいいとしても美緒を傷つけることになる。

 美緒はハルから逃れたいわけではないのだから…。

 ああ、でも今はまた酒が飲みたい…。

 うん、今日くらいはいいだろう。

 美緒の写真を肴に、浴びるほどではなく…適量なら。

焦燥~その5~その7
へつづく