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kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大阪・天王寺区に本物の「ベルリンの壁」

2020年05月14日 | 回想日記
友人たちと「天王寺七坂」を目指して向かっていると、友人の一人から『天王寺にベルリンの壁があるそうよ。』の情報が・・・(これは、2016年5月17日のことです。)


その情報によると、天王寺駅から少し歩いた茶臼山町にある
在日韓国寺院「統国寺」の境内にベルリンの壁あるそうです。 


「統国寺」の山門を入って行くと、右手に信者より奉納され た
東西ドイツ 分断の象徴であった ベルリンの壁の一部がありました。

このベルリンの壁は、崩壊前の大きさそのままの実物で
写真の正面が西独側で、逆Lのかたちで東独側に建っていたそうです。


やっぱり、これは本物のベルリンの壁でした!


奥へ進むと、眼下に茶臼山へ渡る「和気橋」が見えています。

ここは、茶臼山へ通じる「和気橋」から見えていた場所で
あの場所は何処だろう? と、気になっていた所だったのです。


ベルリンの壁の後ろに「あべのハルカス」が見えています。

ドイツ分断や冷戦の象徴となった、厚いベルリンの壁ですが・・・
壁そのものは、想像していたよりも意外なほど薄いように思いました。

※ ABCテレビ 2019年10月6日の「ナニコレ珍百景」の放送
 “寺に世界の歴史を変えた壁”で、この「ベルリンの壁」が紹介されてました。
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大阪 天王寺・永代供養墓の元祖「お骨仏のお寺 一心寺さん」

2020年01月30日 | 大阪
どこのお寺でも、最近は永代供養墓があるようになりましたが
その永代供養墓の元祖だといわれるのが「一心寺(いっしんじ)さん」
遺骨でつくった「納骨堂のお骨仏(おこつぼとけ)」です。

その、一心寺さんが「納骨の受け入れを制限します」の新聞広告を出しました。
これまで「1万円から」という格安の費用で納骨を受けてきたが、宅配便で遺骨を勝手に送りつけてくる遺族もおり『送骨』は送り返しているが、納骨件数の急増で対応しきれなくなったそうです。

その「関西屈指の人気寺が"納骨制限"に踏み切ったワケ」の記事は・・・こちら



数年前の夏に、大阪市立美術館の帰りに「一心寺さん」へ行きたくなり
美術館の西にある美術館下のゲートから「一心寺さん」に向かいました。


突き当たりを右折(東方向)すると「一心寺坂」の名前がみえました。
少し前に天王寺七坂を歩いたばかりですが、この辺りは坂の多いところです。


ここは裏参道ですが、この時はお盆の季節だったので
お参りされる方が多いようです。


何度も来ていますが、一心寺さんの南門から入るのは初めてです。


納骨堂

一心寺さんの納骨堂には現在7体のお骨佛様がお祀りされていて、明治20年に第1体目が造立されて以来、10年ごとに開眼しているので通算では13体になるそうですが、戦前に造られた6体は残念ながら戦災で焼失したそうです。


納骨堂の横(北側)に「本堂」があります。


本堂の前で天水受けを支えている「天の邪鬼(あまのじゃく)」


本堂を正面から撮りました。
本堂の左側(南)が、納骨堂(お骨仏)になります。


山門と仁王門(仁王像は武器を持っていないそうです。)


一心寺さんは、あべのハルカスの近くにあります。

時代が変わったといっても、何でも許されるものではないと思いますが・・・
「宅配便で、お遺骨を勝手に送りつけてくる遺族」がおられるとは (~_~;)
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ナニコレ珍百景で紹介されたのは「見たことのある本物のベルリンの壁」

2019年10月07日 | 大阪
おはようございます。
昨夜(10月6日)ABCテレビ放送の「ナニコレ珍百景」で
“寺に世界の歴史を変えた壁”を見ていて・・・それは

