波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに   「上に立つもの」

2016-10-03 10:46:27 | Weblog
今年もプロ野球のシーズンが終わった。一年を通じてみていると様々な人間ドラマが見える事がある。今年もシーズン途中で監督の交替が突然行われた。健康の問題とか、避けられない問題なら仕方がないが、強いて言えば成績不振で「休養」を命じられたとある。しかし当人にすれば不本意な事であろう。当然成績は重要だが色々な要因で結果的にそうなったのだが、これで終わったわけではないのに契約途中での「休養」はさぞ残念だったと思う。
こんな事を聞くと「上に立つもの」はどうあるべきか人事ながら考えさせられる。確かに監督の責任は大きい事は分かるが、その前に託した当人の責任もある。これらは全てに影響するわけで
簡単ではない。そしてこのようなことが起きるたびに考えさせられるのは、「どうすればよいのか、」と言う事である。
いろいろな事が考えられるが、往々にして多いのは上に立つものの「権力」がある。無意識の内に自分の内にある、上に立つものの意識がその言動に出る。それが下のものへ大きな影響を与えている事に気がつかないことなのである。
私自身も役職を傘に部下にかなり厳しい言葉で注意した事がある。そのとき後日当人から「その叱責を夢に見てうなされた」と聞かされて強い罪悪感に襲われたことが今でも忘れられない。
現代のこの時代になると少子化を含めて子供を叱る事も注意を要するが、どんな世界でも今では自分の権力や立場で、何でも言える時代ではない(時代に関係なく)
上に立つものほど「相手の立場に立って理解し、共に苦しみ共に戦う努力をする」ことが前提での関係である事が必要であろう。その意味ではその言葉や行動は当然それに伴わなければならないし、それの気持ちが相手につたわら泣ければ、共に成長する事につながらないのである。
それが出来ない限り、家族であってもチームであっても成長は望めないと思う。
嘗ては「鬼軍曹」と言われて厳しさを求められてその厳しさで成長を求めたがじだいはかわった。否、変わったのではない。元来成長は共に戦い共に泣き、共に苦しむところから生まれるのだと言う原則に立たなければ生まれてこない事を知らなければ結果は同じではと考えている。