馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

熱中症 喉の渇き!

2011-08-14 18:09:47 | 日記

813日(土)午前中谷津干潟の遊歩道越にある小学校校庭

子供達がサッカーの練習をしている。

緑格子の隙間から覘くと朝の強い陽盛りを浴びながら

子供達が駆け回っている。

するとコーチらしき大人が「水飲みたかったら、勝手に飲みに行っていいぞ

断らなくても構わないぞ」大声で注意している。

最もなことだが深く納得、感心した。

 

私が小中生の頃は炎天下校庭に整列して

服装、手足を直立不動で校長先生のお話を聞いた。

当時の学校には体育館も無かったので致し方ない面もあったが

それこそ、根性と気合の我慢を強いられた。

時折倒れる生徒もいたが大騒ぎにはならなかった。

 

大学山岳部に入り登山では水は貴重なので

飲むには厳しい制限と許可が必要だった。

当時ワンダーフォーゲル部女子が

夏合宿を五島列島縦走したが、1年生女子部員が日射病で倒れ

翌日亡くなった。

現在だったら、強行せず水分補給と休憩を与えただろうが

当時、水分をなるべく控えないと疲労すると教えられた。

 

山岳部の場合、高度の関係で暑さが身体に悪影響を及ぼすことは

少なかったが、激しい運動量のため、喉は渇ききった。

山道を30キロ以上の荷物を背負い18時間以上登るのは

農耕馬並みの体力が必要だった。

途中、前夜に降った雨で山道に枯葉、小石、木の根が混ざった

窪地に雨水が溜ると、上級生に気付かれないように

倒れこみ、その水を飲んだ。泥も小石が口に入ろうが

喉の渇きが優先した。

先行する登山者が捨てたみかんの皮が落ちていれば

急いで拾い口に押し込んだ。

 

大学1年秋 北アルプス三俣蓮華岳を登山して

夕方 幕営地に戻った。

同期1年生は喉の渇きから到着するなり

テントにあった2リットル入りポリタンクを一気に飲んだ。

私に声掛ける「味がおかしい」とポリタンクを私に差し出す。

臭いを嗅ぐと中身は灯油だった。

同期1年生は半分近く飲んでしまった。

夜半から苦しみだした。

翌朝、顔面に吹き出物でぶつぶつになっている。

それでも、上級生は冷酷に35キロの荷物を担がせ

登山させた。ふらふらになりながら山道を登る。

上級生から叱咤と罵声、ビンタが飛ぶ。

掠れた悲鳴があがる。

あの光景は今でも忘れられない。

まもなく同期は山岳部を退部した。

大学も辞めていった。

心身に傷ついた彼のその後の人生はいかばかりか?

 

大学3年生の時 夏合宿南アルプス荒川岳で撮った写真がある。

1年生がバテて意識を失いかけた、登山隊は先行させて

山道に寝かせ 残雪で顔を冷やした、水を飲ませ休憩を取った。

  

昭和45年8月 

荒川岳は私が2年生の春山で滑落した場所だった。

雪斜面を谷底に向かって滑っていった。

夢中でピッケルを雪面に刺して止めた。

その時、右手の甲をピッケルで傷つけた。

その傷口に菌が入ったのか40歳過ぎまでイボが出来続けた。

 

上級生になったら理不尽なシゴキだけはしまいと決心した。

当時1年生の回復を待ちながら思い出していた。

 

1年生が目覚め歩けるのを確認した時

その1年生に撮らせたスナップ写真だ。

遠いセピア色の思い出が蘇る。

 

この1年生は現在 北海道でタクシー会社の社長になっている。


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