2016年5月17日に、友人たちと「天王寺七坂」を目指して歩いた時に
天王寺駅から少し歩いた茶臼山町の「統国寺」の境内でみたことのある
東西ドイツ分断の象徴であった「本物の ベルリンの壁」でした。

その時の記事を転記します。

今日は友人達と「天王寺七坂」を目指して、天王寺に向かっていると
友人の一人が『天王寺にベルリンの壁があるそうです。』の情報が・・・


その情報によると、天王寺駅から少し歩いた茶臼山町にある
在日韓国寺院「統国寺」の境内にあるそうです。(撮影:5月17日)


山門を入って行くと、右手に信者より奉納され た東西ドイツ 分断の
象徴であったベルリンの壁の一部があります・・・

このベルリンの壁は崩壊前の大きさそのままの実物であり
写真の正面が西独側で、逆Lのかたちで東独側に建っていたそうです。


やっぱり、これは本物のベルリンの壁でした!


奥へ進むと、眼下に茶臼山が見えました。

ここは、茶臼山に行ったときに見えていた場所で
あの時は、この場所が何処だろうと気になっていた所だったのです。


ベルリンの壁の後ろに「あべのハルカス」が見えています。

ドイツ分断や冷戦の象徴となった、厚いベルリンの壁ですが・・・
壁そのものは、想像していたよりも意外なほど薄いように思いました。


写真ですが、本物の「ベルリンの壁」はどうでしたか?(^^ゞ
大阪市立美術館から近くなので、美術館に行かれた時は
ぜひ「本物のベルリンの壁」も見て来て下さい。(^^ゞ
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天王寺・お骨佛のお寺と知られる「 一心寺(いっしんじ)さん」

2016年08月23日 | 大阪

大阪市立美術館の「デトロイト美術館展」を観賞したあと
一心寺さんに行きたくなり、いつもは黒田門を通って帰るのですが
美術館の西にある美術館下のゲートに出て北方向へ行くと・・・


突き当たりに出たので、右折(東方向)すると「一心寺坂」の名前が
少し前に天王寺七坂を歩いたばかりですが、ここは坂の多いところです。


ここは裏道ですが、16日のお盆なのでお参りされる方が多いようです。


一心寺さんの南門がありました。
ここから入るのは初めてです。


納骨堂

一心寺の納骨堂には現在7体のお骨佛様がお祀りされていて、明治20年に第1体目が造立されて以来、10年ごとに開眼しているので通算では13体になるそうですが、戦前に造られた6体は残念ながら戦災で焼失したそうです。


納骨堂の横(北側)に「本堂」があります。


本堂の前で天水受けを支えている「天の邪鬼(あまのじゃく)」


本堂前右側の天水受けの「天の邪鬼」

本願寺御影堂正面でも天の邪鬼
が、天水受けを支えているのを
見たことがありますが可愛いですね!


本堂を正面から撮りました。


山門と仁王門(仁王像は武器を持っていないそうです。)


あべのハルカスにも「さよなら」して帰路に・・・
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大阪・天王寺の 縁結びの神さま「愛染(あいぜん)さん」

2016年06月07日 | 大阪
「愛染さん」の名前は子供の頃から聞いて知ってましたが
天王寺七坂を散策したときに、初めて行ってきました。(5月17日)


愛染堂 勝鬘院(しょうまんいん)


「愛染さん」と、親しみのある呼ばれかたをしています。

西暦593年(推古天皇元年)、聖徳太子は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立されました。 その中の施薬院は、あらゆる薬草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられるようにと現在の愛染堂の場所に建立されました。


藥医門


本柱2本の後方に控柱2本を建てた赤い門が藥医門です。

聖徳太子が愛染堂を創建された当初は、この場所が施薬院だったことも
あり薬医門と呼ばれています。また縁起の良い赤門を通って赤門(東大)を
始め志望校への入試を突破できるようにと、来られる人もあるそうです。


