馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

昭和20年代の貧しい子供の思い出! 豆腐造り。

2021-11-19 05:28:55 | 日記

私が拝読している
フランス在住の桃子さんのブログ動画を見て感動。
昭和22年生まれの子供時代 風景と生活が似ているのです。
桃子さんのブログ。
いつも思い出し笑い。




10年前の書いたブログを再掲します。
父の生まれ故郷
那須の寒村での日常生活です。

再掲


素食界的香饽饽——麻婆豆腐Mapo Tofu

豆腐の思い出!

2012-12-03 00:10:54

12月1日(土)診療所の帰途、製麺工場でオバちゃんからラーメンを買う。

買わない土曜日がたまにあると、オバちゃんは心配するので義務感が生じている。

漁港近くの漁師から生海苔を購入。

 

漁港への通り道にある明治38年創業の豆腐製造の店で

豆腐、厚揚げ、シラタキ、こんにゃくも買う。

ビニール袋が四つ持ち船溜りまでやってきた。

少々手にしびれがきたので漁船係留する橋に袋を置き

水鳥が水面に嘴を入れて、魚を獲るため泳ぎまわるのを暫し眺める。

 

先ほど、豆腐買った店のオバちゃんは3代目だという。

私の親父も栃木、那須連山の麓の小さな田舎町の豆腐屋の三男坊だった。

生前、豆腐の味にはうるさかった。

 先ほどの豆腐製造の現場を見たが機械化されていた。

小学生の頃、親父の実家に泊まり、豆腐作りを手伝った?

ドーナツ型の大きな石が二つ重なり、長い太い木が石臼のドーナツ部分

差し込まれ、大豆がドーナツ型の穴部分に入れ込む。

 

木の棒を両手を使って前後に動かすと大豆が摩り下ろされ

下の石臼から木のタライに黄色の泡粒となって落ちてきた。

面白いので祖父が回すのを一緒にしたのだが

大きくなってから思い出すと邪魔だったに違いない。

子供心に感じたのは、豆腐を買いに来る客が殆どいなかったことだ。

店前の道路は主要街道で木炭バスが西那須野の駅まで運行されていた。

その運転手が店前にバスを留め、後部の排気管から真っ黒な煙が豆腐を作る場所まで

入るのも気にせず、豆腐を買うのを幾度か見ただけだった。

幼かったので製造卸などと考えつかなかった。

いずれにしろ貧しかったには違いない。

 

店先から那須連峰が眺められた。

青い山並みは化け物が出るお城のように思った。

小学生低学年だったが、店先の古びた木枠の台に豆腐を入れた桶があった。

その台の隙間に腰掛、飽きずに黒ずんだ青い山脈をじっと眺めていた。

あの山はいったいどうなっているのだろう。

気になってしょうがなかった。

夏の夕方、涼しくなった。

突然、あの山に近づきたいとの衝動が起きた。

青い恐ろしい山に向かって歩き出した。

半ズボンで足元は

便所にあるような木のサンダルで

幅広の布を両端に釘を打ちつけただけの粗末なつっかけだった。

小さな田舎町だったが商店街だけは道路がアサファルト敷かれていた。

商店街をカタカタとサンダルが擦れ合う音させながらどんどん歩いた。

商店街を抜けると舗装はなくなり、石ころだらけの道になった。

民家がちらほらあるだけ、更に歩くと砂利道の両側が林になった。

林を抜けると田んぼや畑が続く。

人は歩いていない。

少しづつ山が大きくなった。

夕闇が迫り周囲がねずみ色に変わった。

小川を横切り田んぼの先に農家の灯りが点き出した。

青い山の後ろに出た月空が輝き、黒く巨大な蝙蝠が立ち塞がるように迫ってきた。

私が進むというより、大きな蝙蝠が私に向かってくるようで怖くなった。

首を上げなくても見えた山のテッペンが首を反らさないと見えなくなった。

小雨が振り出した。

来た道を商店街に向かって走り出した。

泣きべそだった。このまま祖父の家に帰れずに蝙蝠にヤラレテしまうのか?

那須下ろしの空風が走る抜ける林を揺らし騒めいた。

サンダルの布が片方切れてしまった。

巨大蝙蝠が追いかけ覆い被さるのではと、ひたすら裸足で走った。

 

街の灯りが見え舗装道路までやってきた。

振り返ると真っ黒な山がじっと見詰めていた。

豆腐屋の玄関に入ると祖父が酒を飲んでいた。

何も聞かれなかった。

その夜、天井の真上にあるガラスの明かりとりから見える月が怖くて

寝付けなかった。

 

母親を7歳の時亡くし、貧しかった親父は連れ子のあった継母と暮らした。

上京して懸命に働き、横浜に小さな戸建を買った。

男の子3人を育て学校に行かせた。

定年を迎え、庭いじりと絵描きの才能を存分に発揮する日々を過ごし。

73歳の5月、残雪残る谷川連峰が見える越後湯沢の旅館で客死した。

老いてから、冷奴を肴に酒飲みながら

「こんな幸せな暮らしが出来るととは思わなかった」

度々酔いながら私に語り、いつのまにか畳で寝入った。

私と弟で寝室まで運んだ。

 

船溜まで佇み、遠い日々の豆腐の思い出を回想した。

 

男とか動物の雄は、好奇心が危険を顧みず、危険を冒してまで未知なるものに惹かれる

本能としてあるのだろう。

NHKのドキュメント番組で人類が発生して男は流離い

女はその地に留まるのだと言った。

 

高校生になって那須連峰を登った。

大学で山岳部に入った。

高校生の時、芥川龍之介の小説「トロッコ」を読み

男の子は同じような体験をするのを知った。

 



桃子さんのコメント
🌶 馬鹿も一心さんへ (桃子)
2021-11-18 06:31:47
ようこそいらして下さいました。
私の知らない 那須の寒村に・・・ぐいぐい引き込まれていきました。
短編小説のように綴られていて、あたかも私も知っている世界のようです。
それは、派手でなく地味ながらも家族が寄り添って生きた、同じ‘時代’を知っているからかと思います。


私の小さい時の豆腐の思い出は、自転車に豆腐を乗せて売りに来るオジサンがいたのです。それは毎夕です。チャポチャポと豆腐の入った桶の水音が今でも聴こえてきそうです…
家の前に着くと、ラッパを吹いて知らせてくれました。
カネのボールを持って 豆腐を買いに走るのが私も役目でしたね。
祖父と父は湯豆腐で一杯やったり、翌日の朝のお味噌汁に入れたり・・・昭和の思い出です。


Produce


Actor


Falsely Inaccurate





 



 




ファイナル
父の最後

正月2日 墓参り、見舞い、帰郷。

「山路えて」    日本基督教団賛美歌404番


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
豆腐作り (桃子)
2021-11-19 08:09:39
私のブログを引用して下さって、ありがとうございます。
大変 恐縮です。
本当にこの李さんの動画には心洗われる思いです。
コロナが収まったら、コロナ以前に戻るより、
いっそ昭和の古き良き時代に戻れ!と思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。