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巡礼紀行3



1906年(明治39年)、聖地パレスチナと、ロシアにトルストイを訪ねる大旅行でした。
この旅行記の始めに徳富蘆花はこんなことを書いています。

爾(なんじ=日本のこと)は幼稚なれども
確かに大いなる未来を有す。

爾が理想を高くし、志を大にし
自ら新たにして、この美なる国土に
爾を生みたまえる天の恩寵に背かざれ。

爾の頭(こうべ)より月桂冠を脱ぎ棄てよ。
「剣(つるぎ)をとるものは剣にて亡びむ」。

知らずや、爾が戦いは今後
爾が敵は北にあらず、東にあらず
西にあらず、はた南にあらず

爾が敵は爾、爾が罪
爾は爾自身に克たざるべからざるを。

爾の神を畏れ、爾の敵を愛し
爾の額に汗し、爾の汚れを洗い

爾が剣をなげうち
爾が砲台をこぼち
爾が税関を開き
爾が四周の海を風の思うままに
掃うごとく爾が胸を世界に向かって開け。

日を旗じるしとする民
爾が義の日を四海に輝かせ。


1904年(明治37年)2月に始まり1905年(明治38年)9月に終結したばかりの日露戦争を背景とした文章です。トルストイは戦争中に「反省せよ」と題した日露戦争反戦の論文を書きました。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は1904年の作です。http://www.geocities.jp/sybrma/62yosanoakiko.shi.html

「爾が義の日を四海に輝かせ」という言葉に心当たりがあります。
先月5月20日に訪ねた熊本市の横井小楠旧居に併設されている資料館で、これに似た言葉を目にしました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/8a11572dd1a445c883a4e20dd813fe13

大義を四海に布かんのみ

小楠の下記漢詩の一行です。

堯舜孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くす
何ぞ富国に止まらん
何ぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ

心に逆うこと有るも人を尤むること勿れ
人を尤むれば徳を損ず
為さんと欲する所有るも心を正(あて)にすること勿れ
正にすれば事を破る
君子の道は身を脩むるに在り

四海=世界です。蘆花は小楠の漢詩の影響を受けていると思われます。徳富蘇峰・蘆花兄弟の父親・徳富一敬は横井小楠の高弟でした。一敬の妻と小楠の妻は姉妹だったという。

吉田松陰や坂本龍馬、勝海舟に影響を与えた小楠は、高弟の息子・蘆花の明治39年の文章にも影響をもたらしています。

そういえば、坂本龍馬が言っていた「日本を洗濯する」という言い方は実は小楠先生の口癖で、龍馬はそれを真似たようです。

そうそう資料館で知ったのですが、横井小楠の息子時雄は、NHK大河ドラマの主人公・山本八重の兄・山本覚馬の娘、山本峰と結婚します。横井時雄も徳富蘇峰・蘆花兄弟も初期の同志社大学生でした。

ついでに山本覚馬の目が不自由になった京都時代に出会った愛人・小田時栄と覚馬のあいだにできた娘、小田久栄・・・彼女も同志社の学生だった・・・同じ同志社のなかで、久栄に恋したのが若き日の徳富蘆花。

八重が覚馬と時栄を別れさせ、蘆花の恋をつぶしたようです。
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