愛染かつら


愛染堂の藥医門をくぐった右奥に「愛染かつらの木」があります。

樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き桂とカズラが一体になっている様子から、カップルの縁を取り持ってくれる「恋愛成就・夫婦和合の霊木」として親しまれています。毎年、夏になると木の幹に絡みついたカズラの葉っぱが生い茂り、オレンジ色の花が咲くそうです。


愛染めの霊水



絶えず流れ出る愛染めの水を飲めば、愛敬を授かり、さらには開運、夫婦和合、良縁成就・安産、出世、商売繁盛などの功徳があるとされる大人気の霊水で、この水で染め物をすると色よく染まると昔から言われ「藍青商(染物屋)」の間では信仰が篤く「賑わしや愛染詣での紺屋づれ」と詩に詠われたそうです。


金堂


境内の中央に構える朱塗りの金堂は、推古天皇元年(593)聖徳太子によって創建されました。その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、徳川幕府二代目将軍・徳川秀忠の手によって再建された歴史ある建物です。
(内部の構造は、江戸時代の様式を伝えるもので大阪府の指定文化財に指定)

金堂の壁に掛けられた献灯(けんとう)は、江戸時代の近松門左衛門『冥途の飛脚』や、井原西鶴『男色大鑑』にも描かれている由緒ある風物です。


多宝塔



金堂の後ろに建つ多宝塔は、推古天皇元年(593)聖徳太子によって創建されました。その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失しましたが、慶長2年(1597)豊臣秀吉により再建されました。
(大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されています。)

多宝塔の内部には、秀吉が戦勝祈願のために造像させたといわれる大日大勝金剛尊像と、極彩色で描かれた十二天の壁画と柱絵が奉安されています。多宝塔の蛙股(かえるまた)には、見にくいですが十二支の彫刻が施されています。
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大阪市天王寺区・狛虎がある「大江神社」は、阪神タイガースの神社?

2016年06月04日 | 大阪

天王寺七坂の1つ「愛染坂」(写真左側)を上がると大江神社があります。

大江神社は勝鬘院(愛染さん)の隣にあり、聖徳太子によって建立された
四天王寺 七宮(上之宮・小儀・土塔・乾・河堀・堀越・久保)の1つで
天王寺北村の、産土神(うぶすながみ)で豊受大神を祭祀しています。

また、四天王寺の乾(いぬい =戌亥=西北)に位置していることから
江戸時代では「乾社」と呼ばれていたそうです。


私たちは、次の目的地があるので通り過ぎたのですが
本殿の左横を奥に進むと、狛犬ではなく「狛虎」があるそうです。

周囲には、メガホンなど阪神タイガースの応援グッズが沢山供えられ
優勝を祈願するお札があり、阪神タイガースの為にある神社のようだとか
阪神ファンなら、一度は行ってみたくなりますね。(^_^;)))

「狛虎」の由来などは、戦火によって全ての資料が燃えてしまい不明だとか、でも300年以上も前に作られたもので、正面奥の空き地部分に江戸時代に毘沙門堂があったと伝わっていることから、毘沙門天のお使いである虎を毘沙門天を護る為に「狛虎」として鎮座させたといわれています。

現存する狛虎は損傷が激しく、保管されているので見る事は出来ません。
私たちが目に出来る狛虎は、2003年と2011年に再建されたものだそうです。


上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐそばまで海がせまり、西の海に夕日が沈み行き、茜色に染まる空の美しさにいつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったといわれています。


境内にある「夕陽丘」の碑


境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名です。
句碑の四面の各面に、一句ずつ書かれています。

「あかあかと 日はつれなくも 秋の風     芭蕉」

現在の星光学園(大江神社の南側)のところに、浮瀬亭(うかぶせてい)という有名な料亭があって、松尾芭蕉も与謝蕪村も訪れていたと紹介したことがありますが、この大江神社は「愛染坂」を隔てているだけなので、芭蕉も訪れたのではないでしょうか。


大江神社境内の「百歳(ももとせ)の階段」

『この階段は百一段あり 人生の区切り百歳よりもう一歩
心も身体も健康でありますようにと 願いをこめて名付けられました。
一歩一歩踏みしめて 神様にお参りしましょう』 と書かれています。

天王寺七坂に入っていませんが、きっと夕陽が美しく見える階段ですね。
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大阪で唯一の滝が「天王寺の清水寺」にありました!

