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荒城の月



先月の会津旅行で偶然、満開の桜の下にある土井晩翠(どいばんすい)像にでくわしました。お城の堀を出てすぐのところです。4月23日でした。



先々月、3月30日。ここ豊後竹田の岡城址で瀧廉太郎像を撮りました。竹田出身の彫刻家・朝倉文夫の作です。この時、竹田では桜は満開、というか散りかけているぐらいでした。今年、桜が早かった。

ところが会津では4月23日時点で満開。それも市の中心部であって、一泊した東山温泉では桜は咲き始めでした。

瀧廉太郎はここ竹田の岡城址をイメージして『荒城の月』を作曲したと言う。詩人・土井晩翠は故郷の仙台・青葉城と、会津のお城跡をイメージして作詞したと言います。

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月


太平洋戦争敗戦の2年後、土井晩翠は瀧廉太郎生誕45年記念に招かれて豊後竹田に来て、リンクのような発言をしています。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/poem/tsuchiibansui.html
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