2016年05月31日 | 大阪
天王寺七坂を散策している時に、歴史の散歩道をたどると・・・その先に


驚くことに、清水の舞台がありました!

京都の「清水の舞台」から見る景色とは少し? いいえ全然違いますが
ここは、通天閣(写真左)が見える天王寺の「清水の舞台」です。(^_^;)))


境内南側の崖から流れ出る滝は、京都清水寺の「音羽の滝」を
模した「玉出の滝」で大阪唯一の滝として、知られているそうです。
(私は大阪生まれで育ったのに、天王寺七坂の散策で初めて知りました。)


あっ! 模しただけに似ているように思います。


この付近一帯は昔から名泉所として知られ・・・
清水は七名水と呼ばれていたそうです。
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天王寺・清水坂から「清水の舞台への道 標」

2016年05月27日 | 大阪

これは、天王寺・清水坂から清水の舞台に行く道で見た道標です。


「歴史の散歩道」と書いています。

そうなんです! 天王寺七坂は、歴史も満載のスタンプラリーでした。
これを見て思い出したのは、↓のフランス旅行で見た沢山の道標です。

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フランス旅行で見た道標

● サン・レオナール教会の「ホタテ貝の道標」


教会前の歩道に、巡礼者を導くホタテ貝の道標がありました。


階段の左端に、ホタテ貝の道標があります。
昔はホタテ貝をお皿代わりにして、食べ物を恵んでもらっていたことから
ホタテ貝が巡礼者の必需品になり、シンボルになったと言われています。


● エクス・アン・ブロヴァンスの「セザンヌの道標」


街の歩道の所々に、セザンヌが生まれ終の棲家となった彼にゆかりのある
場所をたどれるよう 「CEZANNNE」 の道標がはめ込まれています。


● リヨン・サン・ジャン大聖堂前の「ホタテ貝の道標」


舗道には、巡礼者に教会の方向を示すホタテ貝の道標がありました。


● アルル・ゴッホが療養した病院前の「ゴッホの姿の道標」


ゴッホが療養生活を送った病院の入口です。


足元を見ると、ゴッホの姿が道標になっていました。

他にも色んな道標がありますが、何処にいっても気になる道標です。(^_^;)))
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大阪・天王寺七坂のスタンプラリー2「口縄坂→源聖寺坂→生玉 真言坂」

2016年05月23日 | 大阪
美味しいお昼 を頂いて、次の口縄坂に向かいました。

口縄坂 (くちなわざか)


下りの石段があり、上には織田作之助の文学碑がありました。

その碑には、『木の都』の一節が刻まれて
「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた・・・」


石段に面して、珊瑚寺の昔から安産・子育ての「延命地蔵尊」が
右に少し見えています。

珊瑚寺は、太閤秀吉公の重臣で 桑山修理太夫重晴 が秀吉公の武運長久を願って私財を投じて建てられたお寺です。また朝鮮出兵の際に朝鮮より持ち帰った小児薬「桑山丸子(くわやまがんじ)」の評判がよく有名になったそうです。

その珊瑚寺の山門に備えられた台に手を伸ばしてスタンプ捺印。


坂の下から眺めると、道の起伏が「口縄(くちなわ )=蛇」に
似ているところから名前が付けられたと言われていますが・・・


これは松屋町筋から撮りました。


坂の下(松屋町筋)から見ると、何となく「くちなわに」に見えますね。


源聖寺坂 (げんしょうじざか)


源聖寺さんでスタンプ捺印、これで残りは一つになりました。(*^^*)

堂内には延命火除(ひよけ)地蔵尊(鎌倉時代)が祀られています。
救世観世音菩薩は「花の観音様」として親しまれているそうです。


源聖寺坂は、昇り口に源聖寺(写真左)があって
もともとは境内の敷地の一部だったのを
人々の往来のために坂が作られたそうです。


上り口から途中までは石畳で、途中から勾配の急な石段になっていて
少し東南東に向きが変わっています。


生玉 真言坂 (いくたましんごんざか)


今までは、すべて東から西へと下る坂ばかりでしたが
この生玉 真言坂だけが、南から北へ下る坂です。

生國魂神社の神宮寺であっ た法案寺をはじめとする生玉十坊が
真言宗だったことが、名前の由来だそうです。スタンプ捺印。

神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社です。


真言坂を下ったところに標識がありました。

私たちは南の天王寺からスタートしましたが、北からスタートの時は
ここがスタート地点になります。(正面は生國魂神社の北口です。)

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生國魂神社で七つ目のスタンプを捺印した後・・・


完歩証を頂きました。\(^o^)/
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大阪・天王寺七坂のスタンプラリー1「逢坂→天神坂→清水坂→愛染坂」

2016年05月22日 | 大阪
天王寺区に、上町台地の西縁に沿って「天王寺七坂」と呼ばれる坂があって
北から南へ、真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂。
真言坂を除けば、すべて東から西へと下る坂ばかりでした。

私たちは南の「逢坂」からスタートしました。地図は こちら でご覧ください。

逢坂 (おうさか)


逢坂は、お骨佛のお寺として知られる 一心寺さんの山門前からでした。
(撮影:5月17日)

一心寺さんは、納骨された遺骨で10年に1度(次期は平成29年初夏)
仏様(お骨佛)を造立されています。その 一心寺さんでスタンプの台紙を
購入してラリー初めてのスタンプを捺印。(東→西に下る)


坂の途中に安居天満宮があり、その前に「逢坂」の標識が・・・


逢坂を下った西側から、スタートした一心寺さんが見えてます。

昔は急な坂荷車が坂を登りきれないので、押屋(荷車を押す人夫)が
いたそうです。(四天王寺前に出る道で交通量の多い坂道です。)


天神坂 (てんじんざか)


安居天神へ通じる坂道から、天神坂と呼ばれているそうです。
大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところ、安居天満宮でスタンプ捺印。
(安居天満宮の北側から出たところに標識があり→東へ上る)


江戸時代のなにわのまちでは、とくに飲み水としては水質のいい
上町台地周辺の水を汲んできて売り歩く水屋なる商売があったそうです。

古くからこの辺り周辺には「天王寺七名水」と呼ばれる良質の湧き水が
あったので、坂の途中に当時の湧き水の雰囲気が再現されていました。


清水坂 (きよみずざか)


新清水清光院に登る坂道は「清水坂」と呼ばれています。

大阪星光学院と清水寺の間にある坂道で、高台にある清水寺境内の
玉出の滝は大阪で唯一の滝があるところです。清水寺でスタンプ捺印。


広いゆったりとした石畳の坂道で、大阪星光学院側(北側)では
むかし料亭 「浮瀬亭」があり、芭蕉や蕪村も訪れていたそうです。
(この階段は上がらずに、北の道に進みました。)


愛染坂 (あいぜんざか)


愛染さんのお参りは、この坂道を通ることから呼ばれています。


愛染坂を上がったところから見ています。

絵になる坂で、清水坂のように絵を描かれている姿がありました。
愛染坂を上がると大江神社(写真右)と、良縁祈願の愛染祭りや
多宝塔(重要文化財)で知られる、愛染さんでスタンプ捺印。

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お昼を過ぎたことも忘れ「天王寺七坂」の散策を楽しんでいましたが
愛染さんを後にして、少し遅めのお昼 をすることにしました